もちの映画専門家レビュー一覧
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フリーライター
須永貴子
ドキュメンタリーともモキュメンタリーともフィクションのドラマとも違う本作は、一関の自然、生活、文化に密接なドラマを、ここに暮らす人々が演技をして、形にしたという。その結果、登場人物の実在感と、生々しい感情が抽出されている。中心に立つ中3のユナが、祭りの練習で流す汗や、卒業式で見せる涙はリアルだとして、親友の兄に好意を示すときの頬を赤らめた表情は、どこまで演出によるものなのだろう? 小松監督は、いつかとんでもないものを撮りそうな気がする。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
ドキュメンタリーのような作りだが、最初からそうではないとわかる。かつて震災に見舞われた岩手県一関が舞台だが、これは震災を描いたものではない。そのずっとずっと前からあるこの地の「もち」文化をもとに、ここに暮らす人々のささやかだが切実なドラマを展開させている。妻を亡くしたお爺ちゃん、その孫の少女が通う学校は閉鎖される。彼女はひそかに恋をするが、その相手の青年は東京へ行ってしまう。誰もがドラマを抱えているが、あえて映画にするべきドラマだったかどうか。
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映画評論家
吉田広明
祖母も、自分の中学も、友達も、好きな先輩もいなくなってしまう中、伝統芸能の神楽を練習し、祖父の祖母供養の餅つきを手伝う経験を通し、忘れないためにはどうすれば、と考えてゆく。しかし中学生にとって大事なものがみな消えていくことは不条理であり、まずは混乱、動揺し、怒りすら覚えるというのが自然な反応ではないか。忘れないように、という発想は中3というより、大人(監督)のもので優等生的に見える。ドキュメンタリー的でリアル志向だけにその根本の不自然は難に見える。
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