祈りの映画専門家レビュー一覧
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ライター
石村加奈
歩くそばから崩れ落ちそうな砂地の山。村を追われた一家が路頭に迷う雪の中。兄を殺された妹が転がるように下山する姿。圧巻のロケーションで蠢く、ちっぽけな人間を引き画で捉える。手も饒舌だ。塀に埋められた手、炎の中でパンをこねる手、裁きの名のもと、人に刃をつきつける手、哀しみに顔を覆う両手、そして祈りを捧げるのもまた、人の手である。まるで幻を追うようなデジャヴ的展開で、映画は「人の美しき本性が滅びることはない」という冒頭の言葉へと帰着する。美しい映画だ。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ジョージア山岳地帯のキリスト教共同体とムスリムのチェチェン人の抗争が背景のようだが、そのあたりは一見して分かりやすくはない。内部対立を可視化させたくないソビエト連邦時代ゆえか。その代わりに本作は、ドライヤーやムルナウ、いやグリフィスにまで遡行する映画の野蛮な画面独裁によって見る者を圧倒する。軒下の暗がりからヌッと悪魔的人物が陽の下に顔を晒す際の、客人の死を悼むムスリム女性が黒服で走り抜ける際のゾクゾクする物質性。布の、石壁の、雪の官能性。
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脚本家
北里宇一郎
67年の作。初期のパゾリーニとかホドロフスキーのタッチを思わせて。ぽんと材料を放り出し、塩をまぶしただけの味わい。荒々しい。民族の対立、頑迷な慣習、憎悪、殺し合い――人間、このどうしようもなさに作り手はため息をつく。だけど個々の心を絞りに絞れば、底に何か美しい滓が残るのではないか。それが人間の“芯”というものでは。そんな希望がうかがえて。するりとこちらの身中に入ってこない映画。が、捨てがたい魅力があるのは、人間を信頼したい、その祈りが胸を打つから。
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