検索結果

作品情報
検索条件なし 6228件)

人物
「検索結果」を人物名に含む検索結果 373552件)

記事
「検索結果」の検索結果 50件)

  •  2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえました。それを記念して、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げる定期連載記事を、本キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時配信いたします。  衛星劇場の協力の下、みうらじゅんがロマンポルノ作品を毎回テーマごとに紹介する番組「グレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ」の過去の貴重なアーカイブから、公式書き起こしをお届けしたします。(隔週更新予定) ■2013年7月放送 「SF」 どうも、みうらじゅんと申します。「グレイト余生映画ショー In 日活ロマンポルノ」民俗学入門。今回は、SF特集で、4本お送りします。SFってそもそもなんでしょう?サイエンス・フィクションですよね。でも、実はこの4本全くSFの要素はありませんので、あしからず。でも、このタイトルはどうでしょう? 何か不思議なことが起こるっていることは間違いないです。その代表作、『三次元透視 SEXウルトラ・アイ』。さあこれを、真剣な顔をして見れるかどうか? あなたの度量がかかっているということです。(笑) その時、股間がうずいた…。今宵の教材は、時代を先どる絶頂アイテム『三次元透視 SEXウルトラアイ』。先人たちが残した、近未来予想図。未来のヴァーチャル・オーガズムを体感せよ!エロと科学が出会うとき、その瞬間新たな歴史がはじまる。 チャックを下ろそうとした方、大丈夫でしょうか?(笑)。 『三次元透視 SEXウルトラ・アイ』。どんな映画なんでしょう? このポスターを見ていただければ、だいたいわかりますよね。このウルトラ・アイを使うと透視できるってことです。SEXウルトラ・アイという機械は、どういうものであるかっていうことをちょっと分析してみたいと思います。 民俗学入門 あっと言う間に透けるとん 『三次元透視 SEXウルトラ・アイ』 これが映画に出てくるウルトラ・アイの機械ですよね。何回もビデオ止めて描いてみたんですけども、どう見ても、こうしか分かりませんでした。 これが映画に出てくるウルトラ・アイの機械ですよね。何回もビデオ止めて描いてみたんですけども、どう見ても、こうしか分かりませんでした。 この赤い部分が、どうやら3次元透視の鍵なんですね。ここは映らなかったけど、きっとグリップの所、滑り止めがついていると思います。裏から見ると、多分こうなってるんだと思います。こうやって両眼で見ると、服が透けて見えるということです。 ちょっと想像して、その構造を描いてみたんですけど、こういうことですよね。 ここに服を着た女性がウルトラ・アイではこう写るわけです。この赤い部分にIC が埋め込まれていて、どういう機械なのか未だにわかんないけど、着衣だけが上手くとれるのです。それがスポーンと2つに別れて、ジュッと見ている人がヌードがみれるという。やはりSFですよね(笑)。 この機械、冒頭の10分くらいはよく出てきますけど、後半はほとんど出ませんので、気を付けて下さい。この映画は『三次元透視 SEXウルトラ・アイ』と言ってる割には、目立つのは女優じゃなくて、この三人のオヤジであるということです。この三人のオヤジが主演と言っていいでしょう。 こういう顔した(左手のキャラクターを指す)穴野助平って言うとんでもない産婦人科のオヤジで、どうやら電話番号は84-19(ハヨイク)で覚えるということですね。この蝶ネクタイのおっさんと、黄色いカーデガンのおっさんが、いやらしい話をしながら物語が進むんです。 そして、この3人が映画で教えようとしていたことを書き出してみました。 1. 足首が細い女 2.口元にホクロがある女 3. ドテ高の女 それが、「サイコー」って言うのです。ということで、三次元透視はほんの数分しかでてこない、実はやらしいオヤジのエロ話だったということでございます。 性の未来を考えるロマンポルノSF大全 次の作品、『桃子夫人の冒険』。主演は、日向明子さん。この方は冷凍でずっと冬眠していた設定です。眠っている間に、グチャグチャと色んなことがおこるっていう、別にSFでもなんでもない話です(笑)。 『看護婦日記 獣じみた午後』。これは、夢で見たことが映像になるというのを発明する話がでてきます。1982年ですから、たぶん『エルム街の悪夢』(1984年製作 ウェス・クレイブン監督作)はこの作品に影響を受けたのでしょう(笑)。 次は、『タイムアバンチュール 絶頂5秒前』。 先日、『ミッション:8ミニッツ』(2011年製作 ダンカン・ジョーンズ監督)って映画を見たんですけど、何秒かだけタイムスリップできるという作品でした。同じコンセプトですよね。絶頂をむかえる何秒か前にタイムスリップするんですよね。「ここはどこだ?」って言って。どうみても歩道橋の上から撮影している映像が映っています。タイムトラベルものですよね。それをエクスタシーと共に迎えることができる人の話でございます。 