映画専門家レビュー一覧

  • VORTEX ヴォルテックス

    • 文筆業

      奈々村久生

      同じ空間を共有しながら別々の時間を生きる夫婦。人生の終わりに向かう日々を、複数の監視カメラ映像をスイッチングしつつモニタリングするようにつないでいく構成は、悲劇と呼ぶにはあまりにも写実的で等身大。そこにあるのは否応なく流れる時間の静かな暴力性だ。しかしすべてが終わったと見えたとき、エンドロールからの始まりを思い出して、時系列を逆にした「アレックス」の「時はすべてを破壊する」という言葉にたどり着き、時間に抵抗するノエの執着を思い知るのである。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      とてもつらい映画。頭が曖昧になって、いろんなことが次第にわからなくなっていくのに体は達者なのは本当にさみしい。頭がハッキリしてるのに体の自由が利かなくなっていくのもさみしい。がんこになるのもさみしいし醜い。むこうも中年になった昔からの愛人に、相手にされなくなるのも実にみじめ。過去の偉そうな仕事の実績が老いた自分を救ってくれるわけじゃないのもみじめ。いずれ老いゆく者、つまり現代の我々全員にとって必見の映画だと思ったが、あまりにもつらすぎて星は2つ。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      ノエは時折ひどく切ない愛の映画を撮る。恋愛で相手を深く愛する者は、裏切られた時の心の痛みが尋常ではない。正気ではいられないくらいに傷を負う。本作はスプリットスクリーンで、夫のアルジェントがいまだに浮気をして、他の女性に依存している様子を写す。かたや妻のルブランは認知症が進行して徘徊や不始末を起こす。だが夫の大事な原稿を流すのは意図的だろう。彼女は憎悪するほどにまだ愛がある。ノエはまた、彼らの息子を麻薬の売人にし、愛の結晶も負け犬な人間に育つ現実的な苦みを描く。

  • メンゲレと私

    • 映画監督

      清原惟

      収容所生活を生き延びたダニエル・ハノッホさんの語りと、当時のニュースやプロパガンダ映像だけで構成された、シンプルな映画。終戦直後に食料よりもまず鉛筆と紙を求め、一晩中文字や絵を書いたという話に、彼の人間として生きていくことへの強い信念を感じた。迫害されたユダヤ人たちが船で、希望を背負ってパレスチナへと渡っていく話は、そこから今起きている戦争の出口のなさについて思い巡らすことになり、胸が痛い。メンゲレの話が中心ではなく、邦題に少しズレを感じた。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      「SHOAHショア」以後、ナチスによるユダヤ人強制収容とホロコーストの全貌を伝えるのは当事者によるインタビューだけであることが立証されたかにみえる。だが、その唯一真正なる語りはいかに継承され得るのか。91歳のダニエルには最後の生き証人としての決然たる覚悟が窺えるが、彼を寵愛したメンゲレ医師が1400組の双子を縫合する手術を施したという証言には言葉を失う。アドルノの箴言を俟つまでもなくアウシュヴィッツとは未来永劫に亘って失語症を強いるおぞましさの表象なのだ。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      ホロコーストを生き延びた者たちには当時の子どもたちもいる。だからぼく自身が幼い頃は、今は大人であろうかつての子どもたちの記憶に想像を巡らした。だが、そうしたチャイルドサバイバーの研究が加速したのは21世紀だという。「メンゲレと私」はそんなリトアニア人少年の一人たる「私」に取材したドキュメンタリー映画。解放時まだ13歳だった少年は地獄をどのように受け止め、分析し、生き抜いたか? 今は老人の「私」は語る—「カニバリズムを目撃した人間は、何を抱えていると思う?」。

  • 怪物の木こり

    • ライター、編集

      岡本敦史

      亀梨和也の怜悧な人でなしぶり、睫毛の先まで神経が行き届いているかのような一挙手一投足にただ見惚れるばかり。美しく後手に回るプロファイラー役・菜々緒もキャリア最高の輝きを放っている。三池崇史監督の堂々たる職人的演出も快調だ。とはいえPG-12なのでR指定級の過激さは抑えられ、ストーリーも全国区向きだが、それでも日本のメジャー映画としては最上級の画作りが拝める快作。背広のくたびれ刑事たちが居並ぶ三池ノワール・ショットには久々にワクワクした。

