【訃報】映画業界 2020年4月

映画界に多大なる貢献を頂きました皆様のご冥福をお祈りいたします。

西坂瑞城氏(にしざか・みずき/TVプロデューサー・演出家)

4月24日、心不全のため死去。43歳。00年にフジテレビに入社し、『ガリレオ』07、『ラスト・フレンズ』08、『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』14などTVドラマの演出や、『カインとアベル』16、『貴族探偵』17、『宇宙を駆けるよだか』18、『教場』20などのプロデュースを手掛けた。

開米栄三氏(かいまい・えいぞう/映画美術造形師、開米プロダクション会長

4月24日、白血病のため死去。90歳。着ぐるみの造形やスーツアクターの中島春雄のサポート役も務めた「ゴジラ」54をはじめ、「地球防衛軍」57、「モスラ」61、「マタンゴ」63、「大怪獣ガメラ」65など数々の東宝特撮映画に従事。66年に特殊造形会社“開米プロダクション”を設立し、『帰ってきたウルトラマン』71‐72以降の『ウルトラマン』シリーズや、『マグマ大使』66‐67、『ミラーマン』71‐72、『人造人間キカイダー』72‐73、『がんばれ!!ロボコン』74‐77などを手掛けた。

インディア・アダムスさん(米/歌手)

4月25日に死去。93歳。高校時代よりプロの歌手として活動。スカウトに見出されMGMと契約し、「バンド・ワゴン」53のシド・チャリシーや、「大砂塵」54のジョーン・クロフォードの歌声を吹き替えるも、契約上“シークレット・シンガー”としてその事実は長年伏せられていた。その後も、オフ・ブロードウェイミュージカルやラジオやTVでも活躍。90年には仲間のゴーストシンガーと4人組ユニット“Hollywood’s Secret Singing Stars”を結成し、アメリカ各地で公演した。

千田隼生氏(せんだ・はやお/俳優)

4月25日、肺がんのため死去。81歳。東京学芸大学卒業後、劇団〈民藝〉を経て、72年に劇団〈銅鑼〉創立に参加。数々の舞台のほか、「麻雀放浪記」84、「マルサの女2」88、「あげまん」90や、『伝七捕物帳』73‐77、『花神』77などTVドラマに出演した。

鷹西雅裕氏(たかにし・まさひろ/本名=鷹西政博/俳優)

4月26日、鬱血性心不全のため死去。82歳。東宝芸能学校演技科で学び、60年に劇団〈東宝現代劇〉に入団。森光子主演の『放浪記』に61年の初演より09年5月の最終公演まで様々な役柄で出演し、後年は林芙美子の義父・謙作役を務めた。『非情のライセンス』73‐80、『夜明けの刑事』74‐77などTVドラマにも出演した。

シス・コーマンさん(米/キャスティング・ディレクター、映画・TVプロデューサー)

4月27日に死去。93歳。キャスティング・ディレクターとして始動し、マーティン・スコセッシ監督の「レイジング・ブル」80、「キング・オブ・コメディ」82、マイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」78、「天国の門」80、マイケル・ウィナー監督の「狼よさらば」74「センチネル」77などに携わる。16歳だったバーブラ・ストライサンドと出逢い、彼女の製作会社“Barwood Films & Television”の社長を84年より務め、「ナッツ」87、「サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方」91、「マンハッタン・ラプソディ」96などをプロデュースし、ストライサンドらと共同製作した『アーミー・エンジェル』95でエミー賞候補、彼女が司会を務めた“Reel Models : The First Women of Film”00でデイタイム・エミー賞を受賞するなどTVでも活躍した。
 

大原れいこさん(おおはら・れいこ/本名=犬養麗子/TVプロデューサー)