ということで、この4本はSF というテーマ?でお楽しみください 『三次元透視 SEXウルトラ・アイ』 河井憂樹さん主演、1984年製作 『桃子夫人の冒険』 日向明子さん主演、1979年製作 『看護婦日記 獣じみた午後』 風間舞子さん主演 1982年製作 『タイムアバンチュール 絶頂5秒前』 田中こずえさん主演 1986年製作 ※各作品はamazon、FANZAをはじめする動画配信サービスにて配信中です。 4本をご覧くだいさませ。それではあなたも、グレイト余生を!   出演・構成:みうらじゅん/プロデューサー:今井亮一/ディレクター:本多克幸/製作協力:みうらじゅん事務所・日活 ■2021年09月 TV放送情報 【衛星劇場】(スカパー!219ch以外でご視聴の方) ・『(本)噂のストリッパー』(【森田芳光70祭】監督・森田芳光特集) ・『昼下りの情事 噂の看護婦』 ・『女教師 汚れた噂』 ・『噂の女 朝まで抱いて』 ・『大奥秘話 晴姿姫ごと絵巻』 ・『色暦大奥秘話』 ・『色暦大奥秘話 刺青百人競べ』 ・『続・色暦大奥秘話 淫の舞』 【衛星劇場】(スカパー!219chでご視聴の方) ・『(本)噂のストリッパー』(R-15版) ・『大奥秘話 晴姿姫ごと絵巻』(R-15版) ・『OL日記 密猟』(R-15版)  あわせて、衛星劇場では、サブカルの帝王みうらじゅんが、お勧めのロマンポルノ作品を紹介するオリジナル番組「みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ♯99」、「みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ♯100」を放送! ※人気コーナー「みうらじゅんのグレイト余性相談室」では、皆様から性のお悩みや、疑問を大募集! 【日活ロマンポルノ】 日活ロマンポルノとは、1971~88年に日活により製作・配給された成人映画で17年間の間に約1,100本もの作品が公開された。一定のルールさえ守れば比較的自由に映画を作ることができたため、クリエイターたちは限られた製作費の中で新しい映画作りを模索。あらゆる知恵と技術で「性」に立ち向い、「女性」を美しく描くことを極めていった。そして、成人映画という枠組みを超え、キネマ旬報ベスト・テンをはじめとする映画賞に選出される作品も多く生み出されていった。 日活ロマンポルノ公式ページはこちらから   日活ロマンポルノ50周年企画「みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ」の全記事はこちらからご覧いただけます。     日活ロマンポルノ50周年新企画 イラストレーターたなかみさきが、四季折々の感性で描く月刊イラストコラム「ロマンポルノ季候」  
  • アメリカでも絶賛された韓国系移民の物語「ミナリ」 何気ない出来事が人の心を揺らす 明るいニュースがなかなかない。殺伐とした日々が続く。そんななかでこの映画を思い返すと、スッと心に爽やかな風が吹き抜けていく。ああ、いいなあと思う。 映画「ミナリ」(9/3にBlu-ray&DVDリリース)は、1980年代、アメリカ南部アーカンソー州で農業をはじめた韓国系移民の物語。しかも監督のリー・アイザック・チョン自身の半自伝的なストーリーだ、と聞いて「移民への酷い差別や家族を襲う試練がドラマチックに起こるのだろうか―?」と想像した。が、これが全然違っていた。この映画にそんな描写はまったくない。正直、拍子抜けするほどだ。 おばあちゃん役のユン・ヨジョンがアカデミー賞助演女優賞受賞 がらんとした土地は、どこまでも広く悠然としている。地元の人々はゆるーく彼らを受け入れ、排除することなどない。第一、地元民のほうがちょっと変わりものだったりする。そんな場所で農業に夢をかけるお父さんと現実的なお母さん、わんぱく少年デビッドと、がさつでかなり〝キテる〟おばあちゃんとのイタズラ合戦などがシンプルに活写される。 もちろん苦労もある。少年デビッドは心臓に病いを抱え、お母さんにとって不便な田舎暮らしは気が気でない。お父さんは畑の作物を枯らしてしまい、呆然とする。そんななかマイペースなおばあちゃんは近くに小川をみつけ、水辺に韓国から持参したセリを何気なく植えるのだ。タイトルの「ミナリ」は韓国語でセリを意味する。おばあちゃんが遠いアメリカと韓国をつなげたこの場所が、最終的に一家に恵みをもたらすという展開もうまい。俳優たちもみな魅力的で、おばあちゃん役のユン・ヨジョンはアカデミー賞助演女優賞に輝いた。 今こそ求めていた希望の物語 これは小さくとも普遍的で、豊かな物語。大事件は起こらないけれど、ひとつひとつの出来事が、どこか懐かしく愛おしく、ゆえに誰もの心の琴線に触れる。 移民の試練や苦悩のドラマにしなかった理由を、リー監督はインタビューでこう語っていた。「あのころ自分の世界は、99パーセント自分の家族のことだけ。白人に自分たちがどう見られているかなんて、考えたこともなかった」 子どもだって、いじめられたりすれば、そのことを忘れない。実際に監督が暮らした1980年代のアーカンソーには、アメリカらしい開拓精神に溢れる鷹揚さと、多様性を受け入れる懐深さがあったのだろう。本作がアメリカでも絶賛された理由は、そんな人間の当たり前のやさしさが、意外なほど多くの人の心を揺らしたからだと思う。 