散歩する侵略者の映画専門家レビュー一覧

散歩する侵略者

「岸辺の旅」の黒沢清が劇団イキウメの同名舞台を映画化。鳴海の夫は数日間の行方不明の後、侵略者に乗っ取られて帰ってきた。同じころ、町で一家惨殺事件が発生し、ジャーナリストの桜井が取材に訪れる。第70回カンヌ国際映画祭ある視点部門正式出品作品。出演は、「追憶」の長澤まさみ、「ぼくのおじさん」の松田龍平、「シン・ゴジラ」の長谷川博己、「PとJK」の高杉真宙、「ハルチカ」の恒松祐里。
  • 評論家

    上野昻志

    見事! 金魚掬いした少女がセーラー服を血に染めて道を歩き、ボンヤリした表情の松田龍平に長澤まさみが苛立ち、惨劇の現場を覗く長谷川博己に高杉真宙が声をかける。三者三様の導入が、セッションを重ねるように絡んでいく展開に一挙に引き込まれる。原作由来の人の概念を奪うという設定は、それ自体で示唆的だが(人間は通念化した概念に縛られているからね)、人間と侵略者が同行するうちに深く繋がっていく姿がリアルに浮かぶのは、映画の力だろう。概念化し得ぬ「愛」に感動。

  • 映画評論家

    上島春彦

    黒沢映画は映画的には合論理的で、物語的にはどこか破綻している印象だが、これはその関係が逆転している。戯曲が原作で、エイリアンは地球を盗む前にまず概念を盗む、でも盗めなかったものがある、それは、というお話。要約すると何か違う。やっぱり逆転してないか。ロードムービーとホームドラマ、二つが交互に語られる構成はヨーダン脚本SF「人類SOS!」をやっている。寓話というほど寓意的じゃないのだが、人類の終末到来の予感をあくまで海辺の光線のみで処理して秀逸だ。

  • 映画評論家

    モルモット吉田

    冒頭の血まみれ女子高生が車道を歩くショットや、家に人が引きずり込まれる厳密なタイミングからして興奮する。50年代の共産圏からの侵略をメタファーとした小都市SF映画のテイストを甦らせるための手練手管の数々は、黒沢の集大成を眺めているかのよう。松田、長澤夫婦の静謐な物語の裏で怪演する長谷川を利用したやりたい放題によって中短篇で試行を重ねてきた女性アクションが開花したのも喜ばしい。ただ、クライマックスから終盤にかけては一度観ただけでは性急な感もあり。

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