「地域映画」は、本当に地域のためになるのか? 連載その5
池田エライザ(女優、映画監督)インタビュー
地域の「食」や「高校生」とコラボした美味しい青春映画製作プロジェクト『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズ第2弾「夏、至るころ」が完成した。監督は池田エライザ。撮影は福岡県田川市で行われた。
本連載では、これまで『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズのプロデューサー、三谷一夫さん、その第1弾「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」の安田真奈監督と、舞台となった兵庫県加古川市の制作担当だった松本裕一さん(兵庫県議会議員)、そして「夏、至るころ」が撮影された田川市の有田匡広さん(たがわフィルムコミッション/田川市職員)と、さまざまな立場から地域発の映画作りについて語っていただいた。
最後に池田エライザ監督に演者の目線をもって作品をクリエイトする立場から、地域活性をベースにした映画制作に参加した心情をうかがおう。監督として、どのように感じ、過ごし、映画を完成に導いたのか? そこに、プロジェクトを未来へと推し進めるヒントが隠されているように感じられた。
取材・文=関口裕子
女優も映画監督も志しは同じ
クランク・イン会見で、池田エライザ、倉悠貴、石内呂依(右から)
――これまでは俳優として映画に取り組まれてこられましたが、今回は監督。プロジェクトに最初から最後まで関わる役割です。立ち位置が変化したことで見えたものはありましたか?
池田 私は役者の中でも特異なほうかもしれません(笑)。たとえば、現場でごはんを食べるとき、録音部さんや照明部さんのところに行って、気になっていることを教えていただくことが多かったんです。せっかちというのもあるんですが、ストレートに芝居の質を高めたくて、いろいろなスタッフの方にひっついていたので、今回の現場もそんなに違和感はありませんでした。
――名優として知られる高峰秀子さんもそういう方だったと聞いています。一緒ですね。
池田 シンプルに女優さんと話すのは緊張する、というのもあるんですけどね(笑)。
――ご自身も女優じゃないですか(笑)。
池田 自覚がないんでしょうね(笑)。もともと小学生の頃は小説家になりたかったんです。あれやこれやで表舞台に立つ機会をいただきましたが、華やかな瞬間に触れると萎縮してしまって(笑)。でも技術部にいると自然と仕事の話で盛り上がれるんですよね。
――技術的な知識は、演技にもプラスになることが多いんじゃないですか?
池田 そうですね。監督と俳優の距離感って、なかなか微妙じゃないですか。でも当然、作品にずっと関わっている分、監督は脚本を深く理解している。なるべくそれを察したいという気持ちがあって、ウザがられない程度にひっついていました。ありがたいことに同じ監督にまた呼んでいただくことも多く、そういう監督と作品について、こそこそしゃべるのは本当に楽しいんですよね(笑)。
撮影前の時間を大切にした
「夏、至るころ」は10代のひと夏の物語
――今回は、監督の立場。映画を作るためのベースを、脚本の下田悠子さんとどう構築されたのか? クランク・イン前、田川市という舞台をご自身のなかにどんなふうに位置づけられたのか、お聞かせください。
池田 はじめに私がA4で2枚くらいのプロットを書きました。でも私が最初に感じた田川市と、田川市の人たちが見たい田川の間にギャップがあったので、そこを下田さんに直していただきました。もちろん自分が撮りたいだけの作品ではないわけですが、“仕事”感が強くなってもいけないと思うんですよ。なるべく角のないものを撮らなければと考えることには、少し葛藤があったかもしれません。そういう部分は下田さんと話しながら、田川市からいただいた助言の素敵なところを汲み取りつつ、より人間らしい顔が撮れる瞬間を選んでいきました。
――作家として描きたいものと、田川市からの要請がある作品作り。どこまで寄り添い、どこまで描きたいものを描くか、すごく難しかったのではないでしょうか?
