第46回城戸賞準入賞作品シナリオ「御命頂戴!」全掲載

1974年12月1日「映画の日」に制定され、第46回目を迎えた城戸賞の準入賞作品「御命頂戴!」全文を掲載いたします。

タイトル「御命頂戴!」島田悠子

あらすじ

七年前。長崎奉行の長男、琴吹誠一郎が殺害された。犯人と目されたのは背中に桜の刺青を持つ男、氷十見直右衛。

当時、武家において「仇討ち」は権利ではなく義務だった。やられたままでは一族の名が廃る。しかし、日本のどこにいるとも知れない仇。「仇討ち」は現実的には限りなく不可能だった。「仇討ち」に出た者は本懐を遂げるまで帰宅を許されない。一族にしてみれば人材をムダにはしたくない。「仇討ち」に出る者は、正義と復讐を胸に誓う者か、または、一族の余り者だった。

琴吹家の九男、藍九郎(23)は琴吹家にとって後者だった。実家を出て七年、藍九郎は江戸で直右衛を探していた。いつものように町奉行所に出入りして殺人事件の話を聞く。幕府発行の「仇討ち免状」により、藍九郎は事件関係者に直右衛がいないかを確認できるのだった。

ある一家心中事件が気になり、藍九郎は勝手に事件を追った。その中、偶然にも直右衛(25)と出会う。直右衛は逃げも隠れもせず、ただ藍九郎に時間をくれと言った。「これが終わったら、斬られてやる」と。直右衛も直右衛で自分の仇を追っていた。

直右衛の桜の刺青を見て藍九郎は違和感を覚える。兄が殺されたとき自分が見たものとは何かが違う気がした。藍九郎は自分が見た犯人の刺青は「桜」ではなく「梅」だったことに気づく。兄を殺害した真犯人は、直右衛ではなく、梅の刺青を持つ別の男だったのだ。そして、その男は直右衛が追う仇でもあった。

「仇を討つ」藍九郎と、「討たれる」直右衛、二人は手を組んで同じ仇である男を狙う。桜が舞う春の吉原、狂歌の歌詠みの会合で、藍九郎と直右衛は梅の刺青の男と対決するのだが……。


登場人物

琴吹 藍九郎(ことぶき・あいくろう) 兄の仇を探す侍(23・16)

氷十見 直右衛(ひとみ・なおえ) 濡れ衣で仇とされている侍(25・18)

春梅紅(ちゅんめいほん)/空木屋亀兵衛(うつぎや・きへえ) 真の仇、薬種問屋旦那(50・43)

雛芥子(ひなげし) 薬の売り子、春梅紅の手下(17)

竜胆(りんどう) 薬の売り子、春梅紅の手下(29)

十三(じゅうざ) 三浦つきの岡っ引き(20)

小春  茶屋の娘(18)

ねね 殺された娘の妹(10)

三浦 伊左衛門  同心(45)

天道 寺の住職(64)

六松 殺された娘の恋人(22)

お蜜 紙問屋の娘(17)

十夜子  琴吹家の下女(15)

医者

薬種問屋の手代

茶屋の客

琴吹家の女中

絵草紙屋の店番

絵草紙屋の旦那

吉原の花魁

町奉行

琴吹 匡親(ことぶき・まさちか)  藍九郎の父、長崎奉行(58)

琴吹 誠一郎 藍九郎の兄(27)

 

シナリオ

○(回想)琴吹家屋敷・縁側(夜)

庭に満開の桜。

はらはらと舞う花びら。

月あかりをうけ、縁側で本を読んでいる琴吹誠一郎(27)。

藍九郎の声「兄上様」

誠一郎、顔をあげると、琴吹藍九郎(16)がいる。

誠一郎「藍九郎。また、こんな夜更かしを」

藍九郎「兄上様。なぜ、月は落ちてこないのですか?」

誠一郎「月?」

藍九郎「遠ざかるでも、近づくでもなく、形は変えれど、いつもあの場所を通って行くのは、なぜなのでしょう? みな、そのようなことを聞くのはアホウだと言うのです。藍九郎はアホウなのですか?」

