記事
「検索結果」の検索結果
(50件)
-
「オリジナルをなぞって日本食にアレンジ」大根仁監督インタビュー
2019年5月11日『モテキ』から7年。この間、常に新作を待望され、いずれもその期待に応えてきた大根仁の長篇第5作は、韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』のリメイク。何をやっても「定評のある」大根は、人々の記憶にも新しいヒット映画をどのように見せてくれるのか。 ―オリジナルの公開当時、劇場に3回見に行ったそうですね。なぜですか? すごく面白いと思った映画は、仕事として、何度も見に行くようにしているんです。1回目は普通の観客として見ているので、2回目で脚本、撮影、照明、編集、音楽などを確認する。3回目は「なんでこんなによくできているのか」を総合的に分析しつつ、CGの使い方やエキストラの動き方など、2回目でも見逃していた部分を確認します。 ―他に、どんな映画を繰り返し見ましたか? デイヴィッド・フィンチャーとかイ・チャンドンの映画なんて5回くらい見ないと…見てもわからないことがあるので何度も見ます。物語がどうこうではなくて、複雑なレイヤーを分析する作業といいますか。 オリジナルは30回くらい見た ―オリジナルの『サニー 永遠の仲間たち』で特に「よくできている」ポイントは? 自分の映画は音楽を絡ませることが多いから、音楽が物語と無理なく馴染んでいることに感心しました。韓国映画のいいところは、良くも悪くも非常に直情的というか、喜怒哀楽がはっきりしているところで、『サニー』はそのバランスがものすごく取れている。前半であれだけ笑わせておくからこそ、後半を牽引する力になっていると思います。 ―リメイクが決まってからも見ましたか? さらに30回くらい見ていると思います。 ―それはなぞらないようにするためですか? むしろなぞるようにするためです。小説や漫画を2時間の映画にするときは、もう一度生まれ変わらせるために換骨奪胎の作業が必要です。でも、今回のリメイクではオリジナルの構成を崩す必要がないと思ったので、何度も見ながら脚本に起こしました。そして、過去パートを90年代の女子高生に、現代パートを今のアラフォー世代に置き換えたものを一回作ってみて、そこから出汁を効かせて、味を調えて、日本食にアレンジしたみたいな。 コギャルの時代ならイケるかも (C)2018「SUNNY」製作委員会 ―そもそも、過去パートをオリジナルの80年代から90年代に変えたのはなぜですか? プロデューサーの川村(元気)君から「リメイクできるんじゃないですか?」って言われて、僕は「無理だよ」と言いました。オリジナルは、80年代の民主化運動という、韓国社会におけるターニングポイントが背景だから、そのまま日本の80年代に置き換えても成立しない。川村君から「じゃあどうやったらできますか?」と聞かれて、「90年代のコギャルの時代ならイケるかもね」と。 ―確かに、コギャルの時代ほど画的に強い時代はないですよね。 当時“女子高生ブーム”と言われていたし、音楽業界も派手だった。時代設定を明確にはしていないんですけど、奈美(広瀬すず/篠原涼子)は95 年の震災で被災して引っ越してきたので、95〜97 年のどこかです。バブルが弾けて、10年くらいかけて不景気の波が押し寄せてきて、大人たちの元気がなくなっていく社会情勢のなか、女子高生たちだけがむちゃくちゃテンションが高くて、世紀末パーティーみたいなものを謳歌しているように見えたんです。 ―広瀬さんや池田エライザさんからは「当時のギャルたちはどんな気持ちで日々を過ごしていたのですか?」と質問されたそうですが、どう答えましたか? コギャルだった人たちにレクチャーをしてもらいました。今は上品な奥様たちが、「何 も考えていなかったよね〜」「なんか調子に乗ってたよね〜」と、ちょっと恥ずかしそうでした。何も考えていないからあのテンションでいられたことが大事なのかなと。 記事の続きは『キネマ旬報』9月上旬号に掲載。本号では、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』のほか『検察側の罪人』や「2018年 アニメーション映画のゆくえ」と題したアニメーション映画の特集などをおこなった。 構成・文=須永貴子/制作:キネマ旬報社 -
『ROMA/ローマ』の衝撃、Netflixは「映画体験」を変えるのか?