    • 映画評論家

      北川れい子

      劇中に登場する絵本『怪物の木こり』を、ティム・バートンが映画化! なんてヤラセの噂がサラッと流れる。そうか。気色悪い導入部はあくまでも恐怖の火種。演出のどこかに空気穴風な隙間を盛り込んで進行するのか、と思っていたら、三池監督、隙間どころか、妙にクールな演出で人物たちを煽り、話自体もとんでもないのだが、こちらもクールに成り行きを観ているだけ。それにしても本作の亀梨和也も「法廷遊戯」の永瀬廉も弁護士役で、いまや弁護士役はアイドルの専売特許?

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      この題材ならば三池崇史の名前に当然惹かれてしまうが、往年の過激さは影を潜め、サイコパスが王道を歩く本作では殺人描写も含めて常識的な範囲に収まっている。誘拐された子どもを使った行為はぞっとさせるだけに、せめて触覚的な感覚を見せてほしかった。プロファイラーの菜々緒が醸し出す雰囲気が良く、上手い演技というわけでは決してないところが逆に異物感を出して突出。「首」に続いて快演を見せる中村獅童が粗暴さの裏にフランケンシュタインの哀しみを抱えた姿で魅せる。

  • 隣人X 疑惑の彼女

    • 文筆家

      和泉萌香

      人間に擬態して暮らしているとの惑星難民X。記者の男を主人公にすえたことにより、謎に包まれたXへの偏見をふくめた大衆の態度よりも、どんなことをしてでも売上とPV数を稼ぎたいマスコミたちのあくどさ、醜悪さが全篇に現れている。ロマンスの始まり、ここぞ、というタイミングで雨が降るのは、人間を超えた何やら別の力が影響を及ぼしているのかと想像を掻き立てたり。だが、主人公の見当はずれの償いの発表に続くその着地点は、ふんわりしすぎているのではないか。

    • フランス文学者

      谷昌親

      惑星難民Xが地球にやってくるというSF的な設定のもと、一種の他者論を展開する興味深い作品だ。ただ、Xのスクープを狙う週刊誌記者の笹が、取材対象の良子に惹かれていく過程でカメラの望遠レンズ越しに良子を見つめるだけに、そこでもっと映画的な表現はできなかったのかと考えたくなる。また、留学生のイレンをめぐる物語も一方で展開するのだが、そもそも移民や難民の問題を扱いたいのであれば、むしろイレンのような外国人の存在をこそ正面から描くべきだったのではないだろうか。

    • 映画評論家

      吉田広明

      自分と異なる者を排除しようとする社会を糾弾するという骨格は「正欲」と同じ。無理筋が目立つのもよく似ている。異論の余地なく「ポリティカルにコレクト」な物語だからといって(奇矯な設定でもいいが)丁寧な人物設定と造形、自然で説得力のある心理描写と展開をおざなりにしていいはずがない。それを踏まえた上で真に異なる世界への飛躍をもたらすのが映画というものではないのか。「正欲」ともども、独りよがりの理想論振りかざして現実置き去りではどこかの条例案と変わらない。

  • 父は憶えている

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      村中のごみを無言で回収してまわる父のなかには、もちろん彼なりの道理があるのだが、それが何なのかは決してわからない。代わりにはっきりと見えてくるのは、彼の帰還によって揺さぶられる周囲の人々の変化。失われた愛は、長い眠りから目覚めたかのように色づきはじめる。基本的に人物の動きに合わせて柔軟に動くキャメラが、まるで適度な距離を保ってその人物を見守りつづけているかのようであり、その結果わたしたちも、その人物に対して親密な感情を抱かずにはいられなくなる。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      キルギスのアクタン・アリム・クバト監督が監督・主演。23年ぶりにキルギスの村に戻ってきた老人が巻き起こす静かな騒動を描く。携帯電話が画面に出なかったら、とても21世紀の話とは思えないほど時間が止まったかのような村で、日本人とよく似た風貌ながらも、皆が敬虔なイスラム教徒であり、ロシアの強い影響下の中で生きている人たちの生活を丁寧に観るという文化人類学的な面白さ。私たちに似ているとても異なる人々の普遍的家族愛。いっそドキュメンタリーの方が向いている題材なのではないか。