コロナ禍以降、アメリカではアジア系への暴力事件が相次いでいるという。アメリカだけじゃなく、世界が分断と閉塞に包まれている。ぜひ多くの人々に、いま一度この風を共有し、おおらかな気持ちを思い出してもらいたい。 文=中村千晶 制作=キネマ旬報社(キネマ旬報9月上旬号より転載) 『ミナリ』 ●9月3日(金)Blu-ray&DVDリリース(DVDレンタル同日リリース) Blu-ray&DVDの詳細情報はこちら ●Blu-ray:5,280円(税込)  DVD:4,180円(税込) ●Blu-ray・DVD共通特典 【映像特典】 ・ユン・ヨジョン&監督によるオーディオ・コメンタリー ・メイキング ・未公開シーン集 ●Blu-ray特典 ・キャスト・スタッフ プロフィール(静止画) ・プロダクションノート(静止画) ●オンラインストア限定商品 数量限定で、GAGA★ONLINE STORE限定プレゼント付ブルーレイ&DVDを販売。 A24特製ポストカードセット(全18枚セット/6種×3枚)を先着180名様にプレゼント! 詳細はGAGA★ONLINE STOREまで。 ●2020年/アメリカ/カラー/本編116分 ●監督・脚本/リー・アイザック・チョン 製作/デデ・ガードナー、ジェレミー・クライナ―、クリスティーナ・オー 製作総指揮/ブラッド・ピット、スティーヴン・ユァン 撮影監督/ラクラン・ミルン 編集/ハリー・ユ―ン プロダクションデザイン/ヨン・オク・リー 音楽/エミール・モッセリ ●出演/スティーヴン・ユァン、ハン・イェリ、アラン・キム、ネイル・ケイト・チョー、ユン・ヨジョン、ウィル・パットン ●発売・販売元/ギャガ ©2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved.
  • まともじゃなくても大丈夫! 窮屈な現代社会を笑い飛ばすラブコメディ まとも、普通、平凡……。多くの人と違っていることが批判されたり叩かれたり、変だと言われてしまうことも多い現代社会。時にはそれが炎上なんてことにもなってしまう。他人の目を気にして“まとも”でありたい、“普通”でいたいと思う一方、“平凡”でなく非凡で、個性的でありたいとも思う。でも変わっているとは思われたくはない……。そんな誰もが抱える複雑な思いや現代社会の窮屈さを笑いとばして心を軽くするような映画「まともじゃないのは君も一緒」のBlu-rayとDVDが9月3日にリリースされる。 噛み合わない会話の応酬が生む独自の面白さ 主人公は、恋愛経験0の二人。外見は良いが数学一筋で生きてきた社交性もコミュニケーション能力も皆無に等しい予備校教師・大野(成田凌)と、彼の生徒で恋愛上級者だと思い込んでいるちょっと意識高い系の女子高生・香住(清原果耶)。“普通”の恋愛に憧れる大野は、香住から恋愛指導を受けることになり、先生と生徒の立場が逆転。香住はこれを利用し、憧れの存在の青年実業家・宮本(小泉孝太郎)とその婚約者・美奈子(泉里香)を破局させようと思いつく。香住の指示で大野は、高嶺の花の美奈子にアプローチを開始するが、意外にも大野は急成長を見せ、二人はいい雰囲気に。そんな大野に複雑な思いを抱くようになった香住は、初めての不思議な感情に悩み始める……。 全編で大野と香住は膨大な言葉を交わし合うが、“普通”じゃない二人はどうにも噛み合わない。もちろん劇中の二人は大真面目なのだが、傍から見るとおかしくて仕方ない。その噛み合わない会話の応酬は、ボケとツッコミのようにも見え、ズレ漫才のような面白さもある。また、二人は歩きながら喋りあうことも多く、それが小気味よい独自のリズムを醸し出す。長回しのカットも多く、通常の映画の半分くらいのシーン数しかない会話劇中心の物語だが、全編98分がノンストップでテンポ良く進み、全く飽きさせない。 絶妙な成田凌×清原果耶のキャスティング 主人公の大野と香住を演じたのは、成田凌と清原果耶。成田は2014年の俳優デビュー後、多数の映画やドラマに出演し、第74回毎日映画コンクール男優主演賞、第93回キネマ旬報ベスト・テンや第44回報知映画賞や第43回ブルーリボン賞の各助演男優賞など、既に様々な映画賞を獲得。そして清原は2015年の女優デビュー後、16歳の時に主演したドラマ『透明なゆりかご』(18)で東京ドラマアウォード2019主演女優賞を受賞したほか、現在放送中のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で主演を務めている。そんな人気若手俳優たちの中でも特に芝居の上手さに秀でた二人が、噛み合わない会話の台詞を絶妙な間で掛け合い、自然な若い男女のコミカルなやりとりに見せている。二人ともに膨大な台詞を覚えるのは大変だったらしいが、芝居をしている感じがしないほど楽しかったとも映像特典のメイキングで語っており、それは本編からも伝わってくる。 大野は変わり者ではあるが、それがあからさまに見えすぎてもいけない。実際に居たら付き合いづらそうな人間だが、その不器用さが理解できれば可愛げがある。笑い方は特徴的だが、話してみなければ地味なイケメンにも見える。そんな一見捉えどころのない人物を成田ならではの柔らかな存在感で、見事に表現。そして、論理的に思考する慎重派で、基本的には穏やかな大野に対して、香住は感情の起伏が激しい直感型の猪突猛進タイプ。