4月27日、膠芽腫のため死去。84歳。祖父は大原美術館を設立した大原孫三郎、父は実業家の大原總一郎、夫は元共同通信社社長の犬養康彦。63年に東京放送(現・TBS)に入社。70年に設立された番組制作会社テレビマンユニオンに71年より参加し、72年に『オーケストラがやって来た』72‐83でテレビ大賞優秀番組賞、89年に『今よみがえる幻の祝典曲 リヒャルト・シュトラウス ‐その愛と哀しみ』で芸術選奨文部大臣新人賞、06年に『五嶋龍のオデッセイ』96‐05でATP賞特別賞を受賞するなど手腕を発揮。郷里・倉敷の『くらしきコンサート』の代表も務め、40年近くにわたり著名な演奏家を招き公演を主宰した。

田口勝彦氏(たぐち・かつひこ/TV演出家、アニメーション監督)

4月27日に死去。89歳。日本大学藝術学部卒業後、東映に入社。助監督を経て、東映東京制作所でTV監督として『仮面ライダー』71‐73など『ライダー』シリーズ、『秘密戦隊ゴレンジャー』75‐77など『スーパー戦隊』シリーズを手掛ける。『宇宙大帝ゴッドシグマ』80‐81、『百獣王ゴライオン』81‐82、後に劇場公開もされた『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』79などTVアニメーションも手掛けた。

三木黄太氏(みき・こうた/音楽グループ“PASCALS”チェリスト)

4月27日に死去。59歳。東京都立大学人文学部卒業後、82年にバンド“カトゥラ・トゥラーナ”にチェリストとして参加し、バックサポートやセッションで数々のミュージシャンと共演。95年に坂本弘道、佐藤研二とチェロリスト集団“CotuCotu”結成。音楽活動の傍ら、独創的な家具の制作やデザインを手掛け、90年よりアートファニチャーギャラリーを主宰。95年に結成された14人編成の音楽グループ“PASCALS”のメンバーとして、『毒島ゆり子のせきらら日記』16、『凪のお暇』19などTVドラマや、「松ヶ根乱射事件」06の音楽、“野の音楽隊”として出演もした「野のなななのか」13の主題曲なども手掛けた。

金内喜久夫氏(かねうち・きくお/俳優)

4月28日、がんのため死去。87歳。63年に文学座研究所入りし、65年に『花咲くチェリー』で初舞台。67年に座員となり、08年に『真実のゆくえ』『舞台は夢』で紀伊國屋演劇賞個人賞に輝くなど舞台で活躍。「おとし穴」62、「エロス+虐殺」70、「告白的女優論」71、「サンダカン八番娼館 望郷」74、「カンゾー先生」98、「千年火」04などや、『国盗り物語』73、『渡る世間は鬼ばかり』90‐11、『徳川慶喜』98などTVドラマにも出演した。

ジル・ガスコインさん(英/女優)

4月28日、アルツハイマー病のため死去。83歳。50年代より舞台で始動。70年代より映像作品にも進出し、英国ドラマ初の女性刑事が主人公の“The Gentle Touch”80‐84に主演し人気を博したほか、「ドッキリ・ボーイ2/ブギウギ大騒動」75、「キング・オブ・ザ・ウィンド/疾風の覇者」89などに出演。90年代に夫アルフレッド・モリーナとロサンゼルスに移り、「ベースケットボール/裸の球を持つ男」98や『たどりつけばアラスカ』90‐95などに出演する傍ら、作家としても活動した。

イルファン・カーン氏(印/俳優)

4月29日に死去。53歳。18年に神経内分泌腫瘍と診断されるも、闘病しつつインド映画“Angrezi Medium”20で復帰していた。デリーの国立演劇学院卒業後、80年代よりTVで始動。ミーラー・ナーイル監督の「サラーム・ボンベイ!」88の端役で映画デビュー。フィルムフェア賞悪役賞を受賞した“Haasil”03、『マクベス』をモチーフに主演した“Maqbool”04などで評価を高め、ナーイル監督の「その名にちなんで」06で国際的にも注目を浴びる。以降は、「ダージリン急行」07、「スラムドッグ$ミリオネア」08「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」12、アジアン・フィルム・アワード主演男優賞など数々の賞に輝いた「めぐり逢わせのお弁当」13、「ジュラシック・ワールド」14、「ピクー」15、「インフェルノ」16、「ヒンディ・ミディアム」17など国内外で活躍。『イン・トリートメント』08‐10、パール判事にふんした『東京裁判』16などTVドラマにも出演した。

