ニコライ・グベンコ

ニコライ・グベンコの関連作品 / Related Work

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  • クー!キン・ザ・ザ

    制作年: 2013
    ソ連製カルトSF「不思議惑星キン・ザ・ザ」を、監督のゲオルギー・ダネリヤ自身がアニメーション映画化。チェリストのチジョフとDJ志望の青年トリクは、モスクワの大通りで宇宙人と遭遇し、キン・ザ・ザ星雲の惑星プリュクにワープしてしまうが……。ダネリヤは本作完成後、88歳で急逝し、これが遺作となった。タチアナ・イリーナが共同監督を務める。
  • チェルノブイリ黙示録

    制作年: 1990
    1986年4月にソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起きた原発事故のその後を取材したドキュメンタリー。事故の直後に、「チェルノブイリ・クライシス 史上最悪の原発事故」86、「チェルノブイリ・シンドローム その後の史上最悪の原発事故」87という二本のドキュメンタリーが作られたが、前者の監督はすでに放射能障害で死亡、幸いにも命をとりとめた後者のロラン・セルギェンコ監督とスタッフが現地取材を続けた結果、この作品が完成した。映像は、真相も知らされぬまま危険な事故処理作業に携わった人々や、放射能障害に苦しみ続ける子供たちなど膨大な数の被害者を多角的にとらえ、事故の責任を追求する。また環境保護運動の人々の話や、日本の原発などの取材も行っており、一部ではドキュメンタリーとして高い評価を受けながら、あまりに鋭く事故の責任を追求しているために、ソビエト国内では公開されなかった。
  • 私は20歳

    制作年: 1962
    60年代のモスクワを舞台に、当時のロシアの若者の姿を追った青春映画。62年に製作されたものの、フルシチョフによって検閲され、修正版が作られた。しかし65年のヴェネチア映画祭でこの版は審査員特別賞を得ると同時に、第1回ローマ国際映画祭で金賞を受賞。90年に監督自ら復元版を完成、日本がこの復元完全版の世界初公開となった。マルレン・フツィエフ監督は、セルゲイ・パラジャーノフと同じく、イーゴリ・サフチェンコ監督モスクワ国立映画大学で師事し、58年に第1作『二人のフョードル』を完成させた。その後、ミハイル・ロンムの遺作となった『それでも私は信じる』を共同で完成させるなど製作を続けている。脚本はG・ダネリア監督の『私はモスクワを歩く』で高い評価を得たゲンナジー・シバリコフ。ヌーヴェル・ヴァーグ的作風を彷彿とさせる撮影は、後にバレエ映画『アンナ・カレーニナ』(日本未公開)を監督し、直後に他界したマルガリータ・ピリーヒナ。音楽はN・シデリニコフが担当し、ロシア民謡とともに、『聖者の行進』を始めとするアメリカのジャズやダンス・ミュージックが使用されている。美術はイリーナ・ザハーロワ。出演は主役のヴァレンティン・ポポフ、本作出演後にミハルコフの「五つの夜に」に出演したスタニスラフ・リュブシン、マリアンナ・ヴェルティンスカヤなど、新人俳優で固められている。その中には後に一連のアンドレイ・タルコフスキーの作品に顔を覗かせるニコライ・グベンコも含まれている。また、まだ若々しいアンドレイ・タルコフスキー、ミハイル・コンチャロフスキーや、エフトゥシェンコ、アフマドゥーリナといった著名な詩人たちも姿を見せている。