家族を想うときの映画専門家レビュー一覧

家族を想うとき

「わたしは、ダニエル・ブレイク」のケン・ローチ監督が引退宣言を撤回し、時代の波に翻弄される家族の絆を描いた人間ドラマ。マイホームを建てるため父はフランチャイズの宅配ドライバーになるが、過酷な労働条件に振り回され、家族との時間を奪われていく。労働時間を定めずに締結される労働契約、いわゆるゼロ時間契約について取り上げている。第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品。
  • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

    ヴィヴィアン佐藤

    老巨匠に引退宣言を撤回させたテーマは、まさに我々が毎日ネットニュースで目にするプラットフォームビジネスの裏側だ。舞台はイギリス、ニューカッスルだが、世界中どこにでも見られる光景だ。「ネット社会」は無駄を省き効率を優先する。一家族の「家を持つ」という定住の土地を求めるありふれた夢。家族の会話や触れ合い、共有する時間と空間を持ちたいとする目的は、グローバル経済とAIという非場所のシステムに支配され手段であったはずの労働環境によって粉砕されていく。

  • フリーライター

    藤木TDC

    老巨匠による良心作だが、本作が描く底辺労働者の生活過酷化は私のようなフリーランスには切実な明日で、そのリアルを延々見るのは苦しかった。だから同じ気持ちになろう人々に高い入場料まで払って本作を見よとは勧めにくい。見ながら夢想した。70?80年代を生きた内田裕也や本間優二、デ・ニーロのトラヴィスは同じ境遇をどう突破したろうと。本作に不足なものがそこにある。映画は野蛮に現実を破壊しなければ。我々は飼い犬ではない。行儀良くしても餌にはありつけない。

  • 映画評論家

    真魚八重子

    過酷な仕事に就く共働き夫婦の、それぞれの日常描写の説得力。ケン・ローチは着実に現実味のあるトラブルを積み重ね、追いつめられていく大人の心身の疲労を見せつける。何度も岐路に立たされ、そのどちらの道に進んでもダメージが伴う脚本の綿密さ。子どもがたとえ浅はかでも思慮はあり、親の思惑とは折り合わない問題行為を起こすのも、家族とは人間が寄り合う集合体である軋みゆえだ。決着をつけないラストのドライブが、現代的なワーキングプア問題の破綻を予言する。

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