誠一郎「そうではない」

藍九郎「月は山より小さく見えますが、それは山より遠くにあるからです。本当はどれほど大きいのか、見当もつきません。それが落ちてきたら、この大地はどうなってしまうのか、それを思うと眠れないのです」

誠一郎、本を閉じる。

誠一郎「もし、月が落ちたら」

藍九郎「月が落ちたら?」

誠一郎「一緒に、月を拾いに行こう」

藍九郎「え?」

誠一郎「馬を駆け、誰よりも早く、月を手にしたら、あとはお前の好きなだけ調べればいい。お前は賢い。この琴吹家の誰よりも。人の言うことは気にするな。お前はお前の道を行け。藍九郎」

藍九郎「そう言って下さるのは、兄上様だけです」

誠一郎「みな、見る目がない」

誠一郎が笑う。

藍九郎、安心してほほ笑む。

桜の花びらが舞う。

 

○池(夜)

暗闇に舞う桜の花びら。

静かな水面に落ちる。

一面に桜の花びらが浮く池に、志乃(16)の死体がうつぶせに浮かぶ。

 

○通り・小春の茶屋・店先

にぎわう江戸の大通り。

あくびをして歩く藍九郎(23)。

小春の声「藍九郎さま! 藍九郎さま!」

藍九郎「ん?」

小春(18)が藍九郎をつかまえる。

小春「藍九郎様、目の下にクマが。また眠れなかったんですか?」

藍九郎「うん。まぁ。いつものことだけど」

小春「ですね。それより、(小声で)殺しですよ、殺し!」

藍九郎「殺し?」

小春「気になります? よね! 来て来て来て、来てください!」

小春、藍九郎を強引に引っぱる。

 

×   ×   ×

 

席に座る藍九郎に、茶と団子を出す小春。藍九郎の隣に座る。

小春「ここだけの話なんですけどね、昨日の晩、すすきが池で殺しがあったんですって。さっき、三浦様が内緒だよって」

藍九郎「小春、内緒の意味、知ってる?」

小春「すすきが池ですよ、きゃあ、怖い!」

藍九郎「それ、どこ?」

小春「すすきが池はですね、ここからですと、あっちの方に半時くらい……、って、藍九郎様、江戸に出てきて何年ですか!」

藍九郎「かれこれ、七年、かな?」

小春「少しは、この辺のことも覚えてください!」

藍九郎「すみません。で、その池は有名なの?」

小春「不気味だし、うっそうとして、誰も近づきませんよ。夜になるとゾッとするほど真っ暗ですし」

藍九郎「そこで、殺し?」

小春「女の人の顔が、めちゃくちゃに切り刻まれてたんですって! きゃあ!」

藍九郎「その人を最初に発見した人は、そんなところに何しに行ったんだろう?」

小春「さぁ?」

藍九郎「さぁ。って」

小春「私が知るわけないじゃないですか」

藍九郎「まぁ、確かに。遺体は番所に?」

小春「きっと、今ごろ、三浦様がお調べになってますよ」

藍九郎「顔を切り刻まれるなんて」

小春「まだ犯人がそこら辺を歩いていると思うと、怖すぎます! 藍九郎様、絶対に犯人を見つけてくださいね!」

藍九郎「オレが?」

小春「藍九郎様にかかれば、どんな事件もパパっと解決!」

藍九郎「仇討ちに出て七年も経って、自分の仇も見つけられないのに、人の事件に首をつっこんでる場合じゃないよ」

小春「でも、気になるでしょう?」

小春、藍九郎の顔をのぞき込む。

小春「気になって気になって、今夜も眠れないと思いますよ?」

藍九郎「う」

小春、にこっと笑って。

小春「ご自分で確かめなくちゃ! ね?」

 

×   ×   ×

 

