海を駆けるの映画専門家レビュー一覧

海を駆ける

「淵に立つ」の深田晃司監督が、インドネシアを舞台に紡ぎ出すファンタジー。海岸で倒れていた謎の男を預かることになった災害復興の仕事をしている貴子。息子のタカシたちと共に男の身元を捜索するなか、その周りで次々と不思議な現象と奇跡が起こり始める。出演は「結婚」のディーン・フジオカ、「南瓜とマヨネーズ」の太賀、「2つ目の窓」の阿部純子、「ほとりの朔子」の鶴田真由。
  • 映画評論家

    北川れい子

    前作の「淵に立つ」がまさにそうだったが、深田監督は異分子を好んで描く。インドネシアを舞台にした今回の異分子は、海から現れた無口で静かな男。男は何もせず、でもじっと何かを待っている。映画はこの異分子を軸にして、日本からやってきた若い娘や地元の青年たちのエピソードを穏やかに描いていくが、天災や運命に対するアジア人特有の受け入れ方などにも触れての終盤は、いささか強引、傲慢で、しかも解釈はご自由に!? 森羅万象ふうな異分子という野心は買うがズルくない?

  • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

    千浦僚

    したたかにしつこく深田晃司監督は「テオレマ」の如き異人来訪をまたも描く。過去作「歓待」「淵に立つ」と本作をくくってそう言うがそうでありつつ違うものをつくり明らかに発展していることが良い。超能力者か(比喩でなく)神か悪魔か、ディーン・フジオカは深田映画最強異人。だが彼と関わる若者たちは自然体で彼に圧倒されない。人物像の成長。奇蹟にすがらずそれを契機程度に捉えることと曖昧さを持続することの強さ(特に太賀)。彼ら自身も奇蹟だと示唆して映画は終わる。

  • 映画評論家

    松崎健夫

    ディーン・フジオカが体現するのは母なる海、つまり大自然だ。彼は何の前触れもなく海の彼方からやって来るが、それは何の前触れもなくやって来る津波にも似ている。自然は人を癒すが、時に人の命を奪うものでもある。そこに意図などないという穏やかさを、ディーンの佇まいが雄弁に語っている。また劇中では、窓や扉、トーチカ、ビデオカメラなどにより画面の中にもうひとつの画面を構成。「捜索者」(56)のような画作りは、“何かを捜す”人たちの佇まいと同期しているのだ。

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