たかが世界の終わりの映画専門家レビュー一覧

たかが世界の終わり

舞台劇『まさに世界の終わり』をグザヴィエ・ドランが映画化し、第69回カンヌ国際映画祭グランプリを獲得したドラマ。若手作家のルイは死期が迫っていることを伝えに12年ぶりに帰郷。久しぶりに家族と顔を合わせるが、やがてそれぞれの胸の内が噴出する。「SAINT LAURENT/サンローラン」のギャスパー・ウリエルをはじめ、ナタリー・バイ、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤールといった名だたる俳優が勢ぞろい、家族の心の機微を見せる。第89回アカデミー賞外国語映画賞カナダ代表作品。
  • 批評家。音楽レーベルHEADZ主宰

    佐々木敦

    この際だから正直に言うが、この映画はどうしても好きになれない。何もかも観客の好意的な情動におもねったわざとらしさに満ちている。不安定なクローズアップの多用も、フォーカスしたい人物以外を外界に押しやるための、やってはいけない作為に見えてしまう。主人公の苦悩の正体をはっきり語らない黙説法も気に入らない。音楽の使い方も下品だと思う。タイトルの深読みを誘う仰々しさも狙い過ぎ。だがおそらくこれらは全部、観る人によっては長所なのだろう。だから敢えて書いた。

  • 映画系文筆業

    奈々村久生

    狭い屋内で繰り広げられる家族関係の息詰まる閉塞感と緊張感を、顔のアップのカットバックと畳みかけるようなテンポの編集で見せる。ドランのライフワークともいえる家族の映画。昨今のフランスを代表する名優たちの顔面の圧は半端じゃない。しかしある爆弾を回避しながら展開する会話劇の応酬には逃げ場がなく、それがテーマを体現する手法として機能すればするほど、映画としてのダイナミズムは失われる。タランティーノがいかに会話劇の名手であるかを逆説的に考える。

  • TVプロデューサー

    山口剛

    都会で作家として成功した主人公が故郷に帰る。ゲイである。彼の帰郷で母、兄、兄嫁、妹の中でくすぶっていた葛藤、愛憎が露わになる。奇矯で歪んでみえる家族の一人一人を描き分けていく脚本、特に科白が良い。戯曲を原作としているが、完全にドランのものになっている。G・ウリエル、V・カッセル、ナタリー・バイなど芸達者な役者たちの表情を追うカメラが家族間の緊張を着実に拾う。ドランが一貫して描いてきた家族のテーマだ。彼の映画は今後何処へ向かうのか興味深い。

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