ジョン・フォード

  • 出身地:アメリカ、メイン州ケイプ・エリザベス
  • 生年月日:1894/02/01
  • 没年月日:1973/08/31

略歴 / Brief history

【西部劇の名作を次々に手がけた巨匠】両親はアイルランド移民、11人兄弟の10番目としてメーン州ケイプエリザベスに生まれた。1895年に生誕したという説もあり、墓石には95年の方が彫られている。本名はJohn Martin Feeney。半世紀以上のキャリアで140本の映画を監督した。ポートランド高校で学び、1914年7月、映画監督、俳優をしていた12歳上の兄のフランシス(1881-1953)を頼ってハリウッドへ。俳優となり、ジャック・フォードと名乗る。D.W.グリフィス監督の「國民の創生」にもクランスマンの一人として出演した。大道具係、助監督を経て、17年に二巻ものの西部劇で監督となる。フォードの回想によると、ユニヴァーサルのボスであるカール・レムリが「ジャック・フォードに仕事をさせろ、あいつの叫び声はいい」と言ったからだという。以後、2、3日の撮影期間で1本というペースで、二、三巻ものを量産。20年に、3年間で36本を監督したユニヴァーサルを離れてフォックスに移る。23年の「俠骨カービー」からジョンの名前を使い始めた。大陸横断鉄道の建造をテーマにした「アイアン・ホース」は、製作費28万ドルで全世界での興行収入が200万ドルを超える大ヒットとなり、彼の才能が認められるようになった。28年にフォックス初のトーキー「マザー・マクリー」を監督。この映画にエキストラで出ていたジョン・ウェインとは、その後長く実り多いコンビを組むことになる。【フォード一家と西部劇】ウェインの出世作となった「駅馬車」(39)は、シャイアン族の襲撃をかわしながらひた走る駅馬車と乗客たちの多彩な人間ドラマがテンポよく描かれ、今日では西部劇の古典となっている。ウェインとは騎兵隊三部作「アパッチ砦」(48)、「黄色いリボン」(49)、「騎兵隊」(59)ほか多くの作品でも組み、彼のほかにもハリー・ケリー(フォードの無声映画25本に出演)、ウォード・ボンド、ヴィクター・マクラグレン、ベン・ジョンソンなどを好んで起用し、彼らはフォード一家と呼ばれている。46年、メリアン・C・クーパーと組んでアーゴシーを設立し、「三人の名付け親」(48)、「幌馬車」(50)、「静かなる男」(52)等を製作し、56 年に解散。西部劇だけではなく、アカデミー賞監督賞を受賞した二作「男の敵」(35)、「怒りの葡萄」(40)のように危機的状況にある男の行動と心情を綴る作品もあれば、少女スターのシャーリー・テンプル主演作「軍使」(37)、文芸映画「わが谷は緑なりき」(41)、「逃亡者」(47)、南海メロドラマ「ハリケーン」(37)、軍隊を舞台にした「長い灰色の線」(54)、「ミスタア・ロバーツ」(55)と、ヴァラエティに富んだ作品群を手がけている。

ジョン・フォードの関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • 海ゆかば(1974)

    制作年: 1974
    1941年12月7日日本軍による真珠湾攻撃に端を発した日米の第2次世界大戦の模様をジョン・フォード撮影指揮による米海兵隊指令部が撮影したドキュメント・フィルムを、山田洋造と御法川清一が編集した。音楽は利根常昭が担当。1974年作品。
  • 荒野の女たち

    制作年: 1965
    ノーラ・ロフツの短編小説「中国風の終幕」を「ミサイル空爆戦隊」のジャネット・グリーンとジョン・マコーミックが脚色、「シャイアン」のジョン・フォードが監督したヒューマニズムドラマ。撮影は「長く熱い夜(1958)」のジョセフ・ラシュル、音楽は「ビッグトレイル(1965)」のエルマー・バーンスタインが担当した。出演は「女が愛情に渇くとき」のアン・バンクロフト、「イグアナの夜」のスー・リオン、舞台出身のマーガレット・レイトン、「北京の55日」のフローラ・ロブソン、ほかにベティ・フィールド、アンナ・リーなど。製作は「シャイアン」のバーナード・スミス。
  • シャイアン