2019年3月27日『ROMA/ローマ』の衝撃、Netflixは「映画体験」を変えるのか? ついにこの時がきたか―多くの映画ファンはそう思ったかも知れない。 Netflixオリジナル作品『ROMA/ローマ』のヴェネチア国際映画祭での金獅子賞受賞、そして米国アカデミー賞での作品賞をはじめとする10部門ノミネートである。 映画雑誌『キネマ旬報』4月上旬号では「壁を越えて『ROMA/ローマ』とNetflixの衝撃」と題して表紙・巻頭特集をおこなった。いまも波紋を広げている『ROMA/ローマ』を軸にNetflixの現在を伝える。 Netfilxが変える「映画体験」のかたち [caption id="attachment_388" align="alignnone" width="640"] 『ROMA/ローマ』より 文=長谷川町蔵[/caption] DVDからネット配信へ 現在、劇場公開中の「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズ最新作『キャプテン・マーベル』は、1995年を舞台にストーリーが展開される。この作品の冒頭部で主人公は空から墜落する。墜落先は「ブロックバスター」の店舗。アメリカ人の観客が絶対笑うシーンだ。というのも、当時全米の至るところにあったこのDVDレンタルチェーン店は現在倒産して存在していないからだ。なぜ跡形もなく消えたのか。それはNetflix(ネットフリックス)に敗北したからだ。 ネットフリックスがカリフォルニアで設立されたのは『キャプテン・マーベル』の物語の2年後にあたる1997年のこと。インターネットの普及と発売されたばかりのDVDの軽さに注目した設立者は、ネットでオーダーを受け付けて郵送でDVDをレンタルするサービスを開始したのだ。ゼロ年代に入ると、ネット上に映画の違法アップロードが横行したことでブロックバスターの業績には陰りがさしたが、ネットフリックスはネット上の会員相手に定額制のビデオ・オン・デマンドのサービスを開始。荒波を乗り切るどころか劇的な成長を遂げたのである。 そしてテン年代、ネットフリックスは潤沢な資金を武器にオリジナルのテレビドラマ製作に進出した。デイヴィッド・フィンチャー製作総指揮の『ハウス・オブ・カード 野望の階段』やウォシャウスキー姉妹の『センス8』など、第一線級の映画作家による意欲作を次々製作して、テレビ界の台風の目になったのだ。 『ROMA/ローマ』より オリジナルの長篇映画はこうしたテレビドラマの延長線上にある。ネットフリックスが映画界において存在感を初めて示したのは、キャリー・ジョージ・フクナガ監督のアフリカ内戦ドラマ『ビースト・オブ・ノー・ネーション』(2015年)だった。同作は、第72回ヴェネチア国際映画祭に出品され、出演者のエイブラハム・アタはマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞したのである。 その2年後の第70回カンヌ国際映画祭で、ネットフリックスはポン・ジュノ監督のSFファンタジー『オクジャ/ okja』(2017年)とノア・バームバック監督の『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』(2017年)をメインコンペティション部門に出品する。しかしフランスでの劇場公開が予定されていなかったことから現地の映画関係者が猛反発。審査員長だったペドロ・アルモドバルが「劇場公開されない映画は受賞するべきではない」と発言したこともあって、いずれも傑作でありながら実質コンペティションから外れる形となった。 だがこの判断は正しかったのだろうか? というのも昨年、ネットフリックスがカンヌではなく自分たちに寛容だったヴェネチア国際映画祭の方に出品して、最高賞の金獅子賞を受賞したのが、アルフォンソ・キュアロンの新作『ROMA/ローマ』(2018年)だったからだ。先日発表された第91回アカデミー賞では10部門にノミネートされるなど、『ROMA/ローマ』は台風の目となり、監督賞、撮影賞と外国映画賞の3冠を獲得している。 より多くの「観客」のために [caption id="attachment_390" align="alignnone" width="640"] Yalitza Aparicio as Cleo in Roma, written and directed by Alfonso Cuarón. Photo by Carlos Somonte.