解説
子母沢寛の原作を「若親分喧嘩状」の高岩肇が脚色、「新・兵隊やくざ」の田中徳三が監督した“座頭市”シリーズ第十三作目。撮影は「刺青(1966)」の宮川一夫。
映画館で観る
配信で観る
TVで観る
この作品のレビュー
ユーザーレビュー
-
ミャーノフ大佐
以前、テレビで勝新の座頭市映画を観て、面白いじゃん、と思い、今回、BSトゥエルビで放映される事を知り、鑑賞しました。
やっぱ、面白いよ。
まず、でている役者陣がすごいじゃない。天知茂、小川真由美、佐藤慶、浜村純なんてくせ者揃いじゃない。それに撮影が宮川一夫、音楽が伊福部昭。監督の田中徳三は作品を観ると、プログラムピクチャーをたくさん取っているけど、助監督時代は溝口健二についていたんだ。橋の上でのたくさんのヤクザとの斬り合いシーンなんか、完璧な構図で撮っているじゃん。浜村淳扮する琵琶法師と座頭市のシーンなんかもいい構図だよね。
斬り合いシーンも座頭市がにじり歩きのように動きながら相手を倒していく。これもリアリティあるよなあ。
天知茂はもう新東宝が倒産しているから大映に移ったんだな。佐藤慶は俳優座出身で悪役ばかりやっていた役者だ。テレビドラマでも悪役やっていて、当時は憎らしい役者と思っていた。浜村純はいつも癖のある役をやっていたので、この映画でずっと善人だったのは意外。小川真由美はきれいだねえ。そして勝新。勝新は勝新だよ。ほんと、座頭市ははまり役だよな。
この映画、TVドラマでいいんじゃない?って?いや、これがこの時代の映画なのよ。
「座頭市の歌が聞える」のストーリー
座頭市は高崎で殺気を漂わせた浪人黒部玄八郎とすれ違った。市はその日、宿外れでやくざに襲われた為吉を救ったが、すでに深手を負っていて、市に財布を託すと言切れた。市は盲目の琵琶法師と道連れになった。一の宮は祭礼なのに門前の店はほとんど閉じていた。おかん婆さんの茶店に入った市は、おかんが為吉の母だと知った。市は為吉の息子太一に財布を渡した。町の人は板鼻権造一家の暴力に悩んでいた。権造一家は市にいやがらせをした。市はやむを得ず居合の妙技を見せた。太一はそんな市に憧れた。市は宿場女郎のお蝶にあんまを頼まれた。二人は心の触れあうのを感じた。弥平爺さんの上洲屋で、市は再び法師に会った。法師は太一がやくざに憧れるのは市のせいだと批判した。構造一家が押しかけてきた時、市は抵抗しなかった。だが、一家が上洲屋の娘お露をさらおうとするのに怒って居合で斬った。それを太一は見ていた。お蝶の亭主は黒部玄八郎だった。玄八郎はお蝶を身受けするため、権造に五十両で市を斬ると約束した。一家は上洲屋に乱入し、おかんを人質にした。市は仕込杖を捨てた。しかし、一家は弥平を斬り、市をも斬ろうとした。市は太一の助けで仕込杖を手に入れた。だが権造の作戦で八方から太鼓が乱打され、市は聴覚を封じられた。市は法師が、修業とは死ぬことだといった言葉を想い出した。市の心の眼は澄みきった。そして必死に斬りまくり、最後に玄八郎と対決した。一瞬の後、玄八郎は倒れた。市は権造が町の人から無理にとった金を取返し、お蝶の身受けの金も取った。そして隙をみて斬り込んだ権造を斬った。法師は太一に、本当に偉い人はやくざでないと教えた。市はお蝶の家に五十両を届けて去った。お蝶が市の後を追いかけようと外に出た。その時すでに、市は朝焼けの道に消えていた。
「座頭市の歌が聞える」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
---|
キャスト | 役名 |
---|

「座頭市の歌が聞える」のスペック
関連するキネマ旬報の記事
関連記事一覧 | |
---|---|
1966年5月下旬号 | 日本映画紹介 座頭市の歌が聞える |
1966年6月上旬号 | 日本映画批評 座頭市の歌が聞える |