解説
若山三郎の原作を「けものみち」の白坂依志夫と「拳銃野郎」の中野顕彰が共同で脚色、「父と娘の歌」の斎藤武市が監督した青春もの。撮影は「男の紋章 竜虎無情」の萩原憲治。
この作品のレビュー
ユーザーレビュー
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ミャーノフ大佐
白坂依志夫が共同脚本を書きながらこんな程度の映画しかかけないのか。プログラムピクチャー恐ろしや。
製作現場の話(空想):
「今度の吉永小百合と浜田光夫の映画、なんにする?」
「一緒に後輩の和泉雅子も出せば客も増えるんじゃないか?」
「じゃあついでに十朱幸代も入れておこうか。」
「で、話はどうしよう?」
「うーん、スチュワーデスの話にしようか。」
「でも、スチュワーデスのことは何も知らないしなあ。」
「会社のあの重役、全日空の誰かを知っているって言ってなかったか?」
「そうか、じゃ全日空に全部話を作ってもらおうか。」
数日後、全日空から粗筋がきて。
「これじゃ、40分くらいで終わってしまうな。」
「じゃあ、違う話を付け足してっと。」
「おい、これじゃスチュワーデスの話じゃないよ。」
「良いんだよ、吉永小百合にスチュワーデスの格好させればそれでスチュワーデスの話になるから。」
「それにしても、まだ尺が足りないな。」
「そうだ、「パリで一緒に」みたいに所々で空想シーンみたいなのを入れたら良いんじゃないか?」
「良し、これで1本できあがり。」
「あとは適当に台詞をつけて。」
で、映画1本できあがり、っと。
「大空に乾杯」のストーリー
スチュワデス滝村ゆり子はきびしい二カ月の訓練を経て、やっと処女飛行に飛び立つことになった。そんなゆり子を、滝村家の庭の花壇の手入れに通っていた園芸大学の学生北倉誠は自分のオート三輪で羽田空港まで送った。ゆり子が初搭乗した飛行機は、関名俊太郎機長のボーイングジェット機だったが、ゆり子は、同乗のスチュワデス朝子や関名の恋人である教官の工藤冴子のおもいやりで、無事大任を成しとげた。それから数日、誠は仕事の合間、ゆり子の父健造に、自分の夢を話した。--自分で広い花畑をもち、その中でオヘソをだして一人で寝たい、というのだ。が、そんな誠の当面の目的は、苦心して育てた、ベコニヤ・ピクタの花を咲かせたいとゆうことだ。ゆり子は、そんな誠の花と対するときの美しい瞳の輝やきに次第に魅かれていった。やがて、ゆり子の二度目の飛行の時がやって来た。そして、やっと仕事になれたゆり子は、この飛行中、酸素欠乏症になった、財界の大立物立花啓佐衛門の孫である男の子を、とっさの機転で助けた。その後ゆり子は、感謝のしるしにと立花邸に招待された。そしてその席で、立花は息子の啓介をゆり子に紹介した。啓介は、すっかりゆり子が好きになり、その後、ナイトクラブにゆり子を誘った。だが、誠を恋するようになっていたゆり子の心は、そこにはなかった。そうしたことがあった数日後、ゆり子は啓介の方からもちこまれた縁談を断った。母の菊子は、残念がったが、父健造は自分の若い経験を娘にまでさせたくないと賛成してくれた。健造は、病院長の地位を得るために、菊子と愛のない結婚をしたのだった。ゆり子はこれを知り、両親に離婚をすすめた。このゆり子のいたいけな心づかいに反省した健造と菊子は、夫婦として再出発することを誓った。やがて誠のベコニヤ・ピクタの花の咲く日がやって来た。朝日に美しく輝き花開いたベコニヤ・ピクタを前に、二人は初めての抱擁を交わしお互いの愛情をたしかめあうのだった。
「大空に乾杯」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「大空に乾杯」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | ドラマ |
製作国 | 日本 |
製作年 | 1966 |
公開年月日 | 1966年2月25日 |
上映時間 | 96分 |
製作会社 | 日活 |
配給 | 日活 |
レイティング | |
アスペクト比 | シネマ・スコープ(1:2.35) |
カラー/サイズ | カラー/シネスコ |
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