[/caption] 作家性が高い監督の作品を豊富な資金と宣伝力でバックアップして、映画祭の賞レースで勝たせることによって商業的にも成功に導く。ネットフリックスのこうした方法論は、かつてのミラマックスを彷彿とさせるものがある。だがそこには決定的な違いがある。ネットフリックス・オリジナル作品は原則として劇場では観られないのだ。 それなのに『ROMA/ローマ』はあくまで劇場で観られることを想定した映画として作られている。キュアロン自ら6K・65㎜シネマカメラで撮影した映像は、モノクロでありながら懐古趣味とは一線を画した被写界深度が深く鮮明なものだ。劇映画として間違いなくネクスト・レベルに到達している。1970年代のメキシコの社会情勢や文化状況が、家政婦である女性の目を通すことでごく自然に描かれた演出も繊細で素晴らしい。こうした作品を、室内照明がついた部屋に置かれたモニターで観たところで、本当の意味で理解なんかできっこないと言いたくなる。 ただしこうした視聴環境自体に意味がない、とまでは思わない。『ROMA/ローマ』の出演者は主演のヤリッツァ・アパリシオをはじめほぼ無名の存在だ。映像はモノクロだし言語はスペイン語である。もともと劇場での収益は見込めない実験作なのだ。 興味深い事実がある。熱心な映画ファンの声に応えてネットフリックスは『ROMA/ローマ』をアメリカの大都市の劇場で限定公開したのだが、興行収入は約190万ドルまで達したという。これはアメリカで外国語映画として望みうる最高レベルのヒットらしい。つまり『ROMA/ローマ』は、普通に劇場公開された場合に獲得していた観客たちとは全く別に、ネット上で膨大な数の観客を獲得したことになるのだ。たとえその視聴環境が不完全なものだったとしても。 熱心な映画ファンになればなるほど、「劇場で映画を観ないなんて、本当に映画を愛していない証拠だ」と思いがちだ。でも現実には映画を最優先にして人生を生きている人間なんて僅かな数しかいないし、仕事や子育て、親の介護、そして自分の健康状態と、映画を劇場に観にいくハードルは年々高くなっていく。 こうした観客の事情に向き合っている映画スターが、ハリウッドを代表するコメディ俳優アダム・サンドラーだ。実は彼の主演作のほとんどは2015年以降、劇場公開されていない。それ以前の数作が興行的に苦戦したサンドラーは、自分のファン層が映画館から年々遠ざかっていることを知り、自身が製作する主演作をネットフリックスを通じて配信しているのだ(ベン・スティラーとの共演が実現した前述の『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』はこうした流れで製作された)。年に約1本のペースで配信されているサンドラー主演作はいずれも多くの視聴者を獲得しているという。彼と同じアプローチを、ほかのベテランスターが取ったとき、映画興行の構造自体が変わっていくのかもしれない。 とはいえ、映画をスクリーンで観る喜びはテレビモニターでは味わえないものだ。ネットフリックスが今年の賞レースでプッシュする作品の筆頭は、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテルが揃い踏みしたマーティン・スコセッシ監督のギャング・ドラマ『The Irishman』(2019年)なのだが、当のスコセッシは劇場公開を強く望んでいるという。 こちらの記事は『キネマ旬報』4月上旬号に掲載。今号では「壁を越えて『ROMA/ローマ』とNetflixの衝撃」と題して、『ROMA/ローマ』を軸に、Netflixの現在を伝える、表紙・巻頭特集をおこなった。アルフォンソ・キュアロン監督、Netflixのコンテンツディレクターのインタビューやコラムを掲載している。(敬称略) -
『きみ鳥』監督、一般映画と異なる作り方とは?最新作『ワイルドツアー』
