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セドリック・ハードウィック
本名セドリック・ウエブスタ・ハードウィック。王立演劇学校に学び、1912年“The Monk and the Woman”でロンドンの舞台に立つ。通行人の一人であった。13年、2巻物映画に出たことからヴァイタグラフ社が契約を申し込んできたが、舞台で役がついたので断る。第一次大戦に従軍したのち、バーミンガム・レパートリー劇団に入り、バーナード・ショウの作品やイーデン・フィルポッツの『農夫の妻』などで名声を確立してゆく。そして30年ウエスト・エンドの“The Burretts of Wimpole Street”で大ヒットを飛ばす。この間、2本目の映画“Nelson”(26)に脇役で出演したが3本目の31年“Dreyfus”で初めて主役を得る。34年、舞台での功績によりナイトに列せられサーの称号を与えられる。この年、MGMから出演交渉を受け、心を動かされるが結局、イギリスの舞台にとどまり4本のイギリス映画にも出演する。34年、再びハリウッドの誘いを受け、今度は承諾して“Becky Sharp”(35)と「噫無情」(35)に出演。いったんイギリスへもどるが37年ふたたび渡米、アメリカのメイジャー各社の作品に出るとともにブロードウエイの舞台に立ち、39年からはハリウッドに定着して映画俳優に専念する。その全盛期は40年代だが、その後も脇役として数々の名演技を披露し、またブロードウエイでガートルード・ローレンス主演の『ピグマリオン』を演出するなど、活発な仕事ぶりを示した。180cm、78kg。髪はグレイ・ブラウン、瞳はグレイ。結婚歴は3回というが最初の相手はヘレナ・ピッカードで28年結婚、48年離婚。1子エドワード・ハードウィックはイギリス国立劇場の劇団員である。2人目のマリー・スコットとは50年結婚、61年離婚。もう一人ははっきりしない。64年8月6日、ニューヨーク大学付属病院で慢性肺臓炎のため死去したが、死ぬまぎわの生活は貧窮そのもので、その原因は別れた妻への慰謝料のためだったといわれる。
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