肝が据わっているため、年齢よりも大人びて見えることもあるが、思春期の女の子らしい複雑さがあって、一人で空回りする姿は可愛らしい。そんな女性を時に堂々と時に不安げに演じ、嫌味のない等身大の女の子として表現できているのは、清原ならでは。二人のキャスティングは最初にオファーした希望通りの組みあわせだったそうだが、今回の二人でなければ、作品のテイストも変わっていたことだろう。 他にも、香住が憧れる青年実業家役の小泉孝太郎、その婚約者役の泉里香、香住の同級生のカップル役の山谷花純と倉悠貴らの共演者たちも好演。特に小泉は、自らの好感度の高さや好青年のパブリックイメージを逆手にとった役を演じているのが面白い。なお、その小泉は、講演会のシーンで観客役のエキストラを和ませたり待ち時間を飽きさせないために、自ら率先して前説のようなことを行っていた様子が、映像特典のメイキングに収められている。他にも映像特典には、キャストやスタッフのコメント、撮影現場の裏話などが収められており、本作の絶妙な掛け合いの芝居がどのようにして作り上げられたのかなどを知ることができる。 “普通”って何だろう? 本作は、前田弘二監督、高田亮脚本によるオリジナルストーリー。二人はこれまでも「婚前特急」(11)「わたしのハワイの歩き方」(14)などで組んできた名コンビ。二人の男女が噛み合わない会話を続ける中で関係性が変化し、それが魅力的な物語としてテンポよく展開していく、初々しい不器用な男女の爽やかなラブコメディを見事に作り上げている。 さらに、本作の大きなテーマとなっているのが“普通”とは何かということ。大野は“普通”であろうと努力するが、彼の恋愛指導を行う香住も実は“普通”ではない。時にネガティブ、時にポジティブに使われる“普通”という曖昧な定義の言葉を、本作は台詞として54回登場させており、主人公の二人は何が“普通”なのかをお互いに問いかけ合う。冒頭でも述べたように、平凡すぎるのは嫌だが、変わり者とも呼ばれたくない。他人と同じなのはつまらないと思う一方、他人と違うと不安になる現代社会。何が“普通”かも、結局は自分で決めていることが多いのに、その“普通”に縛られることには意味がないのではないだろうか。普通でも変でも何でもいいじゃないかというポジティブなメッセージをコミカルに伝えてくれる本作は、現代社会に閉塞感や生きづらさを感じている人には特に響くはず。主人公の二人のテンポのよい掛け合いを笑っているうちに心が軽くなる、“普通”だけどまともじゃないラブコメディだ。 文=天本伸一郎 制作=キネマ旬報社 「まともじゃないのは君も一緒」 ●9月3日(金)Blu-ray&DVDリリース(DVDレンタル同日リリース) Blu-ray&DVDの詳細情報はこちら ●Blu-ray:6,380円(税込) DVD:5,280円(税込) ●特典(Blu-ray、DVD共通) 【仕様・封入特典】 ・アウタースリーブケース ・ブックレット(16P) 【映像特典】※特典ディスクはDVDとなります ・メイキング ・イベント映像集(完成報告イベント、公開記念舞台挨拶、配信トークイベント) ・予告集 ●2020年/日本/本編98分 ●監督:前田弘二 出演:成田凌、清原果耶、山谷花純、倉悠貴、大谷麻衣、泉里香、小泉孝太郎 ●発売元:株式会社ハピネットファントム・スタジオ 販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング  ©2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
  • ※本文中に一部映画「ドライブ・マイ・カー」のネタバレがありますのでご了承ください 「われわれは終わった後を生きている」という気分  「ドライブ・マイ・カー」の完成を祝し、濱ロ竜介監督をこの2人が囲んだ!  「きみの鳥はうたえる」(18年)の三宅唱監督は、たとえば『ユリイカ』18年9月号で濱ロ監督からの「公開質問」に答え、監督同士の緊張感のなかにシンパシーを送り合う仲。  そして三浦哲哉は、濱口監督の大作を分析し長篇評論『『ハッピーアワー』論』(18年、羽鳥書店)を書き上げた同時代の伴走的批評家。  3人は「映画演出の勉強会」をともに行う間柄でもある。映画となれば話はどこからでもはじまり千夜一夜は瞬く間、と申しますが3人の映画長話、どこまで転がってゆくでしょう? こんな映画を作ってくれてありがとうございます 三浦 このたび濱口さんが監督された「ドライブ・マイ・カー」を観て、これはすごい映画ができたな、と心からしびれまくったかんじです。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85年、ロバート・ゼメキス監督)ばりのと言いますか、映画の流れに強烈に没頭させられました。主人公の家福(西島秀俊)たちは赤いサーブ900に運ばれ、ある意味で過去に戻っていく。そこで様々なパーツが交差し、やがて未来が開かれる。赤いサーブがデロリアンを彷彿とさせたというわけですが、エンタメとしての充実度がすごい。「こうすればもっと面白くなったんじゃないか?」とダメ出しする隙がなかったです。音楽も衣裳も、いちいち細やかですばらしかった。三宅さんはどうでしたか? 三宅 僕もすっかり「ドライブ・マイ・カー」の世界に夢中になりました。何が面白かったのか?