「宇宙へ。」のストーリー

1961年4月12日、ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンは人類初の有人宇宙飛行を成功させ、地球を一周する。それに先立つ1957年、ソ連のスプートニク打ち上げに危機感を募らせたアメリカは、翌1958年に米国航空宇宙局(NASA)を設立した。そしてガガーリンに遅れること23日後には、アメリカも有人宇宙飛行“マーキュリー計画”を成功させる。しかしそれは、わずか15分28秒の弾道飛行だった。第35代大統領ジョン・F・ケネディは、60年代のうちに月に人を送る“アポロ計画”を打ち出す。複数の飛行士を同時に宇宙へ送り出す“ジェミニ計画”では、エドワード・ホワイトが人類初の宇宙遊泳を成し遂げ、2機の宇宙船が約30センチの距離で並行するランデブー飛行にも世界で初めて成功する。しかしアポロ1号は地上訓練中に事故を引き起こし、ホワイトを含む3人の飛行士が命を落とす。1969年7月20日、アポロ11号の月着陸船イーグルは月面に着陸する。その4ヵ月後、アポロ12号も月面着陸に成功するが、地上ではベトナム戦争が泥沼化し、宇宙開発は行き詰っていく。ロケットに代わり、再利用可能なスペースシャトルが使われるようになると、宇宙へ飛び出すことは日常化・商業化していく。しかし、宇宙への旅が危険を伴うことに変わりはない。1986年1月28日、スペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げ1分後に爆発し、民間人初の宇宙飛行士クリスタ・マコーリフを含む7人の乗組員全員が死亡する。その17年後の2003年2月1日には、コロンビア号が生還目前で空中分解した。しかし人類は、宇宙を探索するという崇高な試みを捨ててはいない。チャレンジャー号の事故のあと、1990年4月24日にはハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられ、コロンビア号の惨事の上には、国際宇宙ステーションの時代が始まろうとしている。