解説
この作品のレビュー
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ミャーノフ大佐
いやー、拾いものの映画だった。拾いものというのは失礼か。感動させられる映画だった。もう浅丘ルリ子につきる映画だ。
時代は戦前から戦中、敗戦直後までの時代。舞台は兵庫県の日本海側餘部。餘部と言えば餘部鉄橋があまりにも有名で、昔からよく鉄道写真に限らず紹介されていた名所だ。1986年に強風で列車が鉄橋から転落した事故は当時ずいぶんとニュースになった。そんなところが舞台。
浅丘ルリ子は山の平家の落ち武者部落に住むきよのと言う役。一方の相手役は海で網元の家の長男拓治を演じる伊丹一三、のちの伊丹十三(私も子供の頃は伊丹一三で覚えていた)。
子供の頃に浜辺で1度会ったことのある2人。大人になった拓治が船を作る為に山に木を買いに来た帰り、水を欲してきよのの家に寄る。そこから2人の愛が始まる。映画の最初の方で浅丘ルリ子の裸が出てくる。おっぱいはお尻も見えた。トップスターの浅丘ルリ子が裸になるなんてなかなかの根性の入れ方だ。きよのの愛情の深さ、激しさをよく演じている。「私はこらえ性の無い女だから」と愛情表現を隠しもせず、激しく拓治を愛する。拓治が徴兵され、戦地で怪我をして佐世保に戻ってきた時は親身に看病し、餘部の山の中の小屋で二人だけの生活をし、足を切らなければいけないと言われた拓治の足を完治させてしまう。そして昭和20年2月、拓治に再度召集令状が届き、戦地に行き6月に死亡通知が届く。敗戦まであとわずかだったのに。
山の中でのきよのと拓治の2人だけの生活はまるでおとぎ話のようなお話だ。愛情も誰に遠慮すること無く発露しまるで夢の中の世界、生活だ。それが浜の集落では現実の世界が迫ってきて、周りの人間が戦争で死んでいき、ついに拓治にまでたどり着いてしまった。
狂おしいまでのきよのの愛情。拓治がいなくなり気がふれてしまった。そして仏壇で拓治の死を知る。
「私はこらえ性の無い女だから」と拓治にありったけの愛情を捧げる。このきよのの気持ち、その健気さに涙せずにいられない。
きよのの友人役として芦川いづみが出ている。浅丘ルリ子といい芦川いづみといい可愛くてきれいな女優だなあ、とつくづく思う。きよのの妹役として松尾嘉代が出ているが、やっぱり松尾嘉代は1ランク落ちるなあ。
監督が蔵原惟繕。そんな上手な監督と思ってないけど、この映画は良かった。
原作のタイトルが「執炎」なんだろうけど、なんとかならなかったかなあ。
「執炎」のストーリー
「執炎」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「執炎」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | ドラマ |
製作国 | 日本 |
製作年 | 1964 |
公開年月日 | 1964年11月22日 |
上映時間 | 120分 |
製作会社 | 日活 |
配給 | 日活 |
レイティング | |
アスペクト比 | シネマ・スコープ(1:2.35) |
カラー/サイズ | シネスコ |
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