「愛のめぐりあい」のストーリー

雲のなかを飛行機で旅する映画監督の私(ジョン・マルコヴィッチ)。作品を完成した疲労の中から、次の映画のアイディアが生まれる。霧の立ち込めるフェラーラの街へ。<第1話 フェラーラ、ありえない恋の物語>水力技師のシルヴァノ(キム・ロッシ=スチュアート)は出張先の霧の村でカルメンという女(イネス・サストル)に出会う。二人は同じ宿に泊まり、翌日散歩の途中に接吻を交わす。夜、二人はお互いを求めつつも、それぞれ別の部屋に眠った。翌朝彼が目覚めると、彼女はもう旅立っていた。数年後、二人はフェラーラの映画館で再会し、彼女の家に行く。二人は裸で向き合い、彼の手と唇は、彼女の肌や唇に触れる寸前になりつつも、彼は決して彼女に触れることはない。シルヴァノは憮然と立ち上がり、そのまま去っていった。彼はその後もずっと、この一度も自分のものとすることの無かった女を愛し続けたのである。<第2話 ポルトフィーノ、女と犯罪>冬のポルトフィーノの路地で、私は若い女性(ソフィー・マルソー)の後を尾行した。海辺の閑散としたカフェで読書していると、彼女が話かけてきた。自分は父親を殺し。12回刺して殺害し、裁判で無罪になったという。その午後は彼女の部屋で激しく抱き合った。なぜ父を殺したのか、彼女は覚えていない__。私はそんなことよりも、12回という回数の真実に頭がいっぱいになった。映画では、どうしても3、4回にしてしまうだろう。その方がリアルに受け取ってもらえるという妥協から__。<第3回 パリ、私を探さないで>パリのカフェで、イタリア出身の娘(キアラ・カゼッリ)がパリに住むアメリカ人の男(ピーター・ウェラー)に話しかけてから3年、男の妻(ファニー・アルダン)は夫の不実に耐えてきた。自暴自棄でアルコールに溺れる妻の体を男は求める、もう女とは別れると約束しながら。だが別れを告げに来たはずの女のアパートで、男はまた彼女の肉体を貪る。パリ郊外のモダンなアパルトマンに、男(ジャン・レノ)が出張から帰ってくると、家具も妻の姿もない。電話が鳴り、妻が「私を探さないで」とだけ言って切った。そこへ例の夫に裏切られた妻がやってきた。男の妻から部屋を買い取る約束になっているという。二人は互いの境遇を知り、同情と奇妙な共感が芽生える。そこに電話が鳴る。彼女の夫からだ。女は「私を探さないで」とだけ告げ、受話器を置く。南仏を走る列車の中の私。同じコンパートメントに同席した婦人(エンリカ・アントニオーニ)の携帯電話が鳴る。女は「私を探さないで」とだけ言って切る。エクス・アン・プロヴァンス郊外の丘で、日曜画家(マルチェロ・マストロヤンニ)がセザンヌの『聖ヴィクトワール山』を真似て絵を描いている。彼の友達(ジャンヌ・モロー)がコピー文化にかこつけて彼をからかう。私はその彼女が営むホテルに泊まっている。フロントで青年(ヴァンサン・ベレーズ)が建築研究所の住所を聞いた。向かいの建物だ。しばらくして、そこから青年が青いコートの娘(イレーヌ・ジャコブ)を追うように出てくる。私は二人の後ろ姿を見つめる。<第4話 エクス・アン・プロヴァンス、死んだ瞬間(この泥の肉体)>青年は娘といっしょに急ぎ足で歩きながら、しきりと話かける。彼女は口数は少ないが微笑みをたたえている。彼は誰かに恋しているのかと訊ね、彼女はそうだと答える。だからそんな満足した顔をしているのか、と彼。彼女は教会のミサに行くところだった。彼は祈る彼女の横顔に見とれながら、いつしか眠ってしまう。目を覚ますとミサは終わっていた。外に出ると彼女は広場の噴水の側にしゃがみ、路面に彫られた花に触れている。雨が降りだし彼は彼女を家まで送っていった。彼女は足を滑らして転び、朗らかに笑った。別れ際、明日も会えるねと聞くと、彼女は「明日、修道院に入るの」と答える。<エピローグ>雨の中を歩いていく青年の後ろ姿を、私は見つめる。ホテルには様々な人が泊まり、世界には様々な人が生きている。その人間たちの表面を見つめることから、新しい物語、新しい映像、新しい真実を、私は紡ぎだすだろう。