八月十五日の動乱

はちがつじゅうごにちのどうらん
上映日
1962年8月22日

製作国
日本

制作年
1962
上映時間
95分

レーティング
ジャンル
戦争

check解説

「脱出」のトリオ・高岩肇のオリジナル・シナリオを小林恒夫が監督した終戦秘話。撮影は藤井静。
映画館で観る
Blu-ray&DVDで観る
TVで観る

ユーザーレビュー

「八月十五日の動乱」のストーリー

昭和二十年の日本。広島に原爆が落とされ、ソ連は宣戦を布告した。首相官邸での閣議は、陸軍は本土決戦を主張、首相はその無謀さを説いて陸相と激しく対立した。連合軍からは八月十五日の正午までに“ポツタム宣言受諾”の回答がなければ、機動部隊の本土攻撃を通告してきていた。その頃、近衛連隊の加賀少佐、川崎大尉、事務局の小島少佐等血気にはやる将校達は陸相に“蹶起案”を示して、不穏な気配をみせていた。万策つきた首相は、宮中に参内して御前会議の開催を上奏した。御前会議は十四日の午後一時ということに決められた。しかし、抗戦派将校の往来が活溌になっているところから、会議を妨害される恐れありとして、秘書官の中島は、小宮侍従をたずねて、御前会議の時刻を繰上げるよう要請した。御前会議は十時に繰上げられた。吹上御苑での会議室では、天皇の御名のもと、ついに無条件降伏受諾の聖断が下った。深夜、宮内省の一室で、情報局総裁と放送協会会長立会いのもと、戦争終結の詔勅を読む天皇の声が録音されようとしていた。そんな頃、近衛師団の師団長室では興奮した川崎、小島、加賀の将校が激論の末、林師団長を射殺。師団長の名のもとに白井大佐が指揮をとり、ニセ師団命令を発令、直ちに坂下門、乾門など宮城の各門を固めて、放送、通信等外部との連絡を遮断した。宮内省の一室で詔勅の録音が終った時、川崎大尉の率いる一隊が宮内省の内部に乱入して来た。しかし、中島秘書官の必死の働きで、録音盤は無事にかくし通すことができた。十五日--。放送された詔勅によって太平洋戦争は終ったのだった。

「八月十五日の動乱」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「八月十五日の動乱」のスペック

基本情報
ジャンル 戦争
製作国 日本
製作年 1962
公開年月日 1962年8月22日
上映時間 95分
製作会社 東映東京
配給 東映
レイティング
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ シネスコ

関連するキネマ旬報の記事

関連記事一覧
1962年9月下旬号 日本映画紹介 八月十五日の動乱
1962年10月上旬秋の特別号 日本映画批評 八月十五日の動乱