クソみたいな映画の映画専門家レビュー一覧

クソみたいな映画

お笑いコンビNON STYLEの石田明が脚本を手がけた異色作。コメディ映画を上映している小さな映画館に、職業もバラバラの5人の男女がやって来る。実は、彼らは偶然居合わせたわけではなく、フィアンセを殺された一人の女によってこの場所に集められたのだった。出演は「血まみれスケバンチェーンソー」の内田理央、「シライサン」の稲葉友。劇場公開に先がけ、2019年4月、島ぜんぶでおーきな祭 第11回沖縄国際映画祭、同年10月に京都国際映画祭にて上映。
  • 映画評論家

    川口敦子

    明日の自分に嫌われたくないからと愚直に正しく在ろうとする青年、彼をめぐる人々と出来事以上に映画そのものにイライラが募る。山積みの不快さといえば「フォーリング・ダウン」なんて映画もあった、復讐のヒロインといえば「黒衣の花嫁」よかったなあと逃避モードに浸り込む。明日の自分よりまずは今、ここにいる観客を愉しませる物語りの術、技を練って欲しい。無駄に複雑な構造と演技がうんざりの元凶だ。タイトルを皮肉でなく体現してしまった一作――なんて笑えない。

  • 編集者、ライター

    佐野亨

    拷問のような最初の20分を経て、明かされる入れ子構造。上田慎一郎の「カメラを止めるな!」、あるいは松本人志の「R100」を意識したのだろうか。しかし映画を利用した復讐、というモティーフを描くにあたって、いちいちその映画表現をもちいることの必然性が用意されていないため、これならべつに舞台劇でもコントでもいい、ということになってしまう。ましてエンドロールはスマホの画面であり、これが映画だというならずいぶんなめられたものだと言わざるをえない。

  • 詩人、映画監督

    福間健二

    宅急便の配達員が、雇用者とその妻、配達先の客などの悪意に翻弄され、それが直接の原因ではないが、疲労の果てに事故で死ぬ。恋人であるヒロインがそのイヤな人物たちに復讐するために映画を使う。なんという手の込み方か。石田明の脚本。演劇的手法の「嘘」が複層化しているが、芝監督は映画的真実で対抗していない。無理でもやりきったという構造を最後には感じさせる。としても、このタイトルはダメ。ヒロインに彼女が劇中で作る映画をそう呼ばせるのも含めて、ひどいセンス。

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