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ナタリー・ウッド
本名はNatasha Virapaeff(のちにGurdin)。ロシア系で三人姉妹の次女。妹ラナも女優。生後間もなく一家を挙げてサンタ・ローザへ移住。4歳の誕生日を終えたころ、この町にアーヴィング・ピシェル監督が“Happy Land”(43)のロケに訪れ、おしゃまぶりが気に入って子役として採用、わざわざ彼女のためにワン・シーン追加して撮影した。そして、必ず女優にしてやると約束して帰ったのが映画界入りのきっかけとなり、四年後の46年、ピシェル監督の正式な招きでユニヴァーサルと一年契約が成立。ピシェルは、オーソン・ウェルズ主演の「離愁」(45)で、ドイツ語をしゃべる孤児の役につけて彼女の本格デビューを飾ってくれた。翌47年、彼女は、いまだに語り草とされる愛らしさを発揮して「三十四丁目の奇蹟」に主演して、前年とあわせて二度目のブルー・リボン賞を獲得。一躍少女スターとして売り出した。以後、20本近い作品に出演し、その間スタジオ内のハイスクールを卒業。子役から娘役への転換に、55年「理由なき反抗」のジェームス・ディーンの恋人役で成功。アカデミー助演賞候補にもあがり、勝気で美しい娘役として50年代後半を代表するハリウッド女優のトップとなった。56年の「捜索者」でインディアンに誘拐された娘を演じて印象に残した。61年に「草原の輝き」でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、ミュージカル「ウェスト・サイド物語」ではマリアを演じて熱烈な印象を観客に与えた。60年代が人気のピークで、70年代に入ると映画出演は減少する。語学をおぼえるのが天才的にうまかったことでも知られる。 初恋の人はディーンと言われているが、恋多きことでは有名で、57年ロバート・ワグナーと結婚するまでの噂の男たちは、レイモンド・バー、タブ・ハンター、エルヴィス・プレスリー、デニス・ホッパーなど。62年、彼女の売れ過ぎが原因でワグナーと離婚後、ウォーレン・ベイティと婚約。うまくいかずに解消後、製作者リチャード・グレグスンと69年再婚。一女をもうけたのち離婚。72年に一度は別れたワグナーとよりが戻って結婚し、三女の母となり、地道に映画とTVMに出演していたが、81年11月29日「ブレインストーム」撮影中にボート事故で水死した。
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