    制作年: 1964
    マリ・サンドスの同名小説をジェームズ・R・ウェッブが脚色、「リバティ・バランスを射った男」のジョン・フォードが演出した西部劇。撮影はウィリアム・H・クローシア、音楽はアレックス・ノースが担当した。出演は「西部開拓史」のジェームズ・スチュアート、同じくキャロル・ベイカー、「7人の愚連隊」のエドワード・G・ロビンソン、「誰が私を殺したか?」のカール・マルデン、「アラビアのロレンス」のアーサー・ケネディ、「栄光への脱出」のサル・ミネオ、「長い船団」のリチャード・ウィドマーク、「ビッグ・サーカス」のギルバート・ローランドなど。製作はバーナード・スミス。
    60
  • リバティ・バランスを射った男

    制作年: 1962
    モンタナ州立大学教授ドロシー・M・ジョンソンが1949年に書いた同名小説をジェームズ・ワーナー・ベラとウィリス・ゴールドベックが共同脚色、「馬上の二人」のジョン・フォードが監督した異色西部劇。撮影は「馬上ー」と同じくウィリアム・H・クローシア、音楽はシリル・モックリッジが担当。出演は「コマンチェロ」のジョン・ウェイン、「馬上の二人」のジェームズ・スチュアート、「連邦警察」のヴェラ・マイルズほかにリー・マーヴィン、ウディ・ストロード、エドモンド・オブライエンなど。製作はウィリス・ゴールドベック。
    74
  • 西部開拓史

    制作年: 1962
    1830年から80年代に至る50年間に、ある開拓一家が3代にわたって経験した西部開拓の物語でシネラマ劇映画第1作である。ライフ誌に連載された絵物語にヒントを得たジェームズ・R・ウェッブが195冊の歴史書をもとに脚本を書いた。監督は第1、第2、第5話が「アラスカ魂(1960)」のヘンリー・ハサウェイ、第3話が「リバティ・バランスを射った男」のジョン・フォード、第4話を「嬉し泣き」のジョージ・マーシャルが担当。出演は「太陽にかける橋」のキャロル・ベイカー、「ママは二挺拳銃」のデビー・レイノルズ、「ロープ」のジェームズ・スチュアート、「恐怖の岬」のグレゴリー・ペック、「ハタリ!」のジョン・ウェイン、「ティファニーで朝食を」のジョージ・ペパード、「フロッグメン」のリチャード・ウィドマーク、「怒りの葡萄」のヘンリー・フォンダ、「終身犯」のカール・マルデン、同じくセルマ・リッターなど。撮影は「黙示録の四騎士(1961)」のミルトン・クラスナー、「硫黄島の英雄」のジョセフ・ラシェル、「ブルー・ハワイ」のチャールズ・ラング、「九月になれば」のウィリアム・ダニエルスの4人が担当。音楽は「偽の売国奴」のアルフレッド・ニューマンである。「エルマー・ガントリー 魅せられた男」のバーナード・スミスが製作した。
    90
  • ドノバン珊瑚礁

    制作年: 1962
    ジェームズ・A・ミッチェナーのオリジナル・スートリーを「馬上の2人」のフランク・S・ニュージェントとジェームズ・エドワード・グラントの2人が脚色し、「西部開拓史」のジョン・フォードが制作・監督したコメディ。撮影は「リバティ・バランスを射った男」のウィリアム・クローシア、音楽は「リバティ・バランスを射った男」のシリル・モックリッジ。出演者は「西部開拓史」のジョン・ウェイン、「皆殺しのトランペット」のリー・マーヴィン、「ダイヤモンド・ヘッド」のエリザベス・アレン。ジャック・ウォーデン、シーザー・ロメロなど。