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  •   平成を代表するベストセラー時代小説家・佐伯泰英。1999年に時代小説に転向した佐伯は、今日までの20年間で、累計発行部数6500万部を誇る作品群を発表している。その初の映画化作品となる『居眠り磐音』が、令和になって初めて公開される時代劇映画というのも何かの定めだろうか。映えある一本目の主演を任された松坂桃李にとっても映画の時代劇主演は初挑戦。しかもこのタイミングでの出演には格別の意味があった。 デビュー10周年の節目に再び侍を演じ 「『侍戦隊シンケンジャー』でデビューした僕にとって、デビュー10周年の節目に再び侍を演じた作品が公開されるということには、とりわけ縁を感じます。一周回ってもう一度侍に戻り、この10年間を締めくくるような思いで臨みました」 特撮ドラマと時代劇を「侍」でひとくくりにしてしまう遊び心と大胆なセンス。それはどこか坂崎磐音の中にも息づいているようだ。磐音は優れた剣客であり、いざというときは容赦ないのだが、一瞬でヒーローに切り替わるというよりも、その境目さえもぬるっと越えてくるようなグラデーションにオリジナリティを感じる。鰻屋のバイトで少ない賃金しかもらえなくても、朝食付きだと嬉々として語る。世間に波風を立てるわけではないけれど、世間に惑わされることもなく、自分なりの価値観を持って生きている人だということが、松坂本人のキャラクターと重なって伝わってくるワンシーンだ。   時代劇のヒーロー像として新しいものを感じた (c)2019映画「居眠り磐音」製作委員会 「静と動の両面を持っているところが磐音の大きな魅力の一つだと思うので、その緩急は大事に演じたいと思っていました。ちょっと欠けている部分というか、自分がやるからには、そういった幅みたいなものをどこかで出せたらと心の片隅で思っていて。いわゆる武将というと、常に緊張感が漂っていて、剣を抜いていなくても殺されるんじゃないかという雰囲気をまとっているイメージが大きかったんですけど、磐音は剣を抜くまではそういう気配を一切感じさせず、むしろ周りに振り回されることのほうが多いんです。ただ、普段は物静かにしていても、守りたいものの存在がトリガーになって、一人の剣士になる。そこは時代劇のヒーロー像として新しいものを感じました」 「まるで眠っているような」と称される磐音の構えは「居眠り」たる所以だが、本作の殺陣を手がけたのは、松坂の出演した『劇場版 MOZU』でもアクションコーディネーターをつとめた諸鍛冶裕太。松坂は親しみを込めて「モロさん」と呼ぶ。 こだわって作り出した“磐音の構え” (c)2019映画「居眠り磐音」製作委員会 「今回はアクションというよりも、しっかりとした立ち回りをやっていきたいと、モロさんから言われたんです。磐音の構えというのは、原作の文章からだと具体的にどういう形なのかまではわからなくて、自分では想像もつきませんでした。でもモロさんが考えてくれた構えは磐音らしくて理にも適っているんです。その構えから目線を下に落として、相手にはこちらの動きを読ませず、相手は磐音の目が見えないから不気味な印象を与える。かつ常に相手の足元を目で追っているので、動線を読みながらいつでも動けるという、万能の構えなんです。剣を下げることによって一見脱力しているようにも見えますし、モロさんのおかげで本当に助けられました」 インタビューの続きは『キネマ旬報』5月上・下旬合併号に掲載。今号では「映画が映した昭和・平成の光と影」と題して、帝銀事件から東日本大震災まで平成最後の号で、昭和と平成に起こった事件・事故・現象を映画と共にふりかえる巻頭特集をおこなった。その他、『バースデー・ワンダーランド』はじめ、『轢き逃げ 最高の最悪な日』『ドント・ウォーリー』など最新作の特集も掲載している。 取材・文=那須千里/制作:キネマ旬報社    