店から去る藍九郎。

それを見送る小春。

小春「行ってらっしゃい、藍九郎様! 詳しくわかったら、一番に教えてくださいね!」

藍九郎は苦笑。

藍九郎「結局、そこ」

 

 

○町奉行所・外観

 

 

○同・一室

土間に、むしろがかけられた志乃の遺体がある。

藍九郎、むしろを少しめくって彼女の顔を見る。

藍九郎、志乃の口を開けて、中をのぞく。

むしろを戻す。

むしろからはみ出た志乃の手。

青白くふやけている。

藍九郎、その手を取って、そっと彼女の体の脇にそえてやる。

藍九郎、志乃に合掌する。

 

○同・廊下

部屋から出てくる藍九郎。

三浦伊左衛門(45)と十三(20)が待っている。

三浦「藍九郎」

藍九郎「三浦さん」

三浦「見たか、あれを」

藍九郎「はい。あの顔は、何かで切り刻まれたのとは違います。皮を一枚、剥いでありました。それも、ひどく雑に。あれでは、どこの誰だか区別がつかないでしょう」

三浦「あぁ。その通り」

藍九郎「舌の先もありませんでした。断面に歯形が。彼女が自分で咬み切ったんだと思います。むごい死に方です」

三浦「相変わらず鋭い。あぁ、紹介する。こいつは、新しい岡っ引きの十三」

十三「十三と申します。よろしうに頼みます」

藍九郎「琴吹藍九郎と申します」

三浦「前のジジイは引退した。こいつでも使えって、てめぇは隠居しちまった」

藍九郎、ふっと笑う。

藍九郎「探してたお孫さん、見つかったんですね?」

三浦、にっと笑って。

三浦「一緒に里に帰っちまったよ。おかげでこっちは人手不足で、てんてこ舞いだ」

藍九郎「三浦さん」

三浦「あん?」

藍九郎「また、小春に事件のことをもらしましたね?」

三浦「あぁん? そうだっけかなぁ?」

藍九郎「小春を巻き込まないでください。オレに用があるなら、オレに直接……」

三浦「うるさい奴だ。いい仲でもあるまいに」

藍九郎「う」

三浦、笑って藍九郎の尻を叩く。

藍九郎「いだ!」

三浦「若い、若い!」

何人かが廊下を走っていく。

藍九郎「今日は、何だか忙しそうですね」

三浦「今日は?」

藍九郎「いえ、その、いつもに増して」

三浦「浅草の上の方で一家心中があってな。ご丁寧に、家に火までつけやがって。その始末でごたごたしてる」

藍九郎「一家心中?」

三浦「そこの娘が、二人、消えた。どこか近くのやぶででも殺されたか、今、周辺を探してるところだ」

藍九郎「なぜ、心中だと?」

三浦「まぁ、状況がな。見てみるか?」

 

○同・別室

土間に、むしろがかけられた遺体が五つ並んでいる。男、その妻、その両親と、若い息子のもの。

藍九郎、一家に手を合わせ、一人一人のむしろをめくる。

焼け焦げた遺体を観察する藍九郎。

躊躇なく、素手で彼らに触れる。

それを見ている三浦と十三。

三浦「この一家は野菜を作る農家だったが、この頃は虫の害がひどかったらしい。調べでは、収穫がほとんどなくて生活に困窮していたようだ。しかも、年老いた両親が二人とも患っていてな、薬代も高くついた。生きていくのに行き詰まったんだな」

藍九郎「全員に刃物で切った傷がある……」

三浦「父親が他を殺して、最後に自害したとみている」

藍九郎「この人には、武術の心得が?」

三浦「あん?」

藍九郎「切り口がキレイすぎるんです」

三浦「よく研いだ包丁でも使えば、そんなものだろう?」

藍九郎「野菜を作っていた人が、こんな風に刃物を扱えるでしょうか? 焼けていてもわかります。ためいらいもなく、傷は骨まで達しています。たったひとふりで命を奪ってる。家族の命を、です」

