森光子 モリミツコ

  • 出身地:京都市中京区木屋町の生まれ
  • 生年月日:1923年5月9日
  • 没年月日:2012年11月10日

略歴 / Brief history

京都府京都市の生まれ。本名・村上美津。京都の木屋町で待合旅館を経営していた元芸妓の母は俳優・嵐寛寿郎の妹で、時代劇の大スター“アラカン”の17歳離れた従妹にあたる。1935年、アラカン率いる嵐寛寿郎プロ(寛プロ)の「なりひら小僧・春霞八百八町」に、茶屋の娘役で映画初出演。“森光子”の芸名を名乗る。以後、寛プロの専属となり、「鞍馬天狗・江戸日記/前篇」「右門捕物帖・花嫁地獄変」などに続けて出演。36年、府立第一高等女学校(現・鴨沂高校)に進むが母の病死で中退し、改めて入った寛プロは37年に解散して、作品の配給先だった新興キネマ(のちの大映)京都撮影所に110余名とともに移籍する。数々の娯楽作で可憐な娘役をつとめ、主な作品に伊藤大輔監督、市川右太衛門主演の「剣豪荒木又右衛門」38、同社の名物・鈴木澄子主演の“化け猫映画”「怪猫謎の三味線」38、ミス・ワカナ、玉松一郎ら吉本興業のスターの大量引き抜きが芸能史に残る騒動になった森一生監督「お伊勢詣り」39、大ヒット作の続編「続阿波狸合戦」40など。夫婦漫才の先駆者であるワカナには目をかけてもらう。しかし、新興京都での活動に満足できず、いったんは映画女優を引退して歌手活動を始める。42年に東海林太郎、43年には松平晃に付いてボルネオ、ジャワなど外地の前線を慰問。船が魚雷を受けるなど九死に一生を得る体験をする。戦後は進駐軍を相手に歌うなど、がむしゃらに働いたが、48年、結核に倒れ、約3年間の闘病生活を送る。52年、NHKラジオ大阪『エンタツちょびひげ漫遊記』で復帰。朝日放送専属となってミヤコ蝶々・南都雄二の『漫才学校』54などのラジオ番組に次々と出演する。テレビには草創期から出演し、コメディ番組『ダイラケのびっくり捕物帖』57では小太刀の名手・お妙役で人気を上げる。57年には宝塚映画「強情親爺とドレミハ娘」で16年ぶりに映画出演。58年、梅田コマ劇場の舞台を偶然に見た劇作家・菊田一夫に誘われ『花のれん』に出演。菊田からは「君は脇(役専門)だね」と宣告されるが、これを機に東京へ移り、三益愛子主演の芸術座『がめつい奴』59で好演を見せる。59年、テレビ演出家の岡本愛彦と結婚(64年に離婚)。60年には菊田作『がしんたれ』で林芙美子に扮して評判になる。この演技が菊田を動かし、菊田の作・演出『放浪記』の61年10月の初演につながる。泥くさい田舎娘だった芙美子の女流作家になるまでの激しい生きざまと、芸歴25年余で初めて大役を掴んだ自身の不屈が重なり合い、大ヒットして8カ月のロングランを記録。本格舞台女優としてようやく脚光を浴びる。61年は、4年ぶりに映画にも出演。「喜劇・駅前団地」61で伴淳三郎の気のいい奥さんを艶っぽく演じ、「トイレット部長」61、「その場所に女ありて」62などにも起用される。庶民的な美人で、がさつな役にも品を出せる芸達者ぶりが改めて評価され、60年代は貴重な脇役として活動。主な作品に豊田四郎監督「台所太平記」63、田坂具隆監督「冷飯とおさんとちゃん」65、中村登監督「暖春」65、成瀬巳喜男監督「乱れ雲」67、恩地日出夫監督「めぐりあい」68など。井上和男監督「『可否道』より・なんじゃもんじゃ」63では主役をつとめる。テレビドラマにも、フジテレビ『大番』62、NHK『おはなはん一代記』62など多数出演。主演のTBS『時間ですよ』70は笑いと人情満載で視聴率30%以上を稼ぎ、89年まで断続的にシリーズ化される。家族と従業員みなに慕われる銭湯・松の湯のおかみさん役は、ドラマでの最大の当たり役に。71年、10年ぶりに『放浪記』を再演してヒットさせ、その後は定期的に上演。ミス・ワカナの半生を演じた『おもろい女』78、嘘つき女の喜劇『雪まろげ』80も再演を続ける。87年、市川崑監督「映画女優」で久しぶりに映画出演。田中絹代(吉永小百合)の母親役で、戦前の映画界を知るキャリアの厚みを見せる。84年に紫綬褒章、92年に勲三等瑞宝章を受章。ジャニーズ所属タレントとの親密な交流が話題を呼ぶなど、21世紀に入っても人気現役女優であり続ける極めて別格の存在に。代表作『放浪記』は上演回数更新のたびに評価が増し、小説の入選に喜んだ芙美子のでんぐり返しの場面を続ける姿が国民的注目の的となる。NHK『ハルとナツ・届かなかった手紙』に出演した05年、文化勲章を授与。08年に『放浪記』のでんぐり返しを断念、万歳三唱の演技に変更するが上演は続け、09年の89歳の誕生日に上演回数2000回(千秋楽で2017回)を達成する。これにより国民栄誉賞を受賞。俳優では長谷川一夫、渥美清に次いで3人目で、存命中では初。女優としても初の栄誉となった。2012年11月10日心不全のため死去。

