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テイタム・オニール
父は俳優のライアン・オニール、母は女優ジョアナ・ムーア。弟グリフィンも俳優としてデビューしている。生後まもなく両親が離婚。母親にひきとられたが、養育権をめぐる裁判の結果、7歳から父のもとで成長。まもなくライアンが再婚したリー・テーラー=ヤングが育ての親となったが、この結婚も解消、という複雑な家庭環境にあった。パブリック・スクール在学中、撮影所でピーター・ボグダノヴィッチ監督の目にとまり、73年「ペーパー・ムーン」で父と共演、映画デビュー。ゴールデン・グローブ新人賞に加え、史上最年少でアカデミー助演女優賞を獲得し、天才少女スターとして脚光を浴びた。その後3年間は学業に専念したが、76年、再度ボグダノヴィッチに請われ、「ニッケル・オデオン」に出演。同年の「がんばれ!ベアーズ」も順調で人気を高めた。さらに、「インターナショナル・ベルベット」(78)ではいちだんと成長したキャラクターに挑戦。「リトル・ダーリング」(80)でも初体験一番乗りを競う少女をサラリと演じて実力を示している。81年「レッスン・イン・ラブ」(V)ではヌードも披露する熱演をみせたが、少女から大人の女への転換期をうまく乗り切る作品に恵まれず、女優として伸び悩んだ。79年2月に来日。TV-CMでも成長した姿をみせ話題をよんだ。85年、プロ・テニス・プレーヤー、ジョン・マッケンローと同棲しケヴィンを出産。86年8月1日、マッケンローと結婚して引退。88年にショーンを出産。その後離婚。91年の“Little Noises”でスクリーンに復帰。92年の“A Terrible Beauty”でニューヨークの舞台にデビューしている。
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テイタム・チニキー