- キネマ旬報WEB トップ
- 斎藤憐
斎藤憐の関連作品 / Related Work
作品情報を見る
-
上海バンスキング(1988)
制作年: 1988昭和初期から終戦まで上海に滞在したジャズメンたちの青春群像を描く。斎藤憐原作の同名舞台の映画化で、脚本・監督はこれが第一回作品となる串田和美、撮影は「刑事物語5 やまびこの詩」の丸池納がそれぞれ担当。 -
上海バンスキング(1984)
制作年: 1984昭和10年代、20年代の国際都市・上海を舞台に、ジャズに生き死んでいったバンス(前借り)キングたちの自由奔放な青春を描く。斎藤燐原作による自由劇場の同名ヒット舞台劇の映画化で、脚本は「化粧」の田中陽造と「里見八犬伝(1983)」の深作欣二の共同、監督は深作欣二、撮影は「地平線」の丸山恵司がそれぞれ担当。70点 -
在韓被爆者 無告の二十六年 倭奴へ
制作年: 19711971年7月1日、すなわち戦後26年目の7月1日、日本国総理大臣佐藤栄作は韓国に飛んだ。買収や、票の水増しあるいは粉失などあらゆる不正行為を行って再選された朴大統領就任式に列席するためである。1971年6月30日、釜山の八名の原爆被災者、すなわち、26年前の8月6日に、あるいは両親が土地を奪われた結果として、あるいは強制収用の結果として広島に住んでいた8名が、21時発ソウル行普通急行に乗り込んだ。佐藤首相あての直訴状をたずさえた彼女たちの身体は、26年前の被爆と、その後のまったくの放置状態の結果、徹夜のソウル行を不可能にしていた。しかも、五チウオンほどのソウル行の旅費は、彼女たちにとって二カ月分の生活費にあたり、寝台車に乗ることや、昼にたってソウルに宿泊することは不可能なことだった。にもかかわらず、彼女たちは出発した。どうしても旅費の都合のつかなかった被爆者たち、床から起きあがることのできない人々を釜山に残して……。