解説
「大虐殺」の内田弘三の脚本を、「太平洋戦争 謎の戦艦陸奥」の小森白が監督した歴史もの。「女と命をかけてブッ飛ばせ」の岡戸嘉外が撮影した。
ユーザーレビュー
「皇室と戦争とわが民族」のストーリー
神武天皇の御東征--昭和十二年七月七日芦溝橋に端を発した日中両軍の戦闘。陛下は戦争状態を解決する努力を続けたが、軍の巨大な力をどうすることもできなかった。昭和十六年十一月二十六日、最高戦争指導者会議は開戦やむないとの決議がなされた。陛下は万機公論に決するという明治以来の伝統と、立憲国の君主としての分をあくまでも守らなければならなかった。十二月一日、開戦の議は決せられた。緒戦は華々しかったが、ミッドウェイ海戦の敗北を契機に日本は劣勢にたった。しかし、攻府・軍部は国民をしゃにむに戦争にかりたてた。陛下はひそかに終戦の決意を鈴木首相に打ちあけた。しかし、軍の圧力にあい鈴木首相はポツダム宣言を黙殺した。八月六日、広島に原爆が投下された。八月十五日、遂にポツダム宣言は受諾された。八月三十日、マッカーサー元帥が厚木飛行場に進駐した。日本は被占領国となった。二十一年新春、陛下は年頭の詔書で神であることを否定し人間宣言を発表した。二十二年襲いかかったインフレの荒波は、労働者の生活をおびやかした。ゼネスト、国鉄の首切り、三鷹・松川事件。やがて朝鮮戦争が勃発した。国内は依然として暗雲低迷としていた。二十七年、サンフランシスコ講和条約が結ばれた。「国の春と今こそはなれ露こほる、冬にたへこし民のちかのに」と陛下はその日の喜びをお詠みになった。この年の十一月十日、皇太子は成人式と立太子の儀式をとり行い、三十四年四月十日には正田美智子嬢と結婚。そして明年二月二十三日には親王殿下が誕生した。
「皇室と戦争とわが民族」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「皇室と戦争とわが民族」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 戦争 |
製作国 | 日本 |
製作年 | 1960 |
公開年月日 | 1960年6月11日 |
上映時間 | 95分 |
製作会社 | 新東宝 |
配給 | 新東宝 |
レイティング | |
アスペクト比 | シネマ・スコープ(1:2.35) |
カラー/サイズ | カラー/シネスコ |