まず「映画の中で舞台を観るのってこんなに面白かったっけ?」という点が、本当に新鮮な驚きでした。そして「映画のなかで舞台を観る面白さ」というのが、舞台のシーンではない日常のシーンにもじわじわと波及していき、「役者の演技を見るのってこんなに面白かったっけ!」「人が話したり黙ったり動いたり止まったりするのを見るのってこんなに面白かったっけ!」と呆気にとられ、ニコニコしてしまいました。物語がどんどんシリアスになるその行方を、息をつめて見守りながらも、同時に興奮し続け、映画が終わったときにはとても元気になっていました。一映画ファンとして、こんな映画を作ってくれてありがとうございます。また同業者として、多くの勇気をもらったこともお伝えしたいです。あともう一個、終盤で「あ、まだ終わんないで!」って声を出しそうになりました。 濱ロ いやあ、もう。ありがとうございます。お二人にそう言っていただけたら心から嬉しいです。 三浦 役者の演技を見る面白さ、と言えば、家福が多国籍の俳優たちをオーディションする場面で、私は最初に涙がだーっと出てきた(笑)。高槻(岡田将生)とジャニス・チャン(ソニア・ユアン)がチェーホフ『ワーニャ伯父さん』の一場面を演じるところで、高槻がいきなり大胆な挑発まがいの動きをし、それにジャニスがものすごく生々しく色っぽい反応を返す。即興的な新鮮さもありつつ、カメラの動きはぴたっと完壁に決まっている。台詞がまた二人の今後を告げる予言のように響いて、ぞぞぞぞ……という興奮が押し寄せてきます。一体どうやったらこうなるのか……たとえば具体的には何テイクぐらい撮られたのでしょう? 濱ロ あの場面は、キスシーンも含め乱暴な感じの肉体接触もあるので、2人の中で完全に合意ができていないと安心して演技はできない場面です。ぶっつけ本番ではいけなくて、演じる役者としては全部理解していないといけない。ソニア・ユアンさんの初めての出演場面でもあったので、事前に2日くらいやって、岡田くんとの「本読み」も大まかな動きも前日のうちに決めておきました。横移動での撮影がいわば「カット1」で、鏡に向いた岡田くんを撮るのが「カット2」。そしてソニアさんがメインで映るものが「カット3」。カメラの動きなどでNGがあれば止めて、それぞれ最後まで通せたものがOKテイクになっています。一方で家福らのリアクションをBカメで、下川龍一くんが狙っているという状況でした。この3テイクを、編集で組み合わせたんです。構想段階からすると、西島さんの目線を強調したアングルも撮りたかった。でも、これ以上やると俳優さんとの「信頼関係」が壊れそうな気がしたので、やめておきました。 三浦 「信頼関係」とは、どういうことですか? 濱口 もしアングルがほしくて追加して撮るとして、演技のクオリティのためには通してもらったほうがいい。すると、もう一度身体接触を伴う、非常に消耗するような場面をやってもらわなくてはならない。しかも演技に問題があるわけではなく、既に演技としては十分すばらしく撮れている。違うアングルで演技がこのクオリティまで再び至るとは限らない。特にソニアさんにとっては初日の撮影で、言語も文化も異なる不安のなかで演技をしている。闇雲に撮っている、役者を濫用している監督のように感じられる危険があると思いました。だから、家福目線のアングルは撮らずに、3テイクで構成しよう、と判断しました。 三浦 ソニアさんがぐっと岡田さんをみつめる表情などもきわめて印象的なんですが、濱口さんは、俳優たちにどの程度、指示をしていたんですか? 濱口 「本読み」をして、大まかなことを決めたら、基本的に本番での演技は、俳優にお任せしています。なのであの場面に限らず、演技のニュアンスは基本的に、俳優自身から出てきたものなんですよ。もちろん動きや方向は、指示をしますけど感情的な面は、俳優から「たまたま」出てくるものだと考えています。結果的に「俳優からたまたま出てきたものをたまたまうまく捉えられたな」というテイクのみをつなげていきます。そういう偶然を映画のなかでどう位置づけていくか、を考えて編集していきました。 終わっている。でも生きなければならない。   三宅 濱口さんの映画では映画と演劇が出会います。これまでに「親密さ」(12年)で若い役者が舞台を作り上げるシチュエーションを撮っていますが、「ドライブ・マイ・カー」では多国籍の老若男女の演劇を撮った理由を教えてください。 濱口 映画で演劇を撮るのって、やっぱり難しいところがあるんですよ。たとえば現在の演劇を参照するなら、身体パフォーマンス寄りの演技っていうものもあるけど、それは映画にすると、生身の舞台を観て感じるほどの緊張感は持ち得ない気がしています。そういうパフォーマンスを観ているときに観客の身体に起きることって、少なくともその演じる身体を観続けていないと、起こらないことなわけで。だから劇中劇の演技は、舞台的ではなく映画の演技と同じようにアプローチしたいと思いました。普通にセリフを覚えて、セリフを言う。ただ、その際に相手と相互発展する形で演技をしてもらう。そういうシンプルな演技を撮りたいと考えたときに「多言語演劇だとすごくシンプルに”相互作用し合う”演技ができる」と仮説を立てました。もちろん「言葉が通じない難しさ」というのはあるんだけど、それは「国際演劇祭に呼ばれる演出家」の前衛性として捉えられる要素です。