『ROMA/ローマ』の衝撃、Netflixは「映画体験」を変えるのか?
ついにこの時がきたか―多くの映画ファンはそう思ったかも知れない。
Netflixオリジナル作品『ROMA/ローマ』のヴェネチア国際映画祭での金獅子賞受賞、そして米国アカデミー賞での作品賞をはじめとする10部門ノミネートである。
映画雑誌『キネマ旬報』4月上旬号では「壁を越えて『ROMA/ローマ』とNetflixの衝撃」と題して表紙・巻頭特集をおこなった。いまも波紋を広げている『ROMA/ローマ』を軸にNetflixの現在を伝える。
Netfilxが変える「映画体験」のかたち
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文=長谷川町蔵[/caption]
DVDからネット配信へ
現在、劇場公開中の「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズ最新作『キャプテン・マーベル』は、1995年を舞台にストーリーが展開される。この作品の冒頭部で主人公は空から墜落する。墜落先は「ブロックバスター」の店舗。アメリカ人の観客が絶対笑うシーンだ。というのも、当時全米の至るところにあったこのDVDレンタルチェーン店は現在倒産して存在していないからだ。なぜ跡形もなく消えたのか。それはNetflix(ネットフリックス)に敗北したからだ。
ネットフリックスがカリフォルニアで設立されたのは『キャプテン・マーベル』の物語の2年後にあたる1997年のこと。インターネットの普及と発売されたばかりのDVDの軽さに注目した設立者は、ネットでオーダーを受け付けて郵送でDVDをレンタルするサービスを開始したのだ。ゼロ年代に入ると、ネット上に映画の違法アップロードが横行したことでブロックバスターの業績には陰りがさしたが、ネットフリックスはネット上の会員相手に定額制のビデオ・オン・デマンドのサービスを開始。荒波を乗り切るどころか劇的な成長を遂げたのである。
そしてテン年代、ネットフリックスは潤沢な資金を武器にオリジナルのテレビドラマ製作に進出した。デイヴィッド・フィンチャー製作総指揮の『ハウス・オブ・カード 野望の階段』やウォシャウスキー姉妹の『センス8』など、第一線級の映画作家による意欲作を次々製作して、テレビ界の台風の目になったのだ。
『ROMA/ローマ』より
オリジナルの長篇映画はこうしたテレビドラマの延長線上にある。ネットフリックスが映画界において存在感を初めて示したのは、キャリー・ジョージ・フクナガ監督のアフリカ内戦ドラマ『ビースト・オブ・ノー・ネーション』(2015年)だった。同作は、第72回ヴェネチア国際映画祭に出品され、出演者のエイブラハム・アタはマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞したのである。
その2年後の第70回カンヌ国際映画祭で、ネットフリックスはポン・ジュノ監督のSFファンタジー『オクジャ/ okja』(2017年)とノア・バームバック監督の『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』(2017年)をメインコンペティション部門に出品する。しかしフランスでの劇場公開が予定されていなかったことから現地の映画関係者が猛反発。審査員長だったペドロ・アルモドバルが「劇場公開されない映画は受賞するべきではない」と発言したこともあって、いずれも傑作でありながら実質コンペティションから外れる形となった。
だがこの判断は正しかったのだろうか? というのも昨年、ネットフリックスがカンヌではなく自分たちに寛容だったヴェネチア国際映画祭の方に出品して、最高賞の金獅子賞を受賞したのが、アルフォンソ・キュアロンの新作『ROMA/ローマ』(2018年)だったからだ。先日発表された第91回アカデミー賞では10部門にノミネートされるなど、『ROMA/ローマ』は台風の目となり、監督賞、撮影賞と外国映画賞の3冠を獲得している。
より多くの「観客」のために
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Photo by Carlos Somonte.[/caption]
作家性が高い監督の作品を豊富な資金と宣伝力でバックアップして、映画祭の賞レースで勝たせることによって商業的にも成功に導く。ネットフリックスのこうした方法論は、かつてのミラマックスを彷彿とさせるものがある。だがそこには決定的な違いがある。ネットフリックス・オリジナル作品は原則として劇場では観られないのだ。
それなのに『ROMA/ローマ』はあくまで劇場で観られることを想定した映画として作られている。キュアロン自ら6K・65㎜シネマカメラで撮影した映像は、モノクロでありながら懐古趣味とは一線を画した被写界深度が深く鮮明なものだ。劇映画として間違いなくネクスト・レベルに到達している。1970年代のメキシコの社会情勢や文化状況が、家政婦である女性の目を通すことでごく自然に描かれた演出も繊細で素晴らしい。こうした作品を、室内照明がついた部屋に置かれたモニターで観たところで、本当の意味で理解なんかできっこないと言いたくなる。
ただしこうした視聴環境自体に意味がない、とまでは思わない。『ROMA/ローマ』の出演者は主演のヤリッツァ・アパリシオをはじめほぼ無名の存在だ。映像はモノクロだし言語はスペイン語である。もともと劇場での収益は見込めない実験作なのだ。
興味深い事実がある。熱心な映画ファンの声に応えてネットフリックスは『ROMA/ローマ』をアメリカの大都市の劇場で限定公開したのだが、興行収入は約190万ドルまで達したという。これはアメリカで外国語映画として望みうる最高レベルのヒットらしい。つまり『ROMA/ローマ』は、普通に劇場公開された場合に獲得していた観客たちとは全く別に、ネット上で膨大な数の観客を獲得したことになるのだ。たとえその視聴環境が不完全なものだったとしても。
熱心な映画ファンになればなるほど、「劇場で映画を観ないなんて、本当に映画を愛していない証拠だ」と思いがちだ。でも現実には映画を最優先にして人生を生きている人間なんて僅かな数しかいないし、仕事や子育て、親の介護、そして自分の健康状態と、映画を劇場に観にいくハードルは年々高くなっていく。
こうした観客の事情に向き合っている映画スターが、ハリウッドを代表するコメディ俳優アダム・サンドラーだ。実は彼の主演作のほとんどは2015年以降、劇場公開されていない。それ以前の数作が興行的に苦戦したサンドラーは、自分のファン層が映画館から年々遠ざかっていることを知り、自身が製作する主演作をネットフリックスを通じて配信しているのだ(ベン・スティラーとの共演が実現した前述の『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』はこうした流れで製作された)。年に約1本のペースで配信されているサンドラー主演作はいずれも多くの視聴者を獲得しているという。彼と同じアプローチを、ほかのベテランスターが取ったとき、映画興行の構造自体が変わっていくのかもしれない。
とはいえ、映画をスクリーンで観る喜びはテレビモニターでは味わえないものだ。ネットフリックスが今年の賞レースでプッシュする作品の筆頭は、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテルが揃い踏みしたマーティン・スコセッシ監督のギャング・ドラマ『The Irishman』(2019年)なのだが、当のスコセッシは劇場公開を強く望んでいるという。
こちらの記事は『キネマ旬報』4月上旬号に掲載。今号では「壁を越えて『ROMA/ローマ』とNetflixの衝撃」と題して、『ROMA/ローマ』を軸に、Netflixの現在を伝える、表紙・巻頭特集をおこなった。アルフォンソ・キュアロン監督、Netflixのコンテンツディレクターのインタビューやコラムを掲載している。(敬称略)