この問題は「表現の自由」の侵害として裁判へ
真利子哲也監督の「宮本から君へ」はキネマ旬報ベスト・テンの3位に選出され、池松壮亮が主演男優賞を受賞するなど、2019年度を代表する秀作の一本である。文化庁所管の日本芸術文化振興会(芸文振)の審査を経て、1千万円の助成金交付が内定していた。
「負けてたまるか」は河村光庸プロデューサーのいまの心情だろう
ところが、出演者の一人、ピエール瀧が麻薬取締役法違反で3月に逮捕され、6月には有罪判決を受けた。芸文振は7月、瀧が出演しているという理由で、「公益性の観点」から助成金の不交付を決定した。
そして、不交付を決めた後の9月、「文化芸術活動への助成金交付網」が改正され、交付の取り消し事由として、「公益性の観点から不適当と認められた場合」が付け加えられた。これはまさに「語るに落ちる」という状況にほかならない。不交付を決めた時点では「公益性の観点」から不交付にする規定がなかったのだ。
正当な手続きを経て内定した助成金が、正当な手続きを踏むことなく召し上げられる。そんな後出しジャンケンは許されない。
官僚は法にのっとって、粛々と職務を遂行するものだ。それが時に「杓子定規だ」とか「血が通っていない」という批判を浴びる。しかし、だからこそ、信頼も出来る。
これがもし、甲府を内定する前に、関係者が有罪判決を受けていたなら、官僚は内定を出さない方向に動くであろうことは容易に想像出来るし、多少は理解も出来る。官僚に限らず、組織というのは面倒を嫌うものだからである。
しかし、助成が内定していたものを不交付にすることは、諸方面から反発を受けることは必至である(現にこうして批判的なことを書かれている)。なぜこんな過激な処遇に踏み切ったのだろう。やはり、他人に大して不寛容になっている日本社会の空気に忖度したのだろうか。
不寛容な空気は確かに蔓延している。ただし、一方で、不祥事を起こした俳優が出ていれば自動的に公開を自粛する動きに対し、「行き過ぎ」を指摘する世論も大きくなっている。
「宮本から君へ」をはじめ、「麻雀放浪記2020」「台風家族」などが結局公開され、話題を集めた。その意味でも、芸文振の判断は疑問に思える。
真利子哲也監督は、痛みが観客に直に伝わるような優れた暴力表現に定評がある。この「宮本から君へ」では、肉体的な痛みと精神的な痛みがこれ以上ないほど激しくシンクロしており、真利子バイオレンスの一つの達成となった。それだけに、この映画とこの映画のファンに、場外から激しい痛みの不意打ちをもたらした助成金不交付が残念でならない。
この件に関して、河村光庸プロデューサーは「表現の自由」の侵害であるとして裁判を起こした。どんな審判が下るのか注目し続けたい。裁判の行方はきっと、2020年の大きな問題として、今後の「キネマ旬報」本誌にも登場することだろう。