2019年3月25日『きみの鳥はうたえる』で2018年度キネマ旬報ベスト・テン第3位に輝いた三宅唱監督が、刺激的な試みを続ける山口情報芸術センターの杉原永純プロデューサーと組み、映画未経験の中高生たちと撮った、待望の最新作、到着! 三宅唱[監督・脚本]×三浦哲哉[映画研究者]対談 ―『ワイルドツアー』を一言でいうと〈幸福な映画〉。地下の試写室を出たら、ひときわホクホク顔で足取り軽く階段を駆け上がってゆくひとがいるんですよ。よく見ると映画研究者の三浦哲哉氏(笑)。三浦氏には三宅唱監督の前作『きみの鳥はうたえる』特集で作品論を語っていただきましたが、ならば、続いて今回は大学の後輩でもある三宅監督と対話をしてもらおうと思い、ご両名に集まっていただきました。 一般的な劇映画とは異なる作り 三浦 『ワイルドツアー』は、YCAM(山口情報芸術センター)の〈滞在型映画制作プロジェクト「YCAM Film Factory」〉でつくられた映画で、つまりは一般的な劇映画とは異なる作り方をされています。でも難解な実験作ではない。何が功を奏して、こんなにも〈幸福な映画〉ができたのか? ということを三宅さんに伺いたいと思っています。なんといっても『ワイルドツアー』は、映画未経験の中高生が出演しているのに「大人の持つ子どもについてのイメージに従って、大人の考えたセリフをあてがわれて、言わされているかんじ」が皆無なんですよね。 松浦寿輝さんがかつて言っていたんですが、子どもが絵を描いたり、音楽を奏でたりすることはできるけど、映画を意識的に作ることはできないので、子どもが出演している映画には常に〈アンフェア〉なかんじがつきまとう。それをクリアした映画を観たいな、という気持ちが常にあるんですが、『ワイルドツアー』には、三宅さんがいつも使う言葉ですけど、ものすごく〈フェア〉な感じがして。出演する少年少女たちの晴れ晴れとした佇まいに心底驚きました。 「一緒に映画作りを考えるパートナー」を募った 三宅 プロデューサーの杉原永純さんと「中高生は大人ではないかもしれないけど、もう子どもでもない。子ども扱いしない」とはじめに決めました。中高生にもなれば「思い通りにいかないこと」と格闘できる体力が備わっているし、映画作りの醍醐味はそこにあると思うので、中高生にフォーカスしました。そして「役者募集」ではなく「一緒に映画作りを考えるパートナー」を募ったところ、編集や撮影にも興味がある男女が集まってくれました。 まず青山学院大学の三浦さんのゼミでいつもやっている「〈演出とは何か?〉をみんなで一緒に考えてみよう」という講義をしたんですが、大学生とまったく変わらず理解していました。その後、二日かけて自分たちで短篇映画を作ることで、カメラの前だけでなく後ろのことも一通り経験してもらいました。そのことで、いざ僕が監督する際に、「出る人/撮る人」という一方的な関係を避けられるのでは、と。もっと言えば、現場中に自分が考えていることを逐一彼らに説明できないので、「監督はよく困る」ことを事前に自分たちも経験しておいてくれ、と(笑)。でも本当に、そのプロセスのおかげか、彼らは僕と一緒に、場合によっては僕よりも厳しく、細かいディテールまで考え抜いてくれました。 題材は『恋愛』 三浦 なるほど。共同作業するための題材が「恋愛」、というのが最高ですよね。YCAM全体が淫らな場所になってゆく(笑)。 三宅 身近な問題でありながら、普遍的かつ正解がないから、みんなで楽しく盛り上がれる題材なんですよね。そして、役者ではない人たちが演技をするのは「恥ずかしい」ことだから、折角なら、一番「恥ずかしい」題材で演技してみようよと、一線を飛び越えるためにも「恋愛」がいいんです。 三浦 中園うめ(伊藤帆乃花)、うめちゃんがシュン(安光隆太郎)とタケ(栗林大輔)に火を付けますよね。参加者のうち、この三人をメインに据えたのは、どうしてですか? 三宅 伊藤さんは今後も女優としてやっていきたいと聞いていたので、ぜひヒロインに、と。安光君と栗林君はYCAMの近くで育って色々経験しているからか、人生初の映画作りにもビビってなかったし、他所から来た僕にも自然に絡んできました。二人は幼稚園からの親友らしく、山口弁でやりとりする絶妙なグルーヴ感にも惚れました。 三浦 パーティを組んだその三人が、市の文化財の立入禁止区域に入ってゆき、自然の奥底へ。超常現象が起きるわけではないんですけど、なにが出てきてもおかしくない感じ、ワクワク感がありますよね。 三宅 探検こそ映画の王道かな、と(笑)。『スタンド・バイ・ミー』(1986年、ロブ・ライナー監督)しかり。人ではなく植物が君臨している土地を、中高生がiPhone やDNA採集キットという未来的ガジェットを手に探索する、という王道かつ新しい冒険映画のつもりです。自然環境、彼らの自然な姿、人間関係の荒波、それらをまとめて「ワイルド」と名付けました。 対談後半では、具体的な演出方法にまで話が広がる。中高生を相手にした演出方法と『きみの鳥はうたえる』で実践した手法の違いとは? 記事の続きは『キネマ旬報』4月上旬号に掲載。今号では「壁を越えて『ROMA/ローマ』とNetflixの衝撃」と題して、Netflixの現在を伝える、表紙・巻頭特集をおこなった。アルフォンソ・キュアロン監督やNetflixコンテンツディレクターのインタビューなどを掲載している。 構成=寺岡裕治/制作:キネマ旬報社 -