池田 そうですね。起伏の激しい物語ではありませんが、17、18歳ってすごく純真なときなので、揺れていくさまや、言葉、行間にはこだわりました。キツい言葉は使わない代わりに、そういう“感じ”がお芝居に滲み出てくるように。基本的には、言いたくない台詞や、違和感のあるところは演じる俳優たちに聞いてみて、話し合って作っていきました。とは言いつつも、彼らの一番いい顔を撮れたら、この仕事は全うできるかもとも思っていました。みんなの負けず嫌いな部分をくすぐって、その関係性から滲み出る顔。日常では人を煽ることなんてありませんが(笑)、人によっては煽らないとお芝居が出てこないこともある。今回は、煽ることで獣みたいな目つきになる瞬間を撮ることができました。
芝居の演出に集中できる環境
俳優と一緒に台本を読み合わせ
池田 俳優と二人きりで脚本(ホン)読みや芝居合わせをして、引っかかっているものを全て丁寧に洗い出すやり方も試みました。それをやることで、私自身も「まだまだ私ができることはある」という発見もありました。これまでは人に甘えることがうまくできなくて怒られることもありましたが、今回はプロの技術者にお願いしているので、芝居の演出に集中して、それ以外は委ねて、演出できたような気がします。
――現場に入ってみるまでどうなるか分からない部分もありましたか?
池田 リハーサルもやりましたが、現場に行かないと分からないことはやっぱりあって、だからそこでいろいろやれたことの喜びはすごく大きかったです。たとえば、主人公の家の美術。美術の方の粋な計らいで、夏っぽいものや、演出で使いたいと思うものがたくさんあった。おかげで現場だからこそ生み出せるリアリティを切り取ることができました。役者のお芝居以外で立ち止まることが一切なかったのは、そんなスタッフの方々の力量あってこそだと思っています。
――現場では、ずっと芝居に寄り添ったわけですね。
池田 今でも泣きそうになるくらい、すごい瞬間にも立ち会えました。一回、ある俳優がどうしても泣けないことがあったんです。本当に全然ダメで、一回止めてもらって、二人になって何がそんなに引っかかっているのかを聞いたら、自分と役の境目で迷子になっていた。そこから、役者ではなく、役柄に対して語りかけていくうちに、子どもみたいに泣きじゃくり始めて……。これまで生きてきたのがなかったことになるくらい情けない顔で泣いて、私もカメラ横でそれを見ながらズビズビと泣いて(笑)。役者はカットがかかったあとも、帰りのバスでも泣き止めなかったそうです。
私もかつて監督を睨みつけながら泣いたことがあります。「もう一回だ、顔上げろ」「泣けー!!」など、いろいろな言葉を使って気持ちを引きずり出してもらって、自分のなかの知らない獣に出会ったことがある。もう、あんな野蛮な監督とは絶対やらないと思いましたが(笑)、今、自分が同じことをやっているなと思いました(笑)。
――監督は孤独ですよね。
池田 みんなで作りたいと思っているので、監督としてわがままを通さなきゃいけないのは、本当につらかったですね。私が言ったことを実現するために、たくさんの方が動いてくださる。だからこそ、なぜそれが観たいのか、どういう思いがあってそうしたいのかなど、共有することを心掛けました。でも言わなくても分かってくれていることも多くて、感動的でした。全員がどうしようもなくクリエイターで、心でつながっている感覚がありました。
――監督になって初めて分かることもあった、と。
池田 いろいろな監督とやってきたからこそ、役者の立場に立って演出できたのかもしれません。でもベテランの俳優さんたちは、みなさん、居心地良さそうにされていました。それは田川の空気もあると思います。許してくれる空気。みんな畳の上であぐらをくんで、「あちーな」とか言いながら夏を謳歌してくれていたのが嬉しかったです。
田川市出身の井上陽水さん、IKKOさん、バカリズムさんたちはこの空気のなかで育った。「いいよ」「好きにしな」「おいしいごはん出してあげるから縁側でぼーっとしてなよ」と言ってくれる。クリエイターを刺激し続けてくれるその空気が、池田組独特の香りになったかもしれません。
――素晴らしい現場でしたね。
池田 作品の中の“家族”を見た瞬間がたくさんありましたよ。
豊かな風が吹き、田川は優しい
田川市の中央公園で撮影された一コマ
――田川でのオーディションもあったんですか?
池田 オーディションは田川市を知る上でとても大事な機会でした。私は、お隣の福岡市の出身ですが、あまり田川市に来たことがありませんでした。だから、佐賀や長崎、福岡市、山口とも違い、どちらかというと熊本に近いのかなって思っていたんです。世話焼きが多くて安心するような場所。私の故郷のフィリピンもそうですが、「ごはん食べようか」と言ったら絶対大盛りで出てくるみたいな(笑)。田川市のご飯屋さんもメイン、メイン、副菜みたいな感じでたくさん出てくるし、お皿も大きい。当たり前のようにクセの強い人もいる。あだ名をつけたくなるような人が多くて、この方々が出てくれることで、田川の空気は表現できるだろう、と思っていました。
――田川市を舞台にするにあたって、ほかにされたことはありますか?
