詩人、映画監督・福間健二による「同時代、共有したいもの」
- ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ , 福間健二 , ヴィタリナ , シャドウプレイ , 中国映画
- 2020年03月14日
同時代、共有したいもの
都市の中、様々な上映会場へ足を向け、
軽やかに現代の映画を観て歩く詩人・映画監督、福間健二。
19年末の出会いのなかに2本の中国映画があった。そこから何が浮かび上がる?
去年の十月の、ポレポレ東中野での城定秀夫OV作品特集のことから。新作の『花咲く部屋、昼下がりの蕾』と『犯す女〜愚者の群れ〜』までの「エロVシネ」十本、どれも痛快だった。そうなったらつまらないというものを見事に逆転させる。撮影所時代の増村保造・鈴木清順・石井輝男などを追いかけた日々の興奮がよみがえった。城定秀夫の勝ちとっている「自由度」の活用は、姑息さがはびこる日本を笑う喜劇性をもつ。一点突破的に苦戦を切り抜けるのでもある。昔もいまも必要なのは、こういう工夫だと思った。
次に、この飛び方にわれながら驚くが、ペドロ・コスタの「ヴィタリナ」。ポルトガルのカーネーション革命へのこだわり方が開いて、広がりのある「叙事詩」が見えてきた。絵画的に立派になりすぎてないかと心配させるほどの画だが、そのよさが活きた。やはり東京フィルメックスで見たロウ・イエの「シャドウプレイ」も、ジェイク・ポロックの撮影による画が見ものだったろうか。いわば「現実のうずまき」を逃さない、影の作り方。さらに強引に言うとわが小林多喜二の文学のダイナミズムを思わせるものがあった。香港ノワールに負うところ、せつなさの絡ませ方ではジャ・ジャンクーの「帰れない二人」(18年)に及ばないが、ちゃんと娯楽活劇でもあることにしぶとさを感じた。
中国映画、近年の新人では、ジャンル映画を更新する力という観点から「薄氷の殺人」(14年)のディアオ・イーナンと「迫り来る嵐」(17年)のドン・ユエに拍手を送ったが、ズバリ映像の動きのおもしろさと内面的な詩が出会っているのは「凱里ブルース」のビー・ガンだ。新作「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」は、その売りである超絶長回しのところを3Dでやり、通過した先がロマンティック。60年代ポップスの良質部分のような蜜の味がした。詩が出てくるから詩的だというのではなく、映画がそのまま詩になる。その可能性のドアをペドロ・コスタとともに叩いている。それが個人的にはうれしい。
映画「シャドウプレイ」
日本映画で蜜といえば岩井俊二だろう、とつなぐことにするが、その新作「ラストレター」でとくに評価したいのは、「リップヴァンウィンクルの花嫁」(16年)につづいて、人の心の奥に宿る暗い要素を、社会の底辺へと沈まざるをえないものに呼応させていることだ。いま次々に作品を発表している今泉力哉とともに、人物にどう向かうかでまず共有したいものがある。創作の基本はロマン主義だと最近よく思う。当然、二十世紀からの夢の挫折と状況の複雑さをくぐったそれでなくてはならない。甘くないロマン主義。同時代から受けとる希望だ。
ふくま・けんじ/1949年生まれ、東京都出身。詩集に『会いたい人』ほか。共著に『石井輝男 映画魂』(ワイズ出版)ほか。監督作に「急にたどりついてしまう」(95年)「秋の理由」(16年)などがあり、新作「パラダイス・ロスト」が3月20日よりアップリンク吉祥寺で公開。