アフガニスタンの山の学校で子どもを撮り続ける写真家の記録「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」

 

半世紀にわたり地球規模で撮り続けた写真家の長倉洋海。アフガニスタンでソ連軍と戦った抵抗運動の指導者マスードと絆を育んだ彼は、自爆テロに倒れたマスードの教育への思いを共有し、パンシール渓谷の山の学校を支援し続けている。その模様を綴ったフォト・ドキュメンタリー「鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)」が、9月12日(火)より東京都写真美術館ホールほかで全国順次公開。特報映像、場面写真、長倉のコメントが到着した。

 

 

大学で探検部に属していた長倉洋海は、ベトナム戦争の報道写真に憧れ報道カメラマンを目指す。「目の前で現代史が動きその1ページがめくられていく。自分自身がその現場に立ち感動したい」と通信社に入ったが、希望が叶わず、3年が経った1980年に退社してフリーに。

1982年、中南米エルサルバドルで3歳の少女ヘスースと出会い、「出来事を取材するニュース写真ではなく、現場に何年も通い一人の人間を見続ける」という長倉のスタイルが生まれる。

1983年、侵攻したソ連軍への抗戦が続くアフガニスタンで、若き司令官マスードの撮影を決意。100日間イスラム戦士(ムジャヒディン)と共に行動し、二人は強い信頼関係を築く。

アメリカ同時多発テロの2日前の2001年9月9日、マスードはイスラム過激派に暗殺される。1周忌に初めてパンシール渓谷の山の学校を訪れた長倉は、マスードが資材を提供し、村をあげて小さな学校を守り続けていると聞き、心を動かされる。長倉は、マスードの教育への思いを受け継ぎたいとNGO〈アフガニスタン山の学校支援の会〉を設立。まず手元にあった寄付金で、机や椅子などを提供する。その後も長倉は、イスラムでは珍しい男女共学の学校へ毎年のように通い、子どもたちの成長を撮り続ける。

 

 

〈長倉洋海コメント〉

「とてもカッコ悪い映画だ」と思った。私の野心も、それに賭ける赤裸々な思いもはっきり映っているからだ。でも、それでもいい。なぜなら、マスードが私の中で生き続けていること、そして、山の子どもたちの心に脈々と受け継がれていることが伝わってくるからだ。

河邑監督は「ハードボイルドだ」と謳っているが、どこが、と私は思う。もっとカッコ良く描いてほしかったからだ。でも、それもいいだろう。映画『鉛筆と銃』が、マスード、私、そして子どもたちへと連なる大きな流れ、そして峰々が連なる山脈のようなものが映画をしっかりと貫いているからだ。

そんな私だが、いつしか、映画に引き込まれていた。写真の効果的で迫力ある構成、シーンのひとつひとつに寄り添う音楽が、この映画を高みに押し上げてくれた。この映画が観る者にどのくらい感動を与えるかはわからない。でも、『鉛筆と銃』には、私が見たもの、伝えたいと思ったものが確実に映し込まれている。是非、劇場の大スクリーンで、マスードの表情に出会い、未来を見つめる子どもたちの姿に出会ってほしい。

 

     

 

「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」

監督・撮影:河邑厚徳
製作・著作:アフガニスタン山の学校支援の会、ルミエール・プラス
配給宣伝:アルミード
©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス
公式サイト:https://enpitsutojyuu.com/