解説
この作品のレビュー
ユーザーレビュー
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ミャーノフ大佐
ジョン・ヒューストンはこんな題材好きだよな。
映画の始まりは現在のパキスタン、イギリス植民地時代はパキスタンもインドだったから、映画ではインド。時代はイギリス植民地時代だから20世紀初頭くらいか。そこからカイバル峠が出てくるので、アフガニスタンを越えてカザフスタン辺りかと思ったけど、ウェキおじさんの話ではアフガニスタンのはずれとのことだ。あの辺りはおそらくは宗教は仏教であろう。登場人物達も仏僧のような格好をしている。で、アレキサンダー大王の話が出て来て、アレキサンダー大王の息子の帰還を千数百年待っている、周囲から閉ざされた辺境の地だ。
イギリス人のドレイボット(ショーン・コネリー)とカーネハン(マイケル・ケイン)はその僻地の野蛮な原住民を懐柔してそこの王様になろうとする。ドレイボットがたまたま矢にあたっても、革ベルトで助かったり、捕まった時にフリーメイソンのネックレスをしていて、それがずっと待っていたアレキサンダー大王の息子の紋章と一緒だったので、地元民達はドレイボットをその息子の再来として、神として迎える。
と、ここまでは話がトントン拍子なのだが。
ドレイボットとカーネハンは王様になろうとしたんだよな。だけど神としてまつられた時から歯車が狂ってきてしまった。それに、王国の財宝を持ってとっととインドに戻れば良いのに、ドレイボットがスケベ根性出てしまったんだよなあ。もう一歩で夢破れて、と言うところか。
いま観ると、差別的な映画と取られてもしょうがないなあ。イギリス人から観て、中央アジアの偏狭な田舎に住む人々なんて、野蛮で無教養で、西洋人が啓蒙しなきゃいけない対象なんでしょう。原作がそのように書かれているのでしょう。確かに男2人がアフガニスタン奥地まで行く行程の描き方や、現地人との闘いなど面白いのだが、神が結婚するといったところからのシーンと、映画全体で描かれる”野蛮人”に対する目線が気になるかなあ。
ショーン・コネリーとマイケル・ケインの共演なんて珍しいのでは?ショーン・コネリーはもっと重厚な役をやってほしかったなあ。マイケル・ケインはもうけ役と言うところ。
「王になろうとした男」のストーリー
「王になろうとした男」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「王になろうとした男」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | ドラマ |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 1975 |
公開年月日 | 1976年6月12日 |
製作会社 | パースキー・ブライト/デボン・ピクチャー作品 |
配給 | コロムビア映画 |
レイティング | |
アスペクト比 | シネマ・スコープ(1:2.35) |
カラー/サイズ | カラー/シネスコ |
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