池田 座談会をやってもらいました。最初のシナハンのとき、中学生、高校生、20代、お父さんお母さん世代の4つのグループに分けて座談会を行ったんです。そのとき、少年たちのグループが少し寂しくなるくらい品がよかった。もっと話したくて、別の日に中学校の校長室で、二人の中学生から話を聞きました。将来、何になりたいのかと聞いたら、一人が、「公務員になりたい」と即答したんです。理由は「お父さんとお母さんが喜んでくれそうだから」と。でも本音を聞くと、もっと別な夢を持っていた。そこにヒューマニズムを感じて、その子を今回の主役・呂依くんのモデルにしているんです。
――「夏、至るころ」は、幼なじみの少年二人と不思議な少女のひと夏を描いています。
主人公の翔をドラマ『his~恋するつもりなんてなかった~』の倉悠貴、泰我を本作でデビューする新人の石内呂依、都を「映画 としまえん」のさいとうなりが演じています。
池田 3人は役名で呼び合ったりして、ほどよい距離感を保って仲良くしていました。これ以上近づくと役じゃなくなっちゃうという危機感を感じながら。私もかつてそんな付き合い方をしたことがあったので、懐かしさを感じました。
田川市の方は、みんないい人だけど、いい人だけじゃ終わらない。いろいろ積み上げてきた上で優しくなった人で溢れている町。その葛藤がないとあんなに人に優しくできない。東京でせかせか生きているとどんどん余裕がなくなって、人に寄り添う前に、他人の気持ちに気づけなくなってしまう。
――そうですね。
池田 田川市には自分自身に向き合う時間が本当にたくさんあります。川べりで、ぼーっと座っていることが許される。そこはすごく夕日がきれいで、一人でエモーショナルに浸ってもいい環境。私の地元もそうでしたが、田川市はそれができる環境だったからこそ、人に優しいし、豊かなのかもと思いました。
――田川の方たちもそのことに気づいていましたか?
池田 気づいていないかもしれませんね、日常なので。だから私たちは、ありあまる豊かさをいただいたような気がします。
夏の三井寺は風鈴がいっぱい
――地域にコミットして作品を作ったからこそのプラスですね。
池田 田川市に行って、より脚本が良くなったような気もします。ロケハンもしましたが、東京で練り上げたものが、現場に行って、私が思う以上に台詞に意味があることがわかったり。倉くんと呂依くんは太鼓の合宿で、1週間くらい現地の子たちと生活してくれたんですが、脚本(ホン)読みのときよりも台詞の意味を汲めるようになっていて、すごく感謝しています。倉くんは、親友の蜷川実花監督作にも出ているんですが、合宿帰りの二人の顔つきがあまりに変わっていて、それを見た実花ちゃんが驚いたくらい。すごく豊かになって……感謝ですね。
――撮影期間は?
池田 ほぼ田川市内で2週間くらいでした。
――この映画は「地域」「食」「高校生」というお題がありますが、「食」に関してはどんなふうに取り入れたんでしょうか?
池田 そこが課題でした。『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズ第1弾「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」の世界は、私には少し眩しくて美しかったんです。だから「夏、至るころ」の食は、もっと日常をこっそり支えてくれているものにしたかった。たとえば、喧嘩して帰宅した翔に、お母さんが差し出し、おじいちゃんが「食えよ」と言って、泣きながらかき込むかき揚げ丼。味わう余裕はないけれど、きっと一生忘れられない味。うちの母もどちらかというと不器用なタイプなので、悔しいことがあって私が泣きながら帰ってくると、ごはんと、お箸を置いてくれる。私が左利きなのでお箸は左側に。そのときは「悔しい」としか考えていないのに、あとから思うと左に置いてくれたお箸のことや、丼を置いてくれた優しさがよみがえってきたんですよね。キラキラし過ぎない、ちょっと泥臭いくらいの家庭料理が、田川市の温かさにフィットするのかな。
――田川市から推奨された食材もありましたか?
池田 ロケハンのときに、めっちゃ推してもらいました(笑)。パプリカもそうです。郷土料理をもっと入れてほしいというようなリクエストもありましたが、そこはじっくり話し合いました。なぜなら取ってつけたように登場させても意味がないと思うので。むしろ優しさを感じる部分でさりげなく登場させたほうが印象深い。普段の日常の食卓はすごく賑やかなんだけど、ふとした優しいごはんもある。そういうときに、そっと丼が出てくるのがいいなと(笑)。
――なにをどんなふうに出すかは、お互い納得のいくものがすぐにできたのでしょうか?