マッティ・シモンズ氏(米/映画プロデューサー)

4月29日に死去。93歳。カード会社ダイナースクラブの重役を経て、67年に出版会社“Twenty First Century Communications”を共同設立し、ハーバード大の学生が運営したギャグ雑誌から発展した70年創刊の『ナショナル・ランプーン』誌にも出資。同誌から派生した「アニマル・ハウス」78や、チェヴィー・チェイスを主演にグリスウォルド家の災難を描く第1作「ホリデーロード4000キロ」83から第4作「ベガス・バケーション」97までの「バケーション」シリーズ、若き日のジョン・ベルーシやチェイスらが出演したコメディショー『レミングス』72など舞台、人気ラジオ番組『ナショナル・ランプーン・ラジオ・アワー』73‐74の製作にも携わった。

ジョン・ラフィア氏(米/映画監督、脚本家)

4月29日に死去。63歳。自殺とみられる。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学び、音楽活動を経て、「レポマン」84などの美術に従事。「チャイルド・プレイ」88の脚本に携わり、チャッキーの名づけ親としても知られ、サターン賞候補に。監督としても「チャイルド・プレイ2」90のほか、「ブルーイグアナ」88、「未確認生命体 MAX/マックス」93や、『フレディの悪夢』88‐90、『バビロン 5』93‐98、『デッド・ゾーン』02‐07、『合衆国壊滅/M』04などTVドラマも手掛けた。

リシ・カプール氏(印/俳優)

4月30日、白血病のため死去。67歳。祖父プリトヴィーラージや父ラージ、兄弟も俳優の芸能一家に生まれる。父が監督を務めた「私はピエロ」70で本格的にデビューし、主演を務めた「ボビー」74や、アミターブ・バッチャンと共演した「アマル・アクドル・アントニー」77、「愛しのヘナ」91などで人気を博す。00年代以降も「チャンスをつかめ!」09、80年に結婚したニートゥー・シンと夫婦役で共演した「命ある限り」12、「スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!」12、「ラジマライス 父の秘密作戦」18など精力的に出演を重ね、08年にフィルムフェア賞生涯功労賞を授与。息子ランビールも俳優となった。

B・J・ホッグ氏(英/俳優)

4月30日に死去。65歳。ミュージシャンを経て、舞台で始動。アカデミー賞候補となった短篇“Dance Lexie Dance”96で主演を務めたほか、「ナッシング・パーソナル」95、「あの日の指輪を待つきみへ」07、「エンバー 失われた光の物語」「HUNGER/ハンガー」08などや、レギュラー出演したBBCのシットコム“Give My Head Peace”98‐20や、『THE FALL 警視ステラ・ギブソン』13‐16、『ゲーム・オブ・スローンズ』11‐19などTVドラマにも出演した。

サム・ロイド氏(米/俳優)

4月30日、肺がんの合併症のため死去。56歳。クリストファー・ロイドの甥で父も俳優。『Scrubs ~恋のお騒がせ病棟』01‐10の弁護士テッド役、『デスパレートな妻たち』04‐12の結婚カウンセラー役で知られるほか、「ライジング・サン」93、「フラバー」97、「ギャラクシー・クエスト」99などや、『BONES』05‐17、『モダン・ファミリー』09‐20などTVドラマに出演。アカペラグループのメンバーとして歌手活動や、ビートルズのトリビュートバンドでバスギターも務めるなど多彩に活躍した。

パット・ブライマー氏(米/人形遣い、人形制作者)

4月12日に死去。70歳。TV番組やCM、アミューズメントパークの人形のデザインを手掛ける傍ら、「ボールズ・ボールズ」80ではビル・マーレイふんするゴルフコースの管理人の天敵のモグラのキャラクターに息を吹き込んだほか、「ショート・サーキット」86、「花嫁はエイリアン」88、「ハネムーンは命がけ」93、「チーム★アメリカ/ワールド・ポリス」04などに携わった。