結果として、すごくシンプルに「相手に反応して演技をすること」が、この言語的条件だからこそ生まれたと思います。人物の年齢幅が広がったのは、単純に上演する戯曲、『ワーニャ伯父さん』の登場人物の年齢分布がそうだから、という理由が大きいと思います。 三宅 戯曲を選択したのは濱口さんだろうと勝手に思っていたんですが、村上春樹さんの小説を読んだら『ワーニャ伯父さん』が出てきて「あれ、原作に忠実だったんだ!」と。別戯曲に変えることもできたかと思いますが、そのまま『ワーニャ伯父さん』を使い、より深めて短篇小説が約3時間の映画になっている。この戯曲に魅かれた点について教えてください。 濱ロ 『ワーニャ伯父さん』の上演されるのも観ていたし、戯曲も読んでもいたんですが、ものすごく印象に残っている劇でもなかったんです。でも『ドライブ・マイ・カー』を読んで、家福がワーニャを演じるという前提で『ワーニャ伯父さん』を読んでみると、想像がどんどん膨らんでいって。家福がこれを演じるのはつらいだろう……という視点で読んだときに改めて、チェーホフのテキストの強度や普遍性に打たれる体験をしました。誰が思ってもおかしくないようなことがセリフになっている。みんなの根っこにそのまま届くような「すべての人の言葉」とでもいうものが、ここには書かれている、と気づきました。この映画が約3時間になった理由として、チェーホフのテキストにものすごく引っ張られたっていうのがあると思います。 三宅 「みんなのセリフ」ということに重なるかもしれませんが、『ワーニャ伯父さん』を見たり読んだりするたび、日本のこの20年間の空気も重なるなあ、と個人的に感じていました。チェーホフが普遍的で本質的なことを書いているからですが。ぼくが惹かれたのはドライバーのみさき(三浦透子)の存在。彼女は演劇ワークショップとは直接関係ないけれど、最も『ワーニャ伯父さん』的な人物だと感じました。若いのに、若くない。終わっている。でも生きなければならない。強烈な語りだけれど、いまこの日本に生きている自分の肌感覚に並走してくれる感じがありました。それが「ドライブ・マイ・カー」という作品が僕に突き刺さった理由かもしれません。 三浦 高槻も「一回スキャンダルで下された役者」っていう設定で、共通しますね。『ワーニャ伯父さん』でチェーホフが描いた「栄光の後の時間」が浸透している。 濱ロ なるほど。「われわれは終わった後を生きている」。たしかに、この映画にそういう気分はある気がしますね。 三浦 「一度終わってしまった人物」が集結する話なんですよね。イ・ユナ(バク・ユリム)も踊れなくなったダンサーだし。それぞれが過去のしがらみに足を取られていて、それゆえディープな交流が起こる。濱口さんの過去作の「震災以後」というテーマとつながっているし、ほんと「同時代」の映画だと感じました。 希望の映画 三浦 ただ同時に、ポジティブな力に充ちた希望の映画でももちろんあって、あるところから肯定的な変化が次々と連鎖していくじゃないですか。僕の印象だと、その決定的な起爆剤になったのが、木漏れ日が降り注ぐ広島の公園での立ち稽古の場面ですよね。ジャニスとイ・ユナが繊細きわまりないインタープレイを披露して、家福が「いますごいことが起きた」と言う(笑)。自分で言うのがすばらしいですよね。「連鎖が始まったぞ!」っていう予感に打たれて、2回目の号泣をしました(笑)。 濱口 ありがとうございます(笑)。 三宅 あの広島の公園の場面は、導入のパンから美しすぎて。「ヤンヤン夏の想い出」(00年、エドワード・ヤン監督)の冒頭の結婚式の場面に匹敵する美しさで、「シノミー(撮影の四宮秀俊)やったね!」って思いました。それに『ドライブ・マイ・カー』って、天候がすごくなまめかしく映っていますよね。回転している地球、つまり世界が刻一刻と動いている感じが、本当に居心地がよかったんですよね。 濱ロ ヤンの名前が…!嬉しいです。三宅さんは、「Playback」(12年)も「きみの鳥はうたえる」もシノミーと一緒に仕事をしてきたわけですけど、『ドライブ・マイ・カー』の撮影は、どうでしたか? 三宅 セクシーですよね。奥さん役の霧島れいかさんがとてもなまめかしい。ファーストカットから「こんなセクシーなカットから始まんの?!西島さんも脱いでんじゃん!!」って(笑)。ぼくがこう言うと下品な場面っぽいけど、とても品がある。寝室場面以外も当然セクシーで。特に皆さんの立ち姿、その美しさを捉える画面が印象的でした。しゃんと立つ人がたくさん出てくる、ってところにこの映画の美しさや品があるんじゃないか。そのなかで岡田さんだけは、わざと少しやわらかい身体所作にしていると思うけど、誰ひとり人間がふにゃふにゃしてないんですよ。特に、広島の事務局のお二人が最高!高槻の事件が起きた後に、駐車場で家福に選択を迫る、あの知性と立ち姿がとても好き。「ここに頭のいい人が写っている!」って思って。セリフ内容、目の向き、声のトーンもあるけど、あの立ち姿に「大人な映画だわ!」って本当に思った。立ち位置はどう一緒に作っているんですか? 濱ロ 「ここに立ってください」って立ち位置の指示はしません。本当にセリフだけを覚えてもらって。関係性というかシチュエーションで、互いの距離は自ずと決まるじゃないですか。「自然に止まってくれれば、撮りますから」って言って撮ったんです。シノミーがすごいなと思うのは、一人も立ち位置を決めて立たせていないのに「ここにカメラを置けば、この俳優をこう撮れる」という感覚的な理解がある。