  • (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 巨匠“ゴダール”を知る人物が語る、驚異の思考とは? 映画史に燦然と輝くシネアストにして生きた伝説、御年88歳を迎えるジャン=リュック・ゴダール監督の最新作『イメージの本』がいよいよ日本公開となる。(4月20日よりシネスイッチ銀座ほか全国にて) 現在はスイスのレマン湖畔ロールに住み、おいそれとは公の場に出なくなって久しいゴダール。映画史における神話的存在である彼は、その隠れ家のような場所でどのようにして映画を作っているのか? その実態に迫るべく、ゴダール本人を直接知る人物に登場願おう。パリ第3大学教授であるニコル・ブルネーズ。その大部分がアーカイブ映像から構成された「イメージの本」に「考古学者(archelogue)」とクレジットされている彼女が、今作で果たした役割とは? そして現実のゴダールとは、一体どんな人物なのか? 『イメージの本』との関わり (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 私が『イメージの本』に関わることになったのは、ゴダールの右腕であるジャン=ポール・バタジアから、アルベール・コスリーの著作に基づくジャック・ポワトルノー監督の映画『Mendiants et Orgueilleux(浮浪者と傲慢な人)』(1972年)のコピーを探すように依頼されたことがきっかけでした。この作品はかなり珍しく、ビデオはもちろん、デジタル化もされていませんでした。この仕事の後、ゴダール本人から正式に作品への参加を依頼されました。 2015年、ゴダールから頼まれたのは、以下の三点に基づいて映像や資料を集め、彼に送ることでした。 1.彼が必要とする正確な作品と資料(たとえば、マイケル・スノウ監督『中央地帯』1971年に関するもの) 2.彼が必要とするいくつかのモチーフを含む作品(たとえば、電車、戦争、革命闘争など) 3.「イメージの本」の企画にあたり、私にとって興味深いあらゆるもの ゴダールとの作業 (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 これらの作業を進めながら、パリとロールで何度か彼と会いました。2017年の5月、最初に編集されたバージョンを見た後、既存のアイデアを精査し、さらに映像を送り、こちらからいくつか新しい提案をしました。採用されなかった意見ももちろんありましたが、すべてのアイデアに選択の余地があり、考えを強要されることはほとんどありませんでした。『イメージの本』には、新たに撮影された映像と『ゴダールの映画史』(1988―98年)の映像が主に使われています。また、ゴダールがスマホで撮影したチュニジアやロールの風景、ファブリス・アラーニョにより撮影された映像も含まれています。 ちなみに、ゴダールが私の役割を「考古学者(archelogue)」と付けたのはちょっとした冗談です。ミシェル・フーコーやいかなる理論とも関係ありません。「資料係(documentaliste)」と言った職業的な語彙を使うことを避けたかったのだと思います。「イメージの本」のワンシーンで「Archéologues et pirates(考古学と海賊)」という文字が示されますが、「Pirate」という言葉が、ある種、私がした映像収集の仕事を暗示しているとともに、『ゴダール・ソシアリスム』(2010年)の協力者であり早世したジャン=ポール・クルニエの著作『La Piraterie dans l’âme(魂の中の盗み)』へのオマージュともなっています。 ゴダールという人間 (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 ゴダールとの共同作業は今回が初めてでしたが、彼の類稀なる知性はもちろん、その寛容さ、可笑しみが印象に残っています。彼は、決して気難しい人ではありません。彼の思考の速度に追いつくのに困難を抱える私たちがあまりにも凡庸な存在なのです。厳密さ、忍耐、創造性…まさに驚異的です。 びっくりしたのは、彼が作業に関わったメモやコラージュ、資料をすべて燃やしてしまうことでした。幸い、アラーニョがそのうちのいくつかの資料を保存しているようなので、いつかそれらが公開されることを期待しましょう。 また、映画制作の現場以外でも、彼の寛容さは並外れたものです。ある時、彼は、レバノン出身の女性監督ジョスリーン・サアーブの存在を知り、『イメージの本』で、彼女の『Les Enfants de la Guerre(戦争の子どもたち)』(1976年)を引用しました。