決して交わらない生と死をめぐる2つの物語を実験的アプローチで紡ぎ、第36回東京国際映画祭コンペティション部門に出品される新鋭・小辻陽平の長編監督デビュー作「曖昧な楽園」が、11月18日(土)よりポレポレ東中野ほかで全国順次公開。ポスタービジュアルと場面スチール、著名人のコメントが到着した。
一軒家で身体が不自由な母(矢島康美)と暮らす達也(奥津裕也)。介助に追われながら交通量調査員として働き、カプセルホテルで夜を過ごす日々に、居場所を見出せずにいる。
植物状態となった独居老人(トム・キラン)の住む団地へ連日通い、世話をしているクラゲ(リー正敏)。ある日、再会した幼なじみの雨(内藤春)を老人の部屋へ案内し、交流を深めていく。そんな中で老朽化した団地の取り壊しが迫り、クラゲと雨は老人を連れてバンで旅に出るが……。
SF映画のような独特の雰囲気で描く167分のロードムービー「曖昧な楽園」。「曖昧で不確かな瞬間をこそ映したい」という監督の信念のもと、脚本作りから演出まで即興を重視した手法が採用され、監督と俳優たちはつねに対話を重ねながら物語を構築していった。
〈コメント〉
あなたがカメラの前に立ってくれて、私がそれを撮影する。あなたが映画のなかに存在することの感動。他には何もいらない。ただそれだけで奇跡的なことなんだ…。映画を撮っていてそう思えた瞬間があったことを思い出した。物語ることよりも大切な瞬間がある。死んでいることと生きていることの隙間を彷徨う者たちの静止したような時間が重ねられる中で、映画は彼らが「存在すること」と出逢おうとする。交通量調査をする達也にとって無為な時間に堆積する母親の抑圧が感情に点火する瞬間が訪れるが、雨とクラゲの場合、発火する感情もないまま死に接近し、生きているものと死にゆくものとの存在の差を測定するように彼岸への道行きを開始する。彼らは孤独であり、世界と断絶した闇の中にいるのかもしれないが、『曖昧な楽園』は希望を捨てない。映画=カメラはそれが誰であれそこに写る者を決して否定しない奇跡的な装置であることをこの映画がよく知っているからだと思う。この果敢な挑戦を讃えたい。
──諏訪敦彦(映画監督)
時が止まったような巨大な団地。足元でかすかに点滅する光。車が行き交う灰色の道路。まるで遠い星のどこかを映したような無機質さにまず引き込まれた。そしてそこを行き交う人々はみなぼんやりと輪郭を失っていて、なるほどこれはSF映画なのだと確信したが、その確信は間違いだったかもしれない。でもたしかにここに映るのは、どこかには存在するがどこにも存在しない場所であり、私はその曖昧さに惹かれたのだ。
──月永理絵(ライター・編集者)
現実を生きる為の非現実。哀しみのない世界を夢みて悲しみを受け入れる。
──やまだないと(漫画家)
生きていない生。死んでいない死。その曖昧な時間が見事に紡がれる。
時折り青く燃え上がり、音を立ててパチパチと弾ける。送り火を見守っている時のように、気持ちが澄んでいく。
好みを超えて食らってしまった。
──髙橋泉(脚本家)
実体を掴もうとするほど、するすると零れ落ちていく。思いを口にすると、自分の言葉じゃなくなってしまう。そんな時、内に残るのは“曖昧”な感覚。私は一生この感覚から逃れられないでいる。けれど、この映画はそんな“曖昧”が溶けていく。溶けて、音を立てず静かに消えていく。情緒の流れるところに。
──小川あん(俳優)
『曖昧な楽園』には映画づくりに対する真摯な姿勢が映っている。それは、小辻陽平の日々を生きる姿。
──仙頭武則(映画プロデューサー)
生も死も、交わらない2つの物語も、翳りの中でスペクトラムに関わり合っている。
ショットの一つ一つ、その一秒一秒が、目の前からはぐれてしまった世界との関わりを取り戻そうとするかのように。
そこに映画の呼吸が生まれている。
全10,063秒。こんな呼吸を共にするために映画館の暗闇がある。
『曖昧な楽園』を映画館で味わってほしい。
──小原治(ポレポレ東中野)
「曖昧な楽園」
監督・脚本:小辻陽平
出演:奥津裕也、リー正敏、矢島康美、内藤春、トム・キラン
2023年/カラー/167分
© 曖昧な楽園製作委員会
公式サイト:https://aimainarakuen.studio.site