『スター・ウォーズ』日本初公開日記念!その誕生の裏側を河原一久が読み解く【全4回―③】

46年前の1978年6月24日、全米公開から約1年、日本中の映画ファンが待ちに待った「スター・ウォーズ」が日本で初公開(先行上映)された歴史的な日だ。前年の5月に全米公開され、未曾有の大ヒットを記録、その約1年後、日本列島をその熱狂の渦で包み込んだ。その後、映画史に残した足跡、伝説は語るまでもないが、その始まりの前夜にどれだけの物語が存在したのか。
もしかしたら、この伝説はすべて夢となっていたかもしれない──
フランスですでに8万部以上を売上げた大ベストセラー、「ルーカス・ウォーズ」。ジョージ・ルーカスの生い立ちから「スター・ウォーズ」誕生までを描いたこのバンド・デシネ(フランス語圏の漫画)からその裏側を読み解きたい。

 【全4回ー③】

1回目はコチラから

アメリカで人気を博した『フラッシュ・ゴードン』

アメリカでは1934年にアレックス・レイモンドによるSF冒険活劇『フラッシュ・ゴードン』の新聞連載が始まる。当時すでに人気を博していた『バック・ロジャース』に便乗して似たようなコンテンツを送り出そうとしたキング・フィーチャーズ・シンジケートは、エドガー・ライス・バロウズの「火星シリーズ」のコミック化を計画するが、バロウズとの交渉がうまくいかず、最終的に社内スタッフによって新たなヒーローを生み出すという形になった。興味深いことに、この出来事は後年、ルーカスが『フラッシュ・ゴードン』の映画化を考えたときに、同じく権利を取得できなかったこともあって、自分でオリジナルストーリーを考えざるをえなくなったことと奇妙な一致を見せている。

『フラッシュ・ゴードン』は1936年には早くもバスター・クラブ主演の劇場用連続活劇映画が公開され人気を博すことになる。この約30分という長さの短編映画は50年代に訪れたテレビ時代にマッチしたため、そのままの形でテレビ放映され、子ども時代のルーカスはこれに夢中になる。この頃も『フラッシュ・ゴードン』の新聞連載は続いていたが、ライターとしてハリィ・ハリスン、アーティストとしてフランク・フラゼッタなども携わっていたという。

一方、1959年、フランスでは古代ローマ時代のガリア(のちのフランス)を舞台としたコメディコミック『アステリックス』が誕生。1967年にはピエール・クリスティンとジャン=クロード・メジエールによるSFコミック『ヴァレリアンとロールリンヌ』の連載が始まる。この頃ルーカスは南カリフォルニア大学で映画作りを始めたばかりだったが、この時点では娯楽作ではなく、実験的な野心作が彼の関心だった。

大人向け作品に昇華させたメビウスの功績

さて、「大人の鑑賞にも耐えうる作品」というレベルにまで達したコミックやバンド・デシネは、次のステップとして「子ども向け」ではなく、はじめから「大人向け」の作品の創造を目指していく。そんな中、日本で最も知られ、最も功績のあった作家はメビウスだろう。

バンド・デシネの代表的な作家のひとりであるメビウスは1974年にそれまでの低年齢層向けだったものを一気に大人を対象とした雑誌「メタル・ユルラン」を中心メンバーとして創刊(アメリカでは「ヘヴィ・メタル」のタイトルで発行された)。その衝撃と影響は世界に広がり、特に1976年に掲載した『ロング・トゥモロー』はリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」やウィリアム・ギブソンの著作にも影響を与えたことで知られる。

また、メビウスは映画制作の現場にも深く携わり、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が企画した「デューン」に関わり、企画が頓挫したものの、ここで共に関わったダン・オバノン、H・R・ギーガー、クリス・フォスらとは後に「エイリアン」を担当することになる。日本においてメビウスの影響は鳥山明や大友克洋、荒木飛呂彦、浦沢直樹らにも認められるし、手塚治虫はメビウスのファンであることを公言し、彼の来日の際にも尽力している。
 
中でも宮﨑駿はメビウスの「アルザック」に衝撃を受け、その影響の下「風の谷のナウシカ」を作ったと認めている。一方のメビウスもまた宮﨑の作品に感銘を受け、娘をナウシカと名付け、来日した際には親子でジブリ美術館を訪れている。のちに2人はパリで展覧会を開き、そこではメビウスが描いた「ナウシカ」、宮﨑が描いた「アルザック」が展示された。そしてジョージ・ルーカスその人も多くのコミックブックから影響を受けたこと認めており、その筆頭としてメビウスの名も挙げている。1989年発行のメビウスのアートブックにはルーカスが序文を書いているほどだ。

アートは国境を越え、新しい形に…

実のところ、こうしたアーティストたちによる交流こそが、アート作品の発展と多様化を推進してきたのである。たとえばルネッサンス期のイタリア美術をフランスの画家たちが模倣し、古典主義がロマン派、バルビゾン派などに発展していくと同時に、印象派に始まる新たな時代が幕を開ける。それは産業革命とともにやってきた情報の流通による知的刺激の増加、そしてサロンから異端児扱いされたはぐれ者たちの反骨精神がもたらしたものだった。

そしてパリで酷評された印象派も大西洋を渡り、新大陸アメリカで絶賛されたことで市民権を獲得していったという事実もある。同時期にパリを席巻した「ジャポニズム」、特に浮世絵が与えた影響も然り。アートは国境を越えて刺激を与えあい、融合し、新たな形を生み出していくのである。

前述したようにルーカスは子ども時代に『フラッシュ・ゴードン』や『バック・ロジャース』などに夢中になった。そして商業監督デビュー作「THX-1138」の興行が失敗に終わった後には、「興行的成功こそが監督としての未来を約束する手形となる」ことを痛感し、誰もが共感できる娯楽作の製作に乗り出す。

まずは自らの青春時代を過ごしたモデストでの思い出を「アメリカン・グラフィティ」としてまとめ、記録的大ヒットを成し遂げるが、その製作と並行してルーカスは次に監督しようと考えていたSF娯楽作品のリサーチも始める。その一端は本書にも記述があるジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』で、他にもバロウズの「火星シリーズ」、E・E・スミスの「レンズマンシリーズ」などもあった。フランク・ハーバートの『デューン 砂の惑星』も参考にし、特に高価なスパイスが取引されているという設定を取り入れたことも知られている。

 

第4回(最終)へ続く……

 

【書籍名】ルーカス・ウォーズ
【著者名】ロラン・オプマン 作 ルノー・ロッシュ 画 原正人 翻訳 河原一久 監修
【ISBNコード】978-4-87376-491-7
【判型・頁数】A4判/208頁/書籍
【刊行年月】2024年5月

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