そして、彼女が『Zones de Guerre(戦争地帯)』という写真集を出版するために1万ユーロを必要としていることを知ると、自身も決して裕福ではないにもかかわらず、その資金を援助しました。こうして写真集は、2018年12月に出版されました。その翌年の1月にサアーブが亡くなり、残念ながら二人が直接会うことはありませんでした。私が彼女に最後に会った時、彼女はゴダールへの献辞を書いていました。 歴史上もっとも偉大な映画作家 (C)Casa Azul Films - Ecran Noir Productions - 2018 ゴダールはこれまでも多くの映画作家―マルセル・アヌーンやダニエル・ジャエギなどの作品の製作、あるいはポスト・プロダクションへの援助をしています。同時に、政治的な問題にも支援をしています。そのような活動の全体像は未だ知られておらず、記録されてもいません。 多くの人にとってそうであるように、私にとってもゴダールは、歴史上もっとも偉大な映画作家です。彼のおかげで映画は、詩や哲学、絵画、文学に匹敵する芸術になり得ているのです。同時に、商業的にも、その実験的な内容にもかかわらず独自の地位を獲得しました。個々の作品はもちろん素晴らしいですが、常にもっとも自由で、さらなる先鋭性に向かう、その軌跡全体が評価されるべきでしょう。 ニコル・ブルネーズ 1961年生まれ。パリ第3大学映画・視聴覚研究科教授。映画史や映画理論を研究。美術史家ユベール・ダミッシュのもとで、89年にゴダールの「軽蔑」に関する博士論文を提出。専門は前衛映画で、96年より、シネマテーク・フランセーズで上映プログラムを担当している。著書に『映画の前衛とは何か』(邦訳・現代思潮新社)がある。   記事全文は『キネマ旬報』4月下旬号に掲載。今号では「ジャン=リュック・ゴダール 88歳が見つめる地平」と題して、ゴダールの新作『イメージの本』の表紙・巻頭特集をおこなった。菊地成孔×佐々木敦による対談やゴダール本人を直接知る人物へのインタビュー、エッセイなどを掲載している。(敬称略) 取材・文=槻舘南菜子/制作:キネマ旬報社   『キネマ旬報』4月下旬号の詳細はこちらから↓
  • 「キネマ旬報」6月上旬特別号より 内田裕也とショーケン、映画史に刻んだ異形の輝きとは? 神代映画の中の裕也とショーケン 文=轟夕起夫 古今東西、映画史には脈々と「ミュージシャン兼俳優」の異形の輝きが刻まれている。内田裕也と萩原健一はその中でも、最重要級の存在だ。そしてある時期、それぞれと出会い、タッグを組み、永遠の傑作群を残した神代辰巳監督も。 ささやかながらここで、3人の“奇跡の軌跡”を振り返ってみたいと思う。最初に動いたのは萩原健一だった。1973年に続けざまに公開された神代監督の日活ロマンポルノ、『恋人たちは濡れた』と『四畳半襖の裏張り』を観て、彼は衝撃を受けた…ばかりか、主演することに決まっていた東宝配給の『青春の蹉跌』(1974年)の監督に神代を推挙した。何と、一度も直接話した経験もないのに。なぜか。当時、日活ロマンポルノはプログラムピクチャーの一形態でありつつ、図らずも映画表現を拡張してゆく“作家たちの実験場”の貌も持っていて、要はカラダにビンビンくるような音楽的グルーヴを伴い、生と性を見つめる神代作品に、萩原健一のバイブスが感応したのであった。 演技プランを次々と思いつく能力に長けていた 「キネマ旬報」6月上旬特別号より 自社の枠から初めて飛び出し、しかもメインストリームとも言える東宝の青春映画を手がけた神代だが、そのテイストはいつもと寸分変わらず、良き相棒である姫田眞佐久の手持ちキャメラと合わさって、グニュグニュ、ウネウネと、しかし芯のあるファンカデリックなノリで上昇志向と野望の果てに破滅していく若者像を描き出した。役者の生理感覚を重視したアドリブや、エモーションが途切れないよう長回しを多用するのも神代演出の特徴で、そんな一度体験したら病みつきになる強力な“文体”に、さらに“文彩”を付けたのが萩原健一である。単に役を演じるのではなく、役と対峙している自分自身をさらけ出すアプローチが信条で、例えば冒頭、屋外のレストランでローラースケートを履き、どこか不安定に滑りながら椅子をセットしていくのも、また劇中、心情を吐露するかのごとく「エンヤートット」とひとり呟くのも彼独自の“文彩”だ。