    • 俳優、映画監督、プロデューサー

      杉野希妃

      行方知らずだった男の23年間は一切語られない。記憶と言葉を失った理由も明確にわからない。家族や友人たちは記憶を取り戻そうと必死だが、男は動じず、ただ黙々とキルギスの村のゴミを拾い続ける。力強く根を張る木々、木立のざわめき、素朴で美しい歌声……感覚に訴えかけてくる演出ひとつひとつがゆったりどっしりとしていて、果てしない奥行きを感じる。生命の根源的な力が本作には宿っている。人間はただ生きているだけで尊い。そんなピュアな気持ちを呼び覚まされる稀有な作品。

  • バッド・デイ・ドライブ

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      オリジナル版と他言語版は残念ながら観ていないのだが、基本設定が確かに魅力的。残り3分の1になってから突然ツッコミどころが増えたり、動機づけを含めて急に展開が雑になる気がするけれど、短い上映時間でシンプルに語るべき題材である以上、欠点と断言するほどではないかもしれない。家庭人として完全に失格かと思いきや、危機に瀕した途端、この上なく頼もしい父親へと変貌するリーアム・ニーソン無双。役柄よりも歳上すぎるという難点を、身のこなしの若々しさで華麗にカバー。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      今年主演作が3本公開されるリーアム・ニーソン。本作は2015年のスペイン映画「暴走車 ランナウェイ・カー」のリメイク。金融マンが車に爆弾を仕掛けられ、犯人の指示でさまざまな困難に直面する。いつものニーソン映画同様、スピーディーでサスペンスフルかつ不死身。またニーソン映画同様に低予算短期間撮影ものでニーソン以外のキャストに華がない。同じような役柄で低予算アクション映画を連発するニーソンは低予算アクション映画の船越英一郎だ。大ヒットも芸術も狙ってないところが苛立たしい。

    • 俳優、映画監督、プロデューサー

      杉野希妃

      リーアム・ニーソンが車という閉鎖的な空間で着座のまま闘い、犯人と対峙するまでの90分。彼の鬼気迫った渋い顔をアップで見続けるだけでも眼福だが、「スピード」や「フォーン・ブース」といった作品がチラついて既視感を拭えない。クライマックスはあらかじめ決めた結末からの逆算でアクションを組み立てているのが明白でやや物足りない。一番大切なものを強調したいがゆえのラストの回想三連発が作品をチープにしている。資本主義の弊害を量産型アクション映画で描くという皮肉。

  • ほかげ

    • 文筆家

      和泉萌香

      ひとりの女と男たちとひとりの子供。焼け焦げになった街や生活が、戦争そのものが、文字通り家の中に強烈に横たわっている。登場人物たちの輪郭、魂はゆらゆらと揺れ動きながらも儚さを拒み、特定の時間帯を感じさせない橙色の灯りが、彼らはここにいると強く染め上げている。こちらも役者陣の顔にぐっと迫る作品で、塚尾桜雅くんの真っ黒な瞳はきっと劇場の暗闇をも圧倒することだろう。名前も呼ばれないまま、道に放り出される子どもたちを決して増やしてはいけないのに、現実はずっと……。

    • フランス文学者

      谷昌親

      「野火」の一種の続篇とも、対になる作品とも言えそうだ。居酒屋の女と戦争孤児の少年に、若い復員兵、片腕の動かぬ男が絡んで物語は展開するが、逆に言えば、ほぼこの4人だけで構成された作品だ。特に前半は居酒屋から一切出ない室内劇の緊張感のなかで終戦直後の日常が描かれる。一転して戸外で展開する後半では、戦争のもたらす狂気が表現される。筭本晋也監督自身がカメラをまわした撮影がすばらしく、作品世界の質感までも感じさせつつ、彼ならではの世界観を表出させている。

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