愛情のつばさ
あいじょうのつばさ The Story of one Ring- 上映日
- 1958年6月17日
- 製作国
- ソ連
- 制作年
- 1949
- レーティング
- 一般映画
解説
こうのとりの生態と、人間にも変らぬその愛情などをキャメラにとらえたソ連文化映画。監督はボリス・ドーリン、台本構成はドーリン自身。撮影はV・アスムス、作曲ヴィクトル・オランスキー。学術顧問としてP・マンティフェリ教授とG・デミンテフ教授が参加している。
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ユーザーレビュー
「愛情のつばさ」のストーリー
渡り鳥は、その道すじ研究のために足にアルミの環をつけられる。群をつくって南国に旅をつづける環をつけたこうのとりの一羽が、電線にぶつかり、群から取りのこされたまま、動けなくなった。つれのおすのこうの鳥が一しょに残った。雪が降って来て、きびしい寒さが訪れて来た。ある人がこの残されたひとつがいのこうのとりをみつけ、やがて一組のこうのとりは、人間たちになつき、家の中に住むようになった。春、温かくなるとこうのとりは巣をつくりはじめた。めすが卵をあたためている間に、おすは餌をさがす。やがてひなどりが生れ、親達は餌の野ねずみを求めて何度も飛ぶ。子供のこうのとりは、やがて飛ぶ練習をはじめる。何度もくりかえすうち、遂に一番若いひな鳥も、母親について飛べるようになった。やがて鳥たちは再び群をつくって集り、バルカンをこえ、小アジア、シリア、パレスティナからエジプト、ナイルの上流で冬をこす。だが彼等は、自分でつくった巣を忘れない。春になると、もとの場所へ帰って来る。こうして人間と親しんだ一組は、いつも同じところで春から夏をすごした。一九四二年、戦争がおこり侵入してきたドイツ軍によって人間の家はやかれた。こうの鳥の巣も焼かれた。おすも子供も死に、めすだけが一羽のこった。秋、その一羽は南へ飛びたったが、翌年ソヴィエトの国土に自由がよみがえった時、鳥たちは再び南から帰って来た。めすのこうのとりも、古い巣のあった場所に、新しいおすと生活を始めた。
「愛情のつばさ」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「愛情のつばさ」のスペック
基本情報 | |
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製作国 | ソ連 |
製作年 | 1949 |
公開年月日 | 1958年6月17日 |
製作会社 | モスクワ科学普及映画撮影所 |
配給 | 日活 |
レイティング | 一般映画 |
カラー/サイズ | モノクロ |
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