つまり神代監督の要求に対し、台本を膨らませ、演技プランを次々と思いつく能力に長けていたのだ。 一瞬一瞬の閃きがきらめきを生むこの映画的セッションは、共演者に田中邦衛を加えた『アフリカの光』(1975年)でも爆ぜっていて、憧れのアフリカ行きのためマグロ船に乗ろうと北国の港町に逗留、そこで船を待ちながら希望と無為を嚙みしめる男二人のダウナービートな“停滞の時間”が奏でられていった。これも東宝の配給だが、さらに「港町に男涙のブルースを」「草原に黒い十字架を」といった演出回も含めた連続TVドラマ「傷だらけの天使」(1974〜1975年)や、奇抜なワンカップ大関のCMシリーズなどの“神代作品”がお茶の間にも流れていた。言うなれば、神代辰巳ひいては日活ロマンポルノの冒険性は、時代の寵児たる萩原健一の肉体を通じて広く一般にも享受されていたのである。 自ら企画を立て神代監督のもとへと持ち込んだ 「キネマ旬報」6月上旬特別号より かたや年齢がひと回り上、ロックスターとしても萩原よりキャリアが先行していた内田裕也のほうは、60年代からプログラムピクチャーを中心にコメディリリーフ的に顔を出していたが、1977年、藤田敏八監督の『実録不良少女 姦』で日活ロマンポルノに参入し、本格的に役者として頭角を表していったのだった。神代辰巳には『少女娼婦 けものみち』(1980年)で初めて呼ばれ、「ヤるのと食うのと仕事だよ、俺は」とうそぶく、粗野でやさぐれた、しかし底なしの優しさを湛えた(内田裕也その人を思わせもする!)トラック運転手を好演した。そうして次なる主演作、自ら企画を立てたロマンポルノ10周年記念第2弾『嗚呼!おんなたち 猥歌』(1981年)で再び共闘。札幌に一軒だけあったという女性用ソープランドを雑誌で知り、「ロックンローラーが挫折して、ソープボーイになる」というストーリーを考えついて、神代監督のもとへと持ち込んだのだ。 自由を求めて転がり続ける 完成作はスキャンダリズムとリリシズム、なおかつ半ドキュメンタリータッチが混ざり合い、それは役者・内田裕也の本質でもあるのだが、売れない中年ロッカーがどんどん堕ちていき、最後は浴室で泡まみれになりながら、女性客に奉仕する姿で終わる。このシーンの撮影中、神代監督は「裕也がんばれ〜」「そこでもっとやれ〜、ゴー、ゴー、ファックオン」と叫んだという(ロマンポルノは同録ではなくアフレコだ)。『嗚呼!おんなたち 猥歌』とは日本版『レイジング・ブル』(1980年)なのかもしれない。転落したボクサーが場末のバーでスタンダップ・コメディアンとして立つあのラスト。となれば、神代辰巳と内田裕也の関係は、マーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロの名コンビに匹敵する…いや! それは萩原健一とのコラボレーションにこそ当てはまるものだろう。半ば神代監督と萩原の自画像である、どうしようもないけれども魅力的な男と“おんなたち”との愛憎こもごもの世界を綴った『もどり川』(1983年)、『恋文』(1985年)、『離婚しない女』(1986年)の3作が、あとに控えていたのだから。 萩原健一は、神代の映画の遺作となった『棒の哀しみ』(1994年)にもオファーがあったそうだが、残念ながらこれは実現しなかった。それから内田裕也と萩原健一、両雄並び立った神代作品も。ゆえに『嗚呼!おんなたち 猥歌』のエンディングシークエンスに流れる〈ローリング・オン・ザ・ロード〉が一層沁みるのだ。この曲は内田裕也プロデュースで1981 年1月22日〜25日に開催された“サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル”の初日、昼の部のフィナーレを飾ったライブ音源である。萩原健一が歌い出し、仲間の沢田研二を招き入れ、二人でメインボーカルを務めたレアバージョン。自由を求めて転がり続ける…内田裕也こだわりの選曲は、神代作品の中でこれからもロケンロールしてゆく。   この記事は「キネマ旬報」6月上旬特別号に掲載。今号では「内田裕也×萩原健一 天才・不良・役者馬鹿―まつろわぬ男たちに捧ぐ」と題して、両名の追悼特集をおこなった。湯浅学、奥山和由、崔洋一、モブ・ノリオ、桃井かおり、山﨑努、青山真治らへの取材あるいは寄稿記事を掲載している。(文中敬称略)   『キネマ旬報』6月上旬特別号の詳細はこちらから↓
