映画「主戦場」上映をめぐる『KAWASAKIしんゆり映画祭』の迷走

必要なのは、表現に関わる側の自衛と、享受する側の「表現の自由」を支える自覚 

2019年10〜11月に川崎市で開かれた『KAWASAKI しんゆり映画祭』が、ドキュメ ンタリー映画「主戦場」上映をめぐって迷走した。一連の経緯 は、『あいちトリエンナーレ』「宮本から君へ」の問題と時期が重 なったこともあり、表現の自由の危機として注目された。 

1995年に始まったしんゆり映画祭は、NPO法人KAWASAKIアーツが主催、共催の川崎市が運営費のうち600万円を負担している。市民中心、行政が支えるという体制で、小ぶりながら着実な人気を得てきた 。「主戦場」は 、 米国人のミキ・デザキ監督による慰安婦問 題をめぐる主張をまとめた作品だ。出演者の一部が「学術研究ということで取材を受けたが、 偏向した商業映画だった」などとして監督と配給会社の東風に上映中止などを求めて提訴している。

映画「主戦場」は2019年、様々な舞台で議論になった

 

映画祭は8月、「主戦場」上映を決めたが、その直後、川崎市から「上映することで映画祭や市が訴えられる可能性がある作品を上映するのはどうか」との”懸念”を伝えられる。これを受けて9月、東風に上映見送りを通知した。

10月下旬、映画祭開幕直前に上映中止が新聞で報じられると、批判が集中。「止められるか、俺たちを」などを出品予定だった若松プロが抗議のため出品取り消しを表明する。同30日には映画祭事務局やデザキ監督、市民らが集まった討論会が開かれ、「主戦場」上映を求める声が相次いだ。映画祭側は11月2日、一転して上映中止を撤回、映画祭最終日の同4日に混乱なく上映された。

映画祭の盛り上がりに水を差した騒動だったが、この間に市民を巻き込んで交わされた議論は無駄にできなかった。「止められるか、俺たちを」の白石和彌監督らは、川崎市の懸念表明は「公権力による『検閲』『介入』で、映画祭側の判断も「過剰な忖度」により『表現の自由』を殺す行為」と批判し、多くの映画人が疑問を呈した。映画祭事務局も映画祭終了後、上映取りやめの判断は「『あらゆる表現の場』の萎縮に繋がる重大な過ち」と認め、運営医院全員と中山周治代表らの引責辞任を発表した。映画祭は映画表現の重要な場で、たとえスポンサーであっても外部の介入は排除すべきだとの原則を改めて確認することになった。

一方で、映画祭が独立を保つためには、相応の覚悟と準備が必要であることも示した。しんゆり映画祭はボランティアが主体だ。『あいトリ』の『表現の自由展・その後』が、脅迫めいた講義で中止に追い込まれたのを目のあたりにし、市から懸念を表明されて及び腰になったのは無理からぬ面もある。全国の小さな映画祭が、慎重を期するあまり、ますます事なかれ主義になったら残念だ。

社会の情報化が進み表現の可能性が広がり、発表の場も増えた。半面、さまざまなレベルの批判や、暴力を含む介入を受ける懸念も大きくなった。理不尽な圧力は許されない。しかし同時に、表現に関わる側には自衛も必要で、享受する側も表現の自由を支える自覚が求められているのではないか。

 

文・勝田友巳

「キネマ旬報」3月下旬特別号 - 2019年映画業界総決算
ワイド特集 映画界事件簿 その他の事件簿はこちらから

最新映画カテゴリの最新記事