十三「三浦様、こいつ、何者で?」

三浦「し。黙っとけ」

藍九郎「これは……、心中じゃない。一家心中に見せかけた、殺しです。消息不明の娘さん二人は、事件に巻き込まれた可能性があります。二人は何歳ですか?」

三浦「十と十六だ」

藍九郎「事件の目撃者は?」

三浦「そいつがわかれば苦労はなしだ」

藍九郎「犯人は左利き」

三浦「なぜ?」

藍九郎「一家の首の右を斬っています」

三浦「右利きでも、そう斬ることはあるだろう?」

藍九郎「事件は一瞬の出来事だったと思います。誰の腕にも傷がありません。背中から斬られた様子もない。逃げたり、とっさに自分の身を守ろうとした形跡がないということです。犯人は、そのすきさえ与えなかった。斬りやすい方から斬ったと思われます。右に傷があるということは左から」

考え込む藍九郎。

藍九郎「この人数を、一瞬で……」

三浦「んまぁ、今回もお前の一件には関係なかったみたいだな、藍九郎。さ、見るもの見たなら行ってくれ。仕事の邪魔だ。あとはオレたちに任せておけ」

藍九郎は上の空で生返事。

三浦「藍九郎!」

藍九郎「え? あ。はい?」

三浦「出口は、むこうだ。手を洗えよ」

 

○同・門前

奉行所から立ち去る藍九郎。

三浦と十三がそれを見送る。

十三「三浦様」

懐から煙草を取り出す三浦。煙管の先に煙草草を詰める。

三浦「あん?」

十三「あいつは部外者でございましょう? なぜ、すすきが池や浅草のことを?」

十三、懐から入れ物に入った火縄を出して、三浦の煙草に火をつける。

三浦「藍九郎は免状持ちだ」

十三「免状?」

一服する三浦。

三浦「仇討ち免状さ。兄を殺されたんだと」

十三「その免状で、番所に出入りを?」

三浦「ああやって、仇を探してるんだ」

考え事をしながら歩いていく藍九郎。

通行人にぶつかり、謝る。

それを眺める三浦、くすっと笑う。

三浦「あれがまた、恐ろしく便利な男でな」

 

○(回想)長崎の風景

山から望む長崎湾。細長い港湾に、巨大な外国船が数隻とまっている。

遠い汽笛。

商店には舶来の品が並び、小さな町は、日本人、清国(中国)人でにぎわっている。

 

○(回想)琴吹家屋敷・大広間

広大な庭に面した大広間。

藍九郎の声「父上様、お呼びでしょうか?」

部屋に入って驚く藍九郎(16)。片目に包帯を巻いている。もう片方の目、まぶたにも切り傷が残る。

部屋には琴吹家の一族面々がずらり。

上座に座っている琴吹匡親(58)。

匡親「待っていたぞ。藍九郎」

藍九郎「これは、いったい?」

匡親「まぁ。座れ」

匡親が隣の席を示す。

藍九郎「私が、上座に?」

匡親「来い」

藍九郎、ひどく恐縮しながら一族の前を進み、匡親の隣に座る。

匡親「今日、みなに集まってもらったのは、他でもない。誠一郎の一件についてだ。去る日、琴吹家の嫡男、誠一郎が殺された」

うつむく藍九郎。

藍九郎「兄上様……」

静かにしのぶ一族一同。

匡親「誠一郎は、よくできた男だった。ゆくゆくはこの琴吹家を継ぎ、長崎奉行の職を継ぎ、上様にお仕えするはずであった。仇は逃げ、行方も知れぬ。しからば、武家のしきたりに従い、仇討ちを出す! 琴吹家の名誉挽回を担うこの大役、私は、ここにいる我が九男、藍九郎より他にいないと思うが、方々、ご賛同いただけるか!」

ハッと顔をあげる藍九郎。

藍九郎「え?」

匡親「異存なくば、藍九郎にて決定!」

藍九郎「父上様!」

匡親「これは、琴吹家の総意だ、藍九郎。お前に、誠一郎の仇討ちに出てもらう。ひとたび仇討ちに出れば、仇を討たぬ限り、この琴吹家の敷居をまたぐこと、二度と叶わぬ。覚悟して行くがよい」