  • 毎月リリースされる未公開、単館系作品の中から、「観たら必ず誰かに教えたくなる」作品を厳選してご紹介。劇場で見逃した作品や隠れた名作が多く並ぶレンタル店だからこそ出会える良作、小規模公開ながらの傑作など、様々な掘り出し映画との出会いを提供します!   6月リリース作品   ラストは達成感&スカッと感! 『マイ・プレシャス・リスト』 松竹より5月22日リリース (C)2016 CARRIE PILBY PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED. 【STORY】 NYに暮らすキャリーは、ハーバード大学を飛び級で卒業するも仕事につかず、友人もいないコミュニケーション能力ゼロの屈折女子。ある日唯一の話し相手であるセラピストから、6つの課題が書かれたリストを渡される。   【オススメCOMMENT】 「6才の時何してた?」と聞かれれば「石油会社に抗議の手紙を書いてた」と答えるパンクな女の子キャリー。同級生とは気が合わず、クズな大学教授(イケメン)のせいで恋愛にも臆病な彼女が、幸せになるためのあるリストをこなしていく。基本ふてぶてしい彼女だけど、ペットの金魚に話しかける姿は少しあどけないギャップがあって可愛い。不器用ながらも懸命にリストをクリアしていく姿にも元気をもらえます。そして最後に成し遂げたある出来事には、拍手&ガッツポーズです!   とりあえず真面目に生きよう 『暁に祈れ』 ハピネットより6月4日リリース (C)2017 - Meridian Entertainment - Senorita Films SAS 【STORY】 イギリス人ボクサーのビリーはタイで麻薬中毒になり、稼いだ金をドラッグに費やす日々を送っていたが、逮捕され収監されてしまう。凶悪な囚人たちで溢れかえる刑務所で生き抜く中で、ムエタイとの出会いが彼を変えていく。   【オススメCOMMENT】 いっそ死んだほうがましだ、と思わせる圧倒的な生き地獄感が恐ろしい。しかし、そんな所であっても、一般房や、凶悪な者たちの房、主人公ビリーが辿りつくムエタイチームの房などがあって、暴力と恐怖によって支配を敷く凶悪犯たちとは対照的に、ムエタイの男たちは、ストイックで相手へのある種の敬意と仲間意識が厚い。まったく次元の異なる世界が同居する混沌に酔う。もがきながらムエタイに出会ったビリーから次第に険しさが消え、何かを悟ったような面構えになる終盤に感動。   罪と愛が混じりあう悲恋の島 『軍中楽園』 マクザムより6月4日リリース (C) 2014 Honto Production Huayi Brothers Media Ltd. Oriental Digital Entertainment Co., Ltd. 1 Production Film Co. CatchPlay, Inc. Abico Film Co., Ltd All Rights Reserved 【STORY】 1969年、中国と台湾が対立していた時代。台湾の青年隊・バオタイは、砲弾が降り注ぐ攻防の最前線にいた。「特約茶室」を管理する831部隊に配属になった彼は、「軍中楽園」と呼ばれる娼館で、どこか影のある女と出会う。   【オススメCOMMENT】 40年間にわたって公然の秘密だった軍公認の娼館が舞台。戦争の緊張を包み込むかのように存在する娼婦の島は、どこか牧歌的で温かい。娼婦のニーニーと友情を紡いでいくバオタイだが、彼女にはある秘密があり、拭いきれないその罪の重さがふたりの間を阻む。小悪魔な娼婦と未来を約束しようとする老兵が、愛ゆえに引き起こす惨劇も衝撃的だ。想い合っていながらも結ばれない男女の関係が、哀しくて美しい。『モンガに散る』の監督×イーサン・ルアンのタッグが再び見られる艶やかな群像劇。
