SUPER HAPPY FOREVERの映画専門家レビュー一覧
SUPER HAPPY FOREVER
あるリゾート地を5年ぶりに訪れた幼馴染の佐野と宮田が、佐野の亡き妻・凪(なぎ)との思い出の場所を巡りながら、かつて失くした赤い帽子を探す夏の物語。思いがけない出会いがもたらす幸せも、別離がもたらす悲しみも、月日とともに過ぎていく。だが「人生のかけがえのない瞬間」は、そんな時の流れにこそ隠れている。5年前と現在という二つの時間の中で人々の奇跡のようなひとときが鮮やかによみがえる。五十嵐耕作監督が注目を浴びた短編映画「水魚之交」を基に、自ら長編の脚本を書き監督した。「泳ぎすぎた夜」を共に監督したダミアン・マニヴェルが共同プロデューサーを務め、ポストプロダクションをフランスで行った。出演は短編に引き続き佐野を「愛にイナズマ」の佐野弘樹、宮田を「悪は存在しない」の宮田佳典、凪を「猫は逃げた」で主演を務めた山本奈衣瑠。第81回ヴェネツィア国際映画祭ヴェニス・デイズ部門のオープニング作品。
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文筆家
和泉萌香
現在と過去、男と女の眼差し、ふたつの世界を同じ質量で提供してみせる館。海沿いのホテルというドラマにぴったりなロケーションも、ひたむきに流れる名曲も露骨さなしに、「海」という場所そのものが持つ時間のちからを借り、個人の物語をも超えてゆくその美しさ。永遠と感じられるような甘やかなひとときは始まりの一瞬であり、それをたぐり寄せるべく、文字通りどんなになくした符号を探し続けたとて、あとは失い続けるのみというやるせない真理もさらりと暴き出す。
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フランス文学者
谷昌親
どちらかと言えば小品の部類に属するような映画だが、かつてヌーヴェル・ヴァーグによって生み出された傑作にもそうした小品が少なからずあった。しかも、ひとつのショットのなかで鮮やかに時間を遡ることで始まる後半部において、海や空や避暑地の光景はまさにこれがヌーヴェル・ヴァーグ的なヴァカンスの映画であることを示している。佐野から凪へ、そして凪からアンへと持ち主を変えつつ、オフュルスの「たそがれの女心」でのイアリングのごとくに物語を紡ぐ赤いキャップが印象的だ。
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映画評論家
吉田広明
前半では妙に投げやりで、奇矯な行動を繰り返すだけの変人にしか見えなかった男が、後半の二人の出会いのフラッシュバックにより、それが妻を喪った悲しみによるものだったと判明する構成。順序を逆転させることで、またタイトルや劇中歌われる歌がハッピーであることのアイロニーという作為によって痛切さを「自然」に演出しているわけだ。後半における二人の交情がそれこそ「自然」に見えるだけに、後半を前半への答え合わせに貶めるような作為がかえって邪魔に思える。
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