手塚眞監督はひと目で「三浦涼介に決めた!」その理由
2019年3月20日手塚眞監督はひと目で「三浦涼介に決めた!」その理由 ヴィジュアリスト・手塚眞監督の“ふたつの伝説”―1985年の伝説のカルト・ムービー『星くず兄弟の伝説』、その再来となった2016年の『星くず兄弟の新たな伝説』、まさかのBlu-ray、DVD化を記念したトーク・イベントが3月15日、シネマート新宿で開かれた。 『星くず兄弟の新たな伝説』上映終了後、手塚眞監督、主役のひとり・カンを演じた三浦涼介、月の芸能プロ「アストロ・プロモーション」に所属するオネエのタレントを演じた藤谷慶太朗が登壇。製作秘話を披露して観客を沸かせた。 監督はこの映画に出た俳優の中で、三浦を最初にキャスティングしたそう。 「オーディション用紙の写真を見てもう、即断でした。ただ念のため三浦さんのライブに、お忍びで行ったんです。そこでステージに立っている彼を見て確信し、その場でカン役に決めました」 三浦涼介「何じゃこりゃ?」 手塚眞監督と三浦涼介 (c)キネマ旬報社 こうしてあらたなスターダスト・ブラザーズの一人が、肉体を獲得したのだ。「…でも三浦さん、最初に台本を読んだ時、どう思いました?」と問いかける監督に三浦は、「いや、正直…何じゃこりゃ、って(笑)」 かつて一世を風靡した元ロックスターでいまは中年のDJが、若返って月世界でスターを目指す―そんな突飛な物語なのだから、無理もない。 さてスターダスト・ブラザーズのもう一人には、三浦同様仮面ライダー出身の俳優・武田航平が選ばれた。しかし監督の中にはひとつだけ、不安要素があったという。前作でスターダスト・ブラザーズを演じた高木完と久保田慎吾は、プライベートでも仲良し。高木(カン)と久保田(シンゴ)の心のまま姿かたちだけ若返ったふたりを三浦と武田が演じて、その距離感が出せるのだろうか? 対して三浦は「実は以前、(武田)航平くんと同じグループで活動していた事があるんです。それに現場では彼が気を遣ってくれたので、すごくやりやすかった。殴る場面でも遠慮なく、リハーサルからガチで殴ったくらいですから」と振り返る三浦に監督は、「そもそも台本には、殴るなんて書いてなかったんですよ…」と苦笑。 「いやいやでもそれは、お互い歩み寄って演じていたという事ですよ。撮影中もよく喋っていましたし。内容はまったく覚えていないけど(笑)」 (c)キネマ旬報社 そしてオネエのタレントを演じた藤谷慶太朗の手には、なぜかティッシュの箱が。「控え室で花粉症に苦しんでいたら、監督が渡してくれたんです。肌触りも優しくて、助かっています」。するとすかさず三浦は「でも凄いですね。さっきまであれだけ苦しんでたのに、ピッタリ止まってるじゃないですか」とツッコむ。「何か安心感が…このまま電車に乗って帰ろうかな(笑)」と藤谷。 三浦涼介の声、涙 (c)2016「星くず兄弟プロジェクト」 『星くず兄弟 伝説BOX ―Blu-ray Brothers― 『星くず兄弟の伝説』/『星くず兄弟の新たな伝説:超完全版』のオーディオ・コメンタリーを武田と収録した際、三浦は主演した映画にもかかわらず見入ってしまい、NGを出してしまったそう。 「何度も言いますけど別に武田くんと、仲が悪いわけじゃないですよ(笑)! いや本当に、あらためて面白い映画だなあって。僕らが着た銀色の、宇宙服みたいな衣裳も可愛らしくて」。個性的な衣裳はすべて、高木完がコーディネイト。月の芸能界を支配するボスを演じた夏木マリの衣裳のデザイン及び制作は、KURAGEだという。 さらに、メイキングには三浦が歌いながら感極まって涙をこぼしてしまう姿も。監督によると「その涙に心動かしてフォーカスしようとしたカメラアシスタントが、ピントを外してしまった」そう。 これらオーディオ・コメンタリー、メイキングの他、ミュージック・ビデオ集、予告編など映像特典に加え、ブックレット(36P)、絵コンテ本(270P)、オリジナルポストカード4枚セットを封入した『星くず兄弟 伝説BOX ―Blu-ray Brothers―』は、『星くず兄弟の伝説』『星くず兄弟の新たな伝説』DVDと共に発売中。何でもアリのヴィジュアリスト・手塚眞ワールドに、どっぷり浸ってもらいたい。 制作:キネマ旬報社 -
