チロンヌプカムイ イオマンテの映画専門家レビュー一覧
チロンヌプカムイ イオマンテ
1986年、75年ぶりに行われたアイヌの祭祀『チロンヌプカムイ イオマンテ(キタキツネの霊送り)』を記録したドキュメンタリー。わが子と同じように育てたキタキツネを、神の国へ送り返す1986年に撮影された幻の映像をレストア。祭祀を司る日川エカシの祈りを現代日本語訳で甦らせる。監督は「海の産屋 雄勝法印神楽」の北村皆雄。
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脚本家、映画監督
井上淳一
本作のイオマンテの生贄はアイヌ神事の伝承者が飼うキタキツネ。我が子のように可愛がっている狐を神事のために殺す。これ、マジョリティ側の伝統だったら批判されないか。ナレーションが狐の心の声だと分かる。神に感謝しながら死んでいくと狐は言う。その無批判さに虫酸が走る。せめて狐を殺す瞬間を撮れよ。それが命に対する最低限の礼儀だろ。35年後が取って付けたように描かれる。子供たちはその地にいない。もう伝統も神事もいらないのだ。死は死。動物好きは観ない方が。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
1986年に75年ぶりに行われたアイヌの祭の記録。映像で残すべき貴重な機会である。祈りの言葉や所作、踊りや歌、服装や道具、式場や祭壇、供物やしきたり。それらの一つひとつが、この映画のいわば主役であり、それらを後世に伝えることに主眼を置いて作られている。加えて、祭の趣旨とアイヌの世界観が、殺されることで神の国に送られるキタキツネの心の声として、ナレーションでわかりやすく説明される。長老の祈りはすべてアイヌ語と日本語の字幕がつく。
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映画評論家
服部香穂里
見るからに仙人の日川善次郎エカシの、とぼけた一面や女房泣かせな過去にも光を当てることで、そんな彼が誇りと責任感とともに緊張の面持ちで臨む、アイヌ伝統の厳粛な祭祀への取っつきにくさも薄れ、入り込みやすい。死にゆくキタキツネのモノローグに幾分あざとさを覚えつつ、殺生を繰り返すことでしか生命をつなぎ留められない人間の宿命や、だからこそ、生きとし生けるもの全てに畏敬の念を払うべき重要性に、改めて向き合う契機をもたらす意味では、十二分に効果を上げている。
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