「チンパオ 陳宝的故事」のストーリー
熊本に家族と暮らす76歳の相沢健。毎年恒例にしている戦争時代の上官・堀軍曹の墓参りで、実は堀が軍から名誉の戦死ではなく単なる死亡として扱われていたばかりか、遺骨や遺品が届かず堀家の墓にすら入っていないことを遺族に初めて聞かされ愕然となった彼は、堀軍曹の遺骨を探す為、かつての駐屯地である中国の桂林を訪れることを決意する。孫娘の静香を伴い、桂林に到着した相沢。彼の脳裡には忘れることの出来ない当時の想い出が鮮明に蘇ってくるのであった----。1945年、春。人民軍との戦闘で敗色の気配が漂う中、日本軍部隊は食料徴発と称して中国農民の家畜や穀物の略奪を度々繰り返していた。ある日、堀軍曹に率いられて向かった村で、若き相沢は一頭の子牛を手に入れることに成功する。ところが、その子牛を追いかけて陳宝(チン・パオ)と陳恵(チン・ホイ)の幼い兄妹が部隊についてきてしまう。両親を日本兵に殺されていた彼らにとって、子牛の壮壮(チュアンチュアン)は家族同然の存在。ふたりは、基地近くの洞窟で寝起きし子牛を気遣う生活を送るようになる。そんな陳宝たちが可哀想に思えて仕方がない相沢は、機転を利かし陳宝に子牛の世話をする役目を与えるが、その健気な様子に厳格な堀軍曹もいつしか同情の気持ちを寄せるようになっていた。ところが、最前線から退避してきた木戸中尉が子牛に目を付け、部下に調理を命令。そんな上官に、牛は自分たちが見つけた貴重な食料だと楯突いた堀は相沢に子牛を逃がすように命じ、お陰で子牛は陳宝たちと一緒に逃げることに成功するも、上官に逆らった罪で処刑されるのであった。堀の死は名誉の戦死として処理されることになった。だが、人民軍の攻撃の激化に伴い日本軍は退去を強いられ、相沢は堀の遺体を洞窟の中に置き去りにしてしまう----。相沢の帰国の日が来た。最後にもう一度、桂林の洞窟を訪れた彼は、そこで陳恵と再会する。陳恵によって、陳宝がその後日本軍によって射殺されたこと、堀軍曹の遺体を墓を作って葬ってくれたことを知らされた相沢は、彼女の案内で堀軍曹の墓に詣でると、そこに幼い陳宝から譲り受けた牛の鈴を供えるのであった。