森光子の関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • 千年の恋 ひかる源氏物語

    制作年: 2001
    男性社会の中で源氏物語を書き上げた紫式部の想いを、オールスターキャストで描く歴史絵巻。監督は、演出家として知られ、本作が初の劇場用作品となる堀川とんこう。脚本は「北京原人 Who are you?」の早坂暁。撮影を「長崎ぶらぶら節」の鈴木達夫が担当している。主演は、「長崎ぶらぶら節」の吉永小百合と「柔らかな頬」の天海祐希。第25回日本アカデミー賞最優秀美術賞、優秀作品賞、優秀主演女優賞(吉永小百合)、優秀助演男優賞(渡辺謙)、優秀助演女優賞(天海祐希)、優秀脚本賞、優秀撮影賞、優秀照明賞、優秀編集賞、優秀録音賞、優秀音楽賞受賞、第44回ブルーリボン賞主演女優賞(天海祐希)受賞、東映創立五十周年記念作品。
    50
  • 川の流れのように

    制作年: 2000
    60年振りに故郷に戻ってきた女流作家と、無為な日々を送っているかつての友人たちの心の交流を描いた人間ドラマ。監督は「マンハッタンキス」の秋元康。脚本は、遠藤察男と秋元監督の共同。撮影を岡崎俊彦が担当している。主演は「もののけ姫」の森光子。
  • もののけ姫

    制作年: 1997
    森を侵す人間たちと荒ぶる神々との闘いを、日本アニメ史上空前の製作費による壮大なスケールで描いた長編アニメーション。監督・原作・脚本は「紅の豚」の宮崎駿。声の出演は「はるか、ノスタルジィ」の松田洋治、「平成狸合戦ぽんぽこ」の石田ゆり子ほか。97年末の時点で107億円という空前の配給収入を記録する大ヒットとなり、それまでの日本映画の最高記録であった「南極物語」の58億円はおろか、日本の配収記録である「E.T.」の95億円も抜いて、歴代配収第1位の座に輝いた。また、アニメーション作品として初めて日本アカデミー賞作品賞にも輝き、98年中にはディズニーの配給により全米公開も行われる予定である。97年度キネマ旬報ベスト・テン第2位、同・読者選出ベスト・テン第1位。
  • 映画女優(1987)

    制作年: 1987
    日本映画史にその名を残す大スター田中絹代の映画デビューの頃から41歳までの半生を描く。脚本は原作となった『小説・田中絹代』(読売新聞社刊/文春文庫版)を書いた「落葉樹」の新藤兼人と「鹿鳴館」の日高真也と同作の市川崑、監督は市川崑、撮影は「雪の断章 情熱」の五十畑幸勇がそれぞれ担当。
    82
  • グアム島珍道中

    制作年: 1972
    ライバル旅行社に働く二人の男女の若者が織りなす恋とビジネスをグアム島を背景に描く青春映画。脚本は「喜劇 ここから始まる物語」の田波靖男、監督は「若大将対青大将」の岩内克己、撮影は上田正治がそれぞれ担当。1972年に「喜劇 やさしくだまして」のタイトルで完成。
  • 誰のために愛するか

    制作年: 1971
    原作は、発売後一年足らずで百五十万部を超えるベストセラーになった曽野綾子の同名エッセイ集。映画は、その中心読者となっている平均的な若い女性を主人公に設定し、そのヒロインの悩みや苦しみを通して、原作の母と娘の愛、娘と既婚の男性との愛といった5つの愛の問題をドラマの中で分析していこうというもの。脚本は「奇妙な仲間 おいろけ道中」の鎌田敏夫。監督は「その人は女教師」の出目昌伸。撮影は「若大将対青大将」の原一民がそれぞれ担当。