だから、役者たちはカメラのことを気にしないで動いていたと思います。にもかかわらずシノミーは常に調和を感じさせるようにレンズや距離を選択できる。これはどんなカメラマンでもできることではないです。 「家福が誰かを見ている映画」 三浦 クライマックスの話もしたいんですが、西島さんが三浦さんと、倒壊した家の前で演技をするロングテイクがあるじゃないですか。あそこは、もう出だしから西島さんのテンションが今までと違う。樵梓しているというか、それに引き込まれて、数分間、まさに息を呑んで見続けるしかない、というすばらしいショットでした。 三宅 あの2人を同じ画面内でワンカットで捉える、という選択ですよね。強い感情のやりとりがある場面って、邪魔したくないから2人一緒に撮りたいんだけど、でも顔に浮かぶ繊細なものが映らないかもしれない。じゃあ1人1人切り返しで顔を捉えたら安心かというと、そうでもない。カット数も増え、カメラが目線に入ることで演技の質が微妙に変わり、2人の間に起きるはずのことが消えてしまうかもしれない。 三浦 西島さんを見つめ続ける三浦さんの顔もまるごと撮ってるのがいいんですよ! 濱口 役者みんな素晴らしい演技をみせてくれた、と思っているんですが、一番基盤となったのは、やっぱり西島さんがちゃんと相手役を見聞きしてくれたことだと思ってます。基本的に『ドライブ・マイ・カー』は「家福が誰かを見ている映画」なんです。俳優一人一人見せ場があって、各々その場でちゃんと爆発してくれているんだけど、その支えは「家福、と言うか西島さん本人がちゃんと見て聞いてくれていた」ってところにある。撮っていて、それはすごく幸運なキャスティングだと思いました。一方で、その西島さんが心情吐露するクライマックスでは、三浦さんがその役割を担ってくれた気がしています。 三宅 三浦さんが、見つめ返すってことですね。 濱ロ そう。すべての演技がそうでなくてはいけないとは思わないけど、そういう互いに影響を与える「相互作用」による演技が、今回の作品には必要だと考えていました。 三宅 本当にそう思います。「今まで僕は正面から向き合ってこなかった」というセリフがありますが、その感情が、演技のスタイルやカメラのスタイルまでをも導いているというか、この映画全体の骨格になったのではないか。序盤の頃の西島さんは相手を鏡越しに見ていたり、玄関で会話しても同じショットには入らなかったり、お互いを正面からは見ていませんよね。それが終盤、西島さんが三浦さんの瞳そのものを見返しているのかはわからないけれど、とにかく顔と体は相手の正面を向いていることが、90度真横から捉えられている。そしてラスト、舞台劇『ワーニャ伯父さん』の上演場面。ここではついに西島さんの瞳を真正面から捉える。つまり西島さんが真正面から向き合い、見つめることができたように、今度は観客である我々が、映画の舞台上の演技に対して、正面から向き合う経験をさせてもらえる。そして、正面から見るとこんなにいろんなものが見えてくるんだっていうのを経験させてもらえる。 三浦 西島さんが涙を見せる場面が美しいのは、伏線が効いているからでもあると思います。俳優の熱演によって真情が露見する、というだけではない。序盤に音(霧島れいか)が家福に語る物語のなかで、音の心の奥底から出てきたらしい架空の人物がポタポタと涙でシーツを濡らすと描写されます。そのとても切実な涙を引き取って、家福が涙を流している。こんなふうに、いなくなった過去の存在の気配がふとありありと蘇る仕掛けが、いくつもなされています。音もそうですが、みさきを残して死んだ母もそうです。みさきがドライバーになると、家福は、そのすぐ後ろに座りますが、それはお母さんがかつて座っていたのと同じ場所です。いまを生きる誰かのすぐ後ろに、過去の存在が、いわば「背後霊」のようにいて、人物の巧みな配置によって、その気配がふわっと伝わってくる。いわば「背後霊映画」として本作を見ることもできるかもしれないと思いました。『ワーニャ伯父さん』の上演で、イ・ユナが家福を後ろから抱きとめるところは、多重に張りめぐされた要素が一挙に束ねられて、ここで最後に号泣しました(笑)。 三宅 霊つながりだと、水や水辺の場面がすごく多いなと思いました。湾岸の道路や橋、護岸の階段、そして雪原を選んでいる。濱ロさんは、なんでそんなに水辺に執着したんですか。 濱ロ 多いですよね(笑)。そこはやっぱりなにか……主題ってもんじゃないですか?涙もそうなのかもしれないけど、水が流れて、最終的に冷え固まって雪となるような、そういう映画企体の見取り図というのはあったように思います。 三宅 うわあ、楽しく作ってますね(笑)。もう一度見たくなってきました!もっと聞きたいので、また続きをどこかで。 構成・ゆっきゅん   映画「ドライブ・マイ・カー」 TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー公開中 原作:村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」 (短編小説集「女のいない男たち」所収/文春文庫刊) 監督:濱口竜介 脚本:濱口竜介 大江崇允 音楽:石橋英子 製作:『ドライブ・マイ・カー』製作委員会  製作幹事:カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド 制作プロダクション:C&Iエンタテインメント  配給:ビターズ・エンド  (C)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会 2021/日本/1.85:1/179分/PG-12 公式サイト dmc.bitters.co.jp ©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
