アンデッド/愛しき者の不在の映画専門家レビュー一覧
アンデッド/愛しき者の不在
「ぼくのエリ 200歳の少女」の原作者ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの同名小説を「わたしは最悪。」のレナーテ・レインスヴェ主演で映画化したホラー。最愛の人を亡くした3つの家族のもとにアンデッド(生ける屍)となって彼らが還ってくるが……。出演は、「わたしは最悪。」のアンデルシュ・ダニエルセン・リー、「処刑山 デッド・スノウ」のビヨーン・スンクェスト。監督は、本作が長編劇映画デビューとなるテア・ヴィスタンダル。第40回サンダンス映画祭で音楽担当が特別審査員賞を受賞、監督が審査員大賞にノミネート。
-
映画監督
清原惟
ゾンビ映画の定石を、ただただ静謐な映像で捉えているという印象。俳優のお芝居、細かい演出には引き込まれるところはあった。母親を亡くした娘の手先の、ほとんどはげてしまったマニュキアが、泣かずにいる彼女の悲しみを表していた。セットや美しいロケ地の数々に、映像に対する美学を感じるが、生前の人々の関係性や暮らしがあまり想像できないことで、風景がうまく物語と結びついていく感じがない。すでに失われてしまったものを、映画の中で描くことの難しさについて考えさせられた。
-
編集者、映画批評家
高崎俊夫
かつて「霊魂の不滅」というスウェーデンのサイレント映画の名作があったが、これはいにしえの民間伝承のごとき死者への鎮魂というモチーフの復活とみるべきか。あるいはゾンビ映画の一変種ととらえるべきだろうか。北欧のオスロで死者が蘇る奇怪な現象が頻出する。戒厳令下のような沈鬱さが街を支配し、深いメランコリーに囚われた老人と娘は墓を暴き死臭を漂わせる孫と共棲を図るも隠遁生活は崩壊する。そこには死生観の相違だけでは括れない決定的な隔たりを感じてしまうのだ。
-
リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
これまで現実社会のあらゆるメタファーを仮託されてきたゾンビ映画……本作の場合は悲劇相次ぐこのご時世に映画界でますます存在感を増した印象があるサブジャンル、“喪の作業(モーニング・ワーク)”もの。典型的作品であれば冒頭あるいは行間でさくっと処理されてしまうようなゾンビパンデミックの“ゾ”の字あたり、序破急における序の序だけを、ベルイマン的格調で長篇にまで拡大したのが新機軸か。まだまだ掘り下げる余地がある、ゾンビ映画の懐の深さを改めて感じさせてくれる。
1 -
3件表示/全3件