池田 これから頑張っていきたい田川市は、実際より盛って見せたいところもあったと思います。パプリカの生産を頑張るとか、その加工品を出すとか、そういうところはもちろん買いますが、いま田川市にあるものも十分、素晴らしい。本当に美しくておいしい町だから誇張しなくてもいいと思うことも。そこは私がずっと戦っていた部分でした。でも田川市の方々にとっては、ごはんがたくさん出るのも、味付けがしっかりしているのも、節目に鍋を囲むのも当たりまえ。すごく素敵なことなのに、日常なので新しさを感じられないようで、もっと自信を持ってほしいなと思うことはありました。そのあたりはパンフレットに書かせていただこうと思うので、ぜひ読んでいただきたいです。頑張って作ります(笑)。
――このプロジェクトは、地域活性をベースに始まったシリーズですが、池田監督は、映画は地域活性に貢献できると思いますか?
池田 時が経って、時代が移ろいでいけばいくほど、需要が生まれると思います。今を表現してアピールする手段でもあるとは思いますが、私は田川市を自慢したいというより、田川市の方々に「ごちそうさまでした」と伝えたくて絵本を綴る気持ちだったんです。もちろん映画なので、たくさんの方に観ていただかないと命が動き始めない。私がやらせてもらうという意味を理解した上でやるので、そこは応えられたらいいなと思っています。
技術が進み、どんどん便利になっていく分、人との心のつながりが薄くなっていると感じる方に観てほしい。人とのつながりが、人が人を思いやることが、どう美しいのかということを思い出してほしい。私は撮りながら、すごくそう感じていました。SNSでしか得られない喜びには寂しさが伴い、それはSNSでは埋められない。だから、そこに依存しないでほしいと。この作品ではあまり携帯電話を登場させていません。そこでしかつながれない人にはなってほしくないという願いを込めて。
世の中の思う“池田エライザ”のイメージとはかけ離れているかもしれませんが、その池田が、「こういうの作るの!?」という部分を、照れくさいですが観ていただければと思っています。映画に刺激を求めるという方もいるし、それもいいけれど、「たまには一息つきませんか」と。
池田エライザ いけだ・えらいざ
○プロフィール
1996年4月16日生まれ。福岡県出身。2011年に映画「高校デビュー」でデビュー後、主演作「一礼して、キス」「ルームロンダリング」「貞子」、話題作「SUNNY 強い気持ち・強い愛」「億男」など映画に精力的に出演。今年はNetflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』が配信され、映画「一度死んでみた」「騙し絵の牙」が公開。本作が初監督作品となる。
「夏、至るころ」
2020年公開予定!
出演:倉悠貴 石内呂依 さいとうなり
安部賢一 杉野希妃 大塚まさじ 高良健吾
リリー・フランキー 原日出子
原案:監督:池田エライザ 脚本:下田悠子
監督補:金田敬 撮影:今井孝博 照明:長沼修二 録音:菰田慎之介 美術:松本慎太朗 衣裳:木谷真唯 ヘアメイク:釜瀬宏美 助監督:佐藤吏 制作:酒井識人 音楽:西山宏幸 プロデューサー:三谷一夫
企画・田川市シティプロモーション映画製作実行委員会・映画24区
製作:映画24区 企画協力:ABCライツビジネス
協力:田川市・たがわフィルムコミッション
☆連載 「地域映画」は、本当に地域のためになるのか?
プレ連載
https://www.kinejun.com/article/view/945/
第1回 三谷一夫(映画24区代表)インタビュー
https://www.kinejun.com/article/view/945/
第2回 安田真奈(映画監督・脚本家)インタビュー
https://www.kinejun.com/article/view/945/
第3回 松本裕一(兵庫県議会議員)インタビュー
https://www.kinejun.com/article/view/945/
第4回 有田匡広(たがわフィルムコミッション/田川市職員)インタビュー
https://www.kinejun.com/article/view/945/
●ぼくらのレシピ図鑑シリーズ
http://bokureci.eiga24ku.jp/
●映画『ぼくらのレシピ図鑑シリーズ』で学ぶ講座、第2期生募集中
【地域プロデューサー術クラス】
http://eiga24ku-training.jp/menu/output_01.html
【地域脚本術クラス】
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