  •  2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえました。それを記念して、「キネマ旬報」に過去掲載された記事の中から、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げていく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時連載していきます。  今回は、「キネマ旬報」1976年4月下旬号より、斎藤正治氏による曽根中生監督作品をとりあげた「日本映画批評『わたしのSEX白書 絶頂度』」の記事を転載いたします。  1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく! ■日本映画批評 『わたしのSEX白書 絶頂度』  日活この週の上映作品は、二本とも看護婦ものというか、病院もの。しかし優劣がきわだった。  性悪女、意地悪女を描くのが目立つ曽根中生が、珍らしく優しさに満ちたナイーヴな性格の女を描き、質感の溢れる作品を作った。このような被写体の変化は、多分に脚本による。つまり白鳥あかねの資質がそのまま漂白されたシナリオを得たからであろう。  スクリーンに出てくるドラキュラは、きまって無気味な陰影をたたえて立ち現われるが、この「女吸血鬼」は、終始美しさとけだるそうなエロスを秘めていた。病院の採血係であるヒロインあけみ(三井マリア)は、血を採る作業をするたびにめくるめく快感を覚えた。ただそれだけの「女吸血鬼」だ。  このヒロイン、未成熟な破行的性格であり、充足した昼間のドラキュラのようにひどく醒めていて、自己批評的な場合がある。例えば結婚を予定する給食会社の息子との情事は、どっちらけで感応はひとつもないのに、男の前での思わぬ失禁には、死ぬほどの屈辱感にさいなまれる。  好奇心の初歩である盗視癖の反面では、弟の前でも自慰行為を止めようとしないというような性格なのだ。大人的なものと幼児性的なものと同居させたエロスの狩人といった、いわばバランスを失したかわいさがなんとも魅力的である。かわいい女吸血鬼。  姉のあけみがそうであれば弟のキヨシ(村国守平)も成熟しきれない潔癖性を持っていて、ヤクザの情婦リリィ(芹明香)が迫るのを拒み、もっとも優しいはずの近親相姦に恐怖を抱いて出ていく。そのくせ、美しい病院の看護婦には肉の思慕をおずおずと寄せている。このような人物たちの繊細なみずみずしさは繰返えすが脚本家の持っているものだろう。曽根中生はそのイメージを的確に増幅した。この姉弟に見るような分明でない微行的な性格が、不思議に鮮烈なエロスをほとばしらせることになった。  小さな辱しめにもひるむあけみが、もっとも狂暴な性を持つヤクザの隼人(益富信孝)に抱かれた時、彼女の持っている自己批評的性は失われ、破壊的快楽のなかに自己解体していく。その彼女には、小便をもらしたというような養恥感などみじんもなく、ポルノグラフィの被写体にされても平っちゃらの開き直りがあった。「女吸血鬼」は、男の精液によってはじめてよみがえったのである。リリィも加わっての三つ巴ファックのラストシーンの執拗な描写は、酒湯現象をおこしている最近の日活ロマンポルノの活性剤になるかも知れないと思ったほどだ。採血係の性感を題材にし、女の意識の深部にある測量不能なエロスを掘起こし可視化しようとした試みは萩原憲治の映像や木村誠作の照明に助けられて成功したといえよう。 文・斎藤正治 『キネマ旬報』1976年4月下旬号より転載   『わたしのSEX白書 絶頂度』 【DVD】 監督: 曽根中生 脚本:白鳥あかね  価格:2,200円(消費税込み) 発売:日活株式会社 販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング   日活ロマンポルノ 日活ロマンポルノとは、1971~88年に日活により製作・配給された成人映画で17年間の間に約1,100本もの作品が公開された。一定のルールさえ守れば比較的自由に映画を作ることができたため、クリエイターたちは限られた製作費の中で新しい映画作りを模索。あらゆる知恵と技術で「性」に立ち向い、「女性」を美しく描くことを極めていった。そして、成人映画という枠組みを超え、キネマ旬報ベスト・テンをはじめとする映画賞に選出される作品も多く生み出されていった。 オフィシャルHPはこちらから 日活ロマンポルノ50周年企画「みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ」の全記事はこちらからご覧いただけます。   日活ロマンポルノ50周年新企画 イラストレーターたなかみさきが、四季折々の感性で描く月刊イラストコラム「ロマンポルノ季候」