「決死隊」のストーリー

1898年キューバが数世紀来の牽制を加えられたスペインに対して反旗を翻した時米国はスペインに平和的解決を勧告した。当時海軍次官だったルーズヴェルトは着々準備を整え国論開戦に決するや否や全艦隊を大西太平両洋に出動せしめた。しかも彼はウィーンの人として在るに忍びず親友ウッド大佐とともに義勇兵を募った。若いバート・グレアムも志願した。彼にはドリー・グレイという恋人があった。同じ志願兵にアラン・ヴアン・ブラントという青年があったが彼は軍隊教育を受けたことがあるので軍曹に任ぜられた。アランはドリーの淑やかな処女美に心を惹かれ、バートと争った為にルーズヴェルトは罰としてアランの階級を取り上げ、バートと共に一兵卒として出征した。バートは愛人ドリーから贈られた国旗を懐に奮戦する決心だけはしていたが鉄砲の響きを聞くと勇気がくじけ臆病者と笑われた。ルーズヴェルトの率いる決死騎兵団は乗馬が到着しないので徒歩で戦場に赴かねばならなかった。サン・ファン丘には敵の堅固な陣地があった。米軍は十字火を浴びて死傷が続出した。怖れ慄えているバートは遂に重傷者護送の役目を受けて戦線を退いた。その重傷兵は途中で絶命した。その断末魔に彼は恋人の写真をバートに示して、恋人の激動に俺は報いた、卑怯者とは云われまい、と言って死んでしまった。バートは胸を打たれる思いがした。彼は別人の如くに踵を返して戦線に出た。そして最前線をも突破して唯一人敵陣目がけて突進した。全軍は罵声を挙げてバートに従って突貫した。バートは機関銃陣地に突入して機関銃を破壊し敵兵2、3を刺殺した。彼が一弾を胸に受けて倒れた時アランはバートを応援にやって来た。自ら数創を受けつつもアランは重傷のバートを抱いて包帯所に急いだ。バートは血に染む国旗をアランに託し、やるだけやって死ぬに死んだ。凱旋の日アランはドリーに一切を物語った。7年後にルーズヴェルトが大統領に就任した日往年の決死騎兵団を引見した。アラン・ヴアン・ヴラントは夫人ドリーと2人の子供を伴って出席した。