ムック|家の履歴書 文化人・芸術家篇
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表紙・巻頭特集
定価 | 2000円+税 | ページ数 | 384 |
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刊行 | キネマ旬報社 | 発行日 | 2011年7月下旬 |
判型 | A5判 | ISBN | 978-4-87376-361-3 |
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『週刊文春』の人気連載「家の履歴書」(現「新・家の履歴書」)において、著者・斎藤明美(『高峰秀子との仕事』)が「週刊文春」記者時代から今日まで、のべ1200人にわたって取材して来た中からセレクトし、3巻に収録。著者の巧みな聞き書きによって、著名人たちが語る「家」と「わが人生」の物語=数々の感動的なエピソードがあらためて甦る。
『文化人・芸術家篇』では、山田洋次・内館牧子ほか文化人・芸術家38名を収録。
内容 / Detail
目次より
安野光雅 客が残した生菓子を親に内緒で食べるのが“宿屋の倅”の役得だった
西原理恵子 近所をペンギンが徘徊してた高知市浦戸の家が私の原風景
松本零士 隣家三軒の自然崩壊を見て以来、“屋根落下恐怖症”に怯えた少年時代
サトウサンペイ “蟹は甲羅に似せて穴を掘る”じゃないけど、僕はちっちゃな家ばっかりに住んできた
山藤章二 “反骨絵師”の原点は、父を失い母姉兄と苦境は生き抜いた下目黒の借家
藤城清治 大学時代、人形劇の稽古のために和室の柱を取り払い父親との関係が最悪化
笑福亭鶴瓶 お笑いの人は密集した環境の中からしか生まれんのや
桂 歌丸 生まれ育った横浜・真金町の廓「富士楼」が落語に役立っている
萩本欽一 貧困で家族解散。家のない僕に豆腐屋さんが「二階の三畳へおいで」
太田 光 仕事が激減、妻と相方・田中はコンビニでバイト。どん底だった笹塚の家
島田紳助 先は“島田興産”の家賃収入で暮らしながら淡路島で釣り三昧や
山田洋次 満州・大連の八畳の居宅に残してきた落語全集が僕の“喜劇”の原点だった
新藤兼人 十五で広島の生家が解体、一家離散その体験が僕の映画の根底にある
松山善三 結婚する時、高峰秀子は英国風洋館、僕は農家の納屋の二階に住んでいた
倉本 聰 冬は零下三十四度。初めての富良野の家では、朝、布団に霜が降りた
山田太一 母と兄の死、父と継母の諍い……辛いことばかりだった湯河原の家
佐藤忠男 冠婚葬祭の全てをその中で行った、古き良き新潟の生家
澤地久枝 少女時代を過ごした満鉄社宅には子供の目にも如実なランク付が
戸川昌子 同潤会大塚アパートで見た友達の栄枯盛衰が『大いなる幻影』を生む
安岡章太郎 僕はカリエス、父は無職、母は心を病み……悲惨を極めた戦後の鵠沼生活
宮尾登美子 高知の実家が芸妓娼妓紹介業をしていたことは秘して墓まで持っていきたかったが……
出久根達郎 茨城の山村で過した少年期。水道も電気もない家だったが、子供にとっては天国だった
美輪明宏 人は外でも“家”をひきずっている
舟木一夫 遊び人の父が九人目の母に産ませた弟が長屋暮らしの僕の支えだった
山根基世 三十五歳で買った“家”に満足しながらも孤独感に涙がボロボロ
広瀬久美子 結婚するまで住んでいた敷地五百坪の市川の実家は“広い怖い寒い”
永 六輔 年中旅をして“家”にいないから僕の財産である“人”に出逢えた
フジコ・ヘミング 風で障子が鳴り瓦に雨の音がする小学校時代の渋谷の家が一番好き
野上照代 伊丹万作の遺児・十三の世話係として京都に移ったことが人生の転機
平野レミ 十六歳まで暮らした三百坪の千葉の家は果物や草花が実る楽園だった
ピーコ 癌で左目を摘出してから、家はおろか一切の物欲がなくなった
千 玄室 五百年近く続く“家”を継いで、生まれてからずっと京都の同じ家に
藤原正彦 母のベストセラーで吉祥寺に百五十坪の土地購入、父の直木賞で百五十坪買い足した
金田一秀穂 三年間、本郷のマンションでニート生活を送った後、“国語は金田一”三代目の道へ
加藤和也 青葉台の家をもう一度改築して、お袋・美空ひばりと暮らした頃の家に戻したい。
冨田 勲 あらゆる仕事を断り、一年四ケ月、シンセサイザーと格闘した六本木の家。
張本 勲 十八で母に家をプレゼント。契約金で建てた二階家は「御殿に見えましたよ」
内館牧子 初めて大田区洗足池にマンションを買った時は、“十両”になった気分だった