解説
現存のアメリカの女性歌手ジェイン・フロマンの半生を描くテクニカラーの音楽映画で、製作、脚本は「廃墟の群盗」の故ラマー・トロッティ、監督は「夫は偽者」のウォルター・ラングの担当。音楽監督はケン・ダービイ、撮影はレオン・シャムロイ。主演は「キリマンジャロの雪」のスーザン・ヘイワード、「虐殺の河」のロリー・カルホーン、「人生模様」のデイヴィッド・ウェインで、セルマ・リッター「イヴの総て」、ロバート・ワグナー「栄光何するものぞ」、ヘレン・ウェスコット「脱獄者の秘密」、ユーナ・マーケルらが助演。製作1952年。
ユーザーレビュー
「わが心に歌えば」のストーリー
1936年、歌手のジェイン・フロマン(スーザン・ヘイワード)は美声を見込まれてシンシナティの放送局と出演契約を結び、その時、失業中の寄席芸人ドン・ロス(デイヴィッド・ウェイン)と知り合った。その後ジェインは、ドンをマネージャーにしてシカゴ、ニューヨークで大いに売り出し、2人は結婚した。しかしジェインの名声は上がる一方なのに、ドンはいつまでも下積みなので2人の間はうまくいかなかった。第2次大戦の勃発とともにジェインは軍隊慰問のため渡欧したが、飛行機がリスボンに着陸の寸前河に墜落して重傷を負い、操縦士のジョン・バーン(ロリー・カルホーン)に救われた。彼女は傷ついたジョンとともに入院し、長い療養生活の後、帰米した。ニューヨークでもジェインは傷ついた脚の手術を繰り返し一時は生死の境をさまよったが、ドンは彼女を歌手として再起させようと懸命だった。やがてジョンも帰米して来たが、ジェインは命の恩人である彼にいつしか想いをよせるようになった。ジェインは徐々に快復してやがて歌手としてカムバックし、以前にまさる人気を博した。ジェインとジョンの仲を知っているドンは、ジェインに2人の男のどちらかを選ぶことを迫ったが、彼女はドンに対する気兼ねからはっきり返事を与えぬままに、再び軍隊慰問のため渡欧した。ジェインは不自由な脚で3万マイルにわたる慰問旅行を続け、いよいよ帰米の日になった。ドンはジョンにジェインを譲る決心をして、彼女を迎えに出なかった。帰米後まもなくジェインは、その年の最も健気な芸人として表彰された。
「わが心に歌えば」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「わが心に歌えば」のスペック
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