藍九郎「しかし、私には剣術の心得もなく!」

匡親「すでに、お前の名で仇討ち免状をもらい受けている」

藍九郎「仇討ち免状?」

匡親、一通の書状を藍九郎に渡す。

匡親「この免状により、お前はこの日本全国、津々浦々、全ての関所の通過が許される。また、奉行所にも協力をあおぐことができよう。その地にて事件が起きれば、その都度、被害にあった者や犯人が誠一郎の仇でないかを確認できる。必ずや、誠一郎の仇をその手で討ち取れ、よいな、藍九郎!」

藍九郎「と、申しましても、手がかりが」

匡親「兄の仇をとりたくないのか? お前は誰よりも誠一郎を慕っていたはずだ」

藍九郎「今でも兄上様を心より敬愛しております! しかし!」

匡親「手がかりならば、お前が誰よりもよくわかっているはずだ。誠一郎の死に居合わせた。その目で見、その耳で聞いたのであろう。仇の名は直右衛。背中に桜の刺青を持つ男だ!」

藍九郎「……!」

 

○一家殺害の現場・外観

畑が広がる農村。

黒焦げになった家屋がある。

 

○同・中

焼け跡を見る藍九郎。

藍九郎「一家心中に見せかけた殺人。ここで一家が殺され、娘が二人、消えた」

辺りを見渡す藍九郎。

藍九郎「争った形跡はない。犯人は一家の知り合い? それなら、三浦さんが調べてる。それとも、たずねてきても警戒されない誰か。……行商人?」

目をつぶる藍九郎。

 

○(イメージ)同・犯人の目線になって

戸を叩く手。

藍九郎の声「犯人は、周囲に人がいないのを確認して、戸を叩く」

戸を開ける一家の男。

笑顔で客人を家の中に迎える。

藍九郎の声「相手は油断してる。犯人は刃物を出し」

犯人は、男を斬りつけ、

その妻を、

両親を、

息子を、

次々と殺していく。

藍九郎「そして、残された娘二人を」

娘二人は、怯えて部屋の隅で抱き合って震えている。志乃(16)と、ねね(10)。

そこに歩いて行く犯人。

左手に持つ刃から血が滴る。

犯人を見る娘二人の見開いた目。

その黒目に映った男が、手を伸ばしてくる。

 

○元の一家殺害の現場・中

目を開ける藍九郎。

藍九郎「娘二人は連れ去られた。どこに?」

家の中を見回す藍九郎。

鼻をくんくんとする。

藍九郎「この匂い。どこかで。……ん?」

水瓶に近づく藍九郎。

焼け焦げて割れた水瓶。それをつなぐと、小さな墨の手形が押してある。

藍九郎「子供の手形。産まれた記念か、いたずらか」

それに触れる藍九郎。

藍九郎「この手相」

 

○町奉行所・一室

志乃のふやけた手を取る藍九郎。

手相を見る。

三浦が来る。

三浦「忘れ物でもしたか? 藍九郎」

藍九郎「この手相、一家心中の家に残っていた子供の手相と一致します。手の大きさは変わっても、手相はそうそう変わらない。彼女は、消えた二人の娘のうちの一人、おそらく、十六歳の方では?」

三浦「また、勝手に調べたのか?」

藍九郎「すみません。気になって……」

三浦「お前の推測が正しいなら、彼女の名は志乃だ」

藍九郎「志乃」

藍九郎、志乃の手を嗅ぐ。

三浦「何してる?」

藍九郎「この匂い。焼けた家でも同じ匂いがかすかにしました。どこかで嗅いだことがあるんです」

三浦、志乃の手を嗅ぐ。

三浦「言われてみれば、確かに、何かの匂いがついている。オレは嗅いだことがないが、何の匂いだ、これは?」

藍九郎「それが、思い出せなくて」

三浦「また、眠れなくなりそうだな?」

藍九郎「はぁ」

十三が来る。

十三「三浦様、事件を見たと名乗る男が」

藍九郎と三浦、十三を見る。

 