  • (c)2019「長いお別れ」製作委員会 (c) 中島京子/文藝春秋 ◎5月31日(金)より全国にて なぜ感動するのか?『長いお別れ』が映す家族のつながり 初の長篇商業映画『湯を沸かすほどの熱い愛(以下『湯を沸かす』と略)』(2016年)で高い評価を受けた中野量太監督。その彼が、直木賞作家・中島京子の小説「長いお別れ」を映画化した。これは認知症になった山﨑努の父親と、それを支える松原智恵子の母親。竹内結子の長女・麻里、蒼井優の次女・芙美という一家4人の7年間にわたる触れ合いを描いたもの。実は中野量太がこの映画の監督オファーを受けたのは、『湯を沸かす』の公開前。プロデューサーの原尭志は中野監督の自主長篇映画『チチを撮りに』(2013年)を観ていて、そこに描かれた家族の話に、原作と共通する匂いを感じて監督をオファーした。しかし当時商業映画は未経験だった中野監督は、最初その申し出に驚いたという。 原作ものをやるのには躊躇があった (c)2019「長いお別れ」製作委員会 (c) 中島京子/文藝春秋 中野量太監督(以下、中野監督):「オファーをもらって、僕でいいのかなと思ったんです。すぐに原さんには、完成したばかりの『湯を沸かす』を観てくれと言いました。『チチを撮りに』よりは、もう少し成長していますからと言い添えましたけれど(笑)」 『湯を沸かす』を観て、さらに原プロデューサーはこの映画を撮れるのは中野監督しかないと確信した。一方の中野監督はこれまでオリジナル脚本で作品を作って来ただけに、原作ものをやるのには躊躇があった。 中野監督:「原作を読んでから判断しようと思いました。読むと面白かったんです。僕が映画を作るときに大事にしていることが二つある。一つは、今作られるべき映画を作りたいということ。この物語は認知症がテーマで、今絶対に作らなくてはいけないものだと感じました。もう一つはずっと家族の映画を作って来たんですが、僕が描く家族は状況が厳しい。でもその中に人間のおかしみや温かさを映し出して、家族のつながりを描くのが僕のスタイルだと思っている。その部分も原作が持つ味わいと一致していました。だから小説を読んだときから、自分だったらこう撮るとイメージしていました。特に一家の孫である少年で終わるラストシーンが大好きで、読み終わった時にはこれを撮りたいと、原作ものを初めてやる気になっていました」 脚本作りでも新しいことをしたかった (c)2019「長いお別れ」製作委員会 (c) 中島京子/文藝春秋 (左から)山﨑努、中野量太監督、蒼井優 そこでまず脚本作りを始めた。これまでは単独で脚本を書いてきたが、今回は大野俊哉と共同脚本になっている。 中野監督:「原作ものをやるのも新たな挑戦でしたし、脚本作りでも新しいことをしたかった。一人で書くと、自分の枠を越えられない気もしていたので。大野さんには以前の作品から、脚本を書いたら見せて、アドバイスをもらっていたんです。初の原作ものという不安もありましたから大野さんの知恵を借りて、仕事として一緒にやってみようと思いました。主に大野さんにやってもらったのは土台作りです。原作は10章からなる連作短篇で、10年にわたる話。それを1本の映画にするには、どうすればいいかを一緒に考えました。それで、大きく二本柱を作ったんです。一つの柱はお父さんが認知症になっていく段階を四つに分けて、時間の経過を表現する。もう一つの柱はお父さんと関わる世代を、いつも一緒にいるお母さん、たまに会う娘二人、それと麻里の息子である孫という三世代にして、徐々に記憶を失っていくお父さんとどのようにかかわるかを描こうと。この二つの柱を明確に打ち出すために原作では10年の話だったのを7年間にして、三人姉妹を映画は二人姉妹にしました。また孫も原作ではもっと人数がいますが、一人の少年にして三世代の人間たちを整理していきました。脚本の土台作りにかなり時間がかかりましたが、土台が出来てからは僕が脚本書きを引き受けて、あとは大野さんにチェックしてもらう形で作業を進めました」   記事の続きは『キネマ旬報』6月上旬特別号に掲載。インタビュー後半では、作品の要となる父親役・山﨑努とのやりとりや撮影中のエピソードなどを語っている。今号では「日本映画の多様な作り手たち」と題して、注目の監督、スタッフにインタビューをおこなった。『居眠り磐音』本木克英、『小さな恋のうた』山城竹識&平田研也、『嵐電』鈴木卓爾、『僕はイエス様が嫌い』奥山大史らの記事を掲載している。(文中敬称略) 制作:キネマ旬報社     『キネマ旬報』6月上旬特別号の詳細はこちらから↓