樹木希林の知られざる家族のこと、幼いころの秘密
2019年3月18日<不定期連載2>まだ知られてない樹木希林の魅力 『キネマ旬報』1964年9月上旬号、特集・最近の新人女優「新進女優名鑑」より 「いちばん幼かった頃のこと」 (『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』より) 3月1日に発表された『第42回 日本アカデミー賞』で最優秀助演女優賞を受賞し、私たちの記憶だけでなく記録にもますます名を残し続けている樹木希林さん。その生きざまや口にしてきた言葉は、世の人を惹きつけ魅了しているが、どのような家庭環境でどのように育ってきたのかは案外知られていないだろう。 本書『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』に再掲したインタビュー「いちばん幼かった頃のこと」(グランまま社『おはなししてよ おじいちゃん おはなししてよ おばあちゃん』より)では、家族(父、母、兄妹)のことについて語っている。 酔っ払った母を担いで帰ってきた父 父は琵琶の名手で“粗大ゴミみたいな人” 樹木さんの父・中谷襄水は薩摩琵琶錦心流の名手だった。そのため、家にいることが多かったようで、樹木さんは「幼稚園や小学校を私が休むと、父はすごく喜んで『啓子、休んだか、こっちへこい、こっちへこい』って、すごく喜ぶような人」と回想している。 子どもを学校へ通わせ、自分は外へ働きに出るのが一般的な父親だとすれば、真逆である。「粗大ゴミみたいな人で、朝起きると顔も洗わないで一服した後、琵琶を弾くんですね。母はよく働く人で、ほうきで父も一緒に掃きだすようにしても動かなかった」と父と母の性格の違いを語っている。 母は働き者の大酒飲み 逆に父より7歳年上だった母は働き者で、「家の生計はほとんど母によって成り立っていた気がします」と語る。しかしどこか抜けているところもあったようで、年をとってから運転免許を取ったが、「信号で突然動きだし、歩いている人の爪先を轢いたりします。『だって、横の信号見たら青だったからあわてちゃってさ』って。当たり前です。正面が赤の時は横は青なんですものねえ」という危なっかしいエピソードも披露している。 樹木さんは両親のことをどちらも「愉快な人」と話し、「父はお酒がまったく飲めず、母は大酒飲みで、ちいさい頃、酔っ払った母を担いで帰ってきたのを思い出します。とても仲のよい夫婦でした」と回顧している。常識にとらわれない樹木さんの性格や考え方はおおらかな両親の影響が大きいのかもしれない。 幼いころの秘密 (c)キネマ旬報社 『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』 遺産を分けるときに知らない兄弟がでてきた 樹木さんは、妹とずっと二人姉妹で育ってきた(妹は父の後を継いで琵琶奏者になった)。しかし樹木さんが41歳のときに母親が亡くなり、遺産を分けることになったときに初めて父親違いの兄と姉がでてくる。「こんな話は小説や映画や他人事だとばかり思っていた」(文藝春秋『オカン、おふくろ、お母さん』より/こちらも本書再掲)と語るように当然驚いたようだが、時がたてばこのことも「父親違いですが、今は四人仲良しです。大きくなった時、兄妹がいた方が頼りになってうれしいですね」と、けろりと話している。 幼き樹木さん、実はこんなことを… そんな大らかな両親のもとで育っていた幼き樹木さんは、おこずかいは駄菓子屋で使っていたという、いたって普通の少女だった。そして幼い頃の過ちの1つや2つは誰にでもあるもの。樹木さんにも、今では想像出来ないこんなエピソードが…。 「家のお金を盗んだこともあります。母が家で洋服を縫っていたので、ミシンが二~三台あって、ミシンの布の上に無造作にお金が乗っかっていたんですね。お金の値打ちもまだわからないのですが、後ろめたい感じは覚えています」 樹木さんも私たちとあまり変わらない少女時代を過ごしていたようだ。本書『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』にはそんなエピソードをまだまだ収録している。こうして誕生した「少女・中谷啓子」は、このあとどのような道のりを経て「役者・樹木希林」となるのか。ぜひ本書で追体験して欲しい。 制作:キネマ旬報社 『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』の詳細はこちらから↓