×   ×   ×

 

志乃の遺体にすがりついて泣く六松(22)。

六松「お志乃ちゃん。あぁ、お志乃ちゃん!」

そこにいる三浦、十三、藍九郎。

十三「野郎の名は六松。その日暮らしの、ぼてふりです。志乃とは恋仲だったようで」

藍九郎「かわいそうに」

三浦「お前、まだいたのか、藍九郎」

藍九郎、三浦に追い出される。

三浦「ほら、部外者は帰った帰った!」

 

○小春の茶屋・店先

席に座っている藍九郎に、小春がお茶と団子を出す。

小春「じゃあ、すすきが池の顔なし娘と浅草の一家心中と、二つの事件は殺しでつながったってことですか? 犯人は? 同機は? もう一人の娘さんは無事なんですか? その子の居場所は?」

藍九郎「そんな一気に聞かれても、わからないよ。まだ、全然」

小春「この事件に、桜の刺青の男は関係してますか?」

藍九郎「……わからない」

小春「んもう。がんばってください、藍九郎様!」

藍九郎「そう言われても。三浦さんには邪魔だって追っ払われちゃったし」

小春「とか言って、結局いつも、首をつっこんでますよね?」

藍九郎「いつもじゃないよ。ときどき」

小春「ときどき?」

藍九郎「……しばしば?」

小春「あ。いらっしゃいませ」

六松の声「相席、よろしいでしょうか?」

藍九郎「どうぞ。……ん?」

それは六松。藍九郎に会釈する。

 



×   ×   ×

 

一緒にお茶を飲む藍九郎と六松。

六松「ご番所では犯人扱いされて。もう少しで牢に突っ込まれるところを、何とか言って逃げてきました。あなた様に話を聞いてほしくて」

藍九郎「オレに?」

六松「すすきが池の娘がお志乃ちゃんだとわかったのは、あなた様がすすんで調べてくだすったおかげと聞きました。お志乃ちゃんに代わって、お礼を申します。ありがとうございます!」

藍九郎「礼を言われるようなことは何も」

小春「調べないと気がすまないタチなんですよ、藍九郎様は」

藍九郎「小春」

小春、ぺろっと舌を出す。

藍九郎「それで」

六松「はい。お志乃ちゃんとオレの仲は、お志乃ちゃんの親に反対されてて、それでオレは、あの日も近くのヤブに隠れて、お志乃ちゃんが家を抜け出してくるのを待ってたんです」

藍九郎「そこで、誰かを見た?」

六松、うなずく。

藍九郎「行商人とか?」

ハッとする六松。

六松「どうして、わかったんですか! そうです、薬の行商、お志乃ちゃんの祖父母が薬種を買っていて。ただ、あの日は、いつもとは違う薬屋が来て」

小春「その、お店の名前は?」

六松「そこまでは……」

藍九郎「どんな人だった?」

六松「それが、何ていうか、男なのに、ひどく色っぽいというか、若くて、ぞっとするほど美男子で」

小春「素敵!」

藍九郎「小春」

小春、おぼんで顔を隠す。

六松「そいつが平気な顔をして、みんなを殺して、家に火をつけて、お志乃ちゃんと妹を、箱に詰めたんです」

藍九郎「箱?」

六松「薬売りが担いでる大きな箱です。はじめに見たときは薬種が入ってるんだと思いました。でも、中はカラで。片方子供とはいえ、あんな細い男が、娘二人を軽々と担いで。オレには何が何だかわからなくて、ただ、足がすくんで……」

六松の声が震える。

小春「お茶を飲んで、少し落ち着いて」

お茶に手を添えて勧める小春。

藍九郎「見たことは、それで全部?」

湯呑みを持つ六松の手。

六松「いえ。オレ、その男をつけてみたんです。途中で見失ってしまいましたが、それがちょうど……」

瞬間、六松の湯飲みが割れる。

小春「きゃ!」

前かがみになる六松。

六松「……あ、か、体が……」

六松の胸に光る物が。

藍九郎、ハッとする。

六松に長い針が突き刺さっている。

藍九郎「針?」

針を引き抜く藍九郎。

通りを見る。

いつもの町、行きかう人々。

六松「あ、あぁ!」

六松が崩れ落ちる。

小春「藍九郎様! 六松さんが!」

通りにむかって刀を抜く藍九郎。

藍九郎「どこから狙ってる!」

直右衛の声「貴様は引っ込んでろ!」

同じ茶屋にいた氷十見直右衛(25)が抜刀し、通りに飛び出していく。

藍九郎「うわ!」

直右衛「竜胆!」

通りにいた町人風の男、竜胆(29)に斬りかかる直右衛。

竜胆が飛びのき、直右衛に何か光る線のようなものを投げつける。

それを斬り落とす直右衛。

地面に落ちる針。

通行人が悲鳴をあげる。

竜胆「桜が出てきちゃ分が悪い」

竜胆が逃げ、直右衛が追う。

藍九郎は、あ然。

小春「藍九郎様!」

藍九郎、ハッとして見ると、六松がしびれながら藍九郎にすがりつく。

藍九郎「六松! 体が動かないのか!」

六松「し、死にたくねぇ、死にたくねぇ! 連れてってくれ!」

藍九郎「わかった! すぐ医者に!」

六松「違う、ご番所に! オレを牢屋に、入れてくれ! あいつらが来ないところに、かくまって、くれ!」


 

 

○町奉行所・外観(夜)



 

○同・一室(夜)
待っている藍九郎、三浦、十三。

隣室から医者が来る。

藍九郎「六松の容体は?」

医者「ひとまず、体のしびれはおさまった。四、五日、休めば心配なかろう。薬の配合を記しておくから、薬屋に作ってもらいなさい。朝夕に湯でといて飲ませるように」

藍九郎、安堵して息をつく。

三浦「だ、そうだ。あとはこっちに任せて、お前は帰れ、藍九郎」

藍九郎「三浦さん、六松は犯人ではありません。彼は右利きです。この事件の、大事な目撃者です」

三浦「わかったわかった。話はあとで聞いておくから」

藍九郎「オレも明日、出直します」

 

 

○長屋・どぶ板通り(夜)

明かりが消え、寝静まった長屋。

井戸端に桜が咲いている。

はらはらと舞う桜の花びら。

 

○同・藍九郎の部屋(夜)

布団にくるまって寝ている藍九郎。

寝返りを打つ。

もぞもぞ。

もう一度。

もぞもぞ。

また一度。

カッと目を開け、起きあがる藍九郎。

藍九郎「眠れない!」

 

○町奉行所・前

通りを歩いてくる藍九郎。

あくびを咬み殺す。

藍九郎「あの匂い、知ってるんだよな。どこで嗅いだんだっけ。思い出せない。ここまで出かかってるのに」

奉行所に入ろうとする藍九郎。

すれ違いに出てくる雛芥子(17)。薬種問屋の箱を担いだ美男子。

その瞬間、藍九郎の時が止まる。

柔らかい風が通る。

雛芥子から香る匂い。

藍九郎、雛芥子を見る。

藍九郎に視線を投げかけ、ほほ笑む雛芥子。薄化粧をして、色っぽい。

立ち去る雛芥子。

見送る藍九郎。

藍九郎「あの、匂い」

藍九郎、雛芥子を追いかけようとする。と、後ろから藍九郎の手を取る直右衛。

直右衛「追うな!」

ハッとする藍九郎。

藍九郎「あんたは……、昨日の?」

直右衛「行くな。追えば命がなくなる」

藍九郎、見ると、雛芥子の姿はもう道にない。

直右衛、藍九郎の手を離し、雛芥子が去った方へ走る。

藍九郎「待って! あんたは!」

ふりむく直右衛。

藍九郎「誰?」

直右衛「誰でもない。オレたちに関わるな。この件は、お前の手には負えない!」

走り去る直右衛。

それを見送る藍九郎。

 

○同・一室

十三が藍九郎を迎える。

十三「藍九郎様」

藍九郎「十三」

十三「六松なら隣の部屋に。先ほど、薬を渡したところで。休んでおります」

藍九郎「三浦さんは? 留守?」

十三「先刻まで、いたんですが、狂歌の歌詠みの会合にお出かけになりまして。余計なお供つきは無粋だそうで、私はこの通り、置き去りに」

藍九郎「相変わらず趣味人だね」

十三「そのようで」

ふすまを開ける藍九郎。

藍九郎「六松、体の加減は……」

藍九郎、目を見開く。

隣室の壁や床が血に染まっている。六松がのどをかきむしり、血を吐いて死んでいる。

藍九郎「六松!」

 

○小春の茶屋・店先

小春、藍九郎を見つけると手を引き、

小春「藍九郎様、こっちこっち!」

藍九郎「小春」

小春「見つけたんですよ、探してた人です、藍九郎様が!」

店の奥へと行く二人。

 

○同・一室

お蜜(17)が座っている。

小春、お蜜の前に藍九郎を座らせる。

小春「藍九郎様、こちらは紙問屋のお蜜ちゃん。お蜜ちゃん、こちらは藍九郎様」

お蜜「はじめまして。おうわさは小春ちゃんからかねがね」

藍九郎「あの男を知ってるって、本当?」

お蜜「はい」

小春「藍九郎様、いきなり」

藍九郎「ごめん。前置きもなく」

お蜜「前置きは不要です。私でお役に立てるなら、何でも話します」

藍九郎「ありがとう」

お蜜「いいえ。……あの日の朝、紙を卸しにご番所に行ったら、あの人が来ていて」

藍九郎「薬種問屋の男」

お蜜「本当にキレイな人だったから、よく覚えてるんです。何か、薬を作って、ご番所の方に渡していました」

藍九郎「その薬で六松は死んだ。医者が記した薬の指示に間違いはなかったから、きっと、その男が渡した薬が、毒だった」

お蜜「あの人の名前は知りませんが、柳風寺に紙を届けに行ったときにも見たことがあるんです」

藍九郎「柳風寺?」

小春「ここから、そんなに遠くないお寺です。あまり、いいうわさは聞きません。とにかく、がめつい金集めで、お堂なんか目もくらむほど金ピカで」

お蜜「そこの小坊主さんが言ってました。あの人は、ご住職の、その……お相手だって」

藍九郎「ん?」

お蜜「だから、その……お相手を」

小春「んもう! 言わせないでください、藍九郎様!」

 

 

○柳風寺・外観

 

 

○同・一室

着物の乱れを直す住職の天道(64)。

全裸に着物を軽くかけて布団に寝そべり、煙草を吸っている雛芥子。

腰に雛芥子の花の刺青がある。

天道「箱の中で死んだ娘を、すすきが池に捨てたそうじゃないか」

煙を吐く雛芥子。

雛芥子「それが?」

天道「お前らしくもない」

雛芥子「目が覚めたら騒ぐかと思ってたのに、いつのまにか舌を咬み切るなんて。気づかずに一銭にもならない死体を運んでいたかと思うとさ」

雛芥子、ふふと笑う。

雛芥子「邪魔が入らなければ、ばらして野犬に食わしてやりたかった」

天道「うちの寺に投げ込めばよかろうものを。下手にそこらですますと足がつくぞ」

雛芥子「そのときはそのとき。オレも死ぬだけさ」

天道「そんなことを言うな。お前はずっと、私のそばにいておくれ」

雛芥子「まだ、抱き足りない?」

天道「お前さえいれば、他に何もいらない」

雛芥子「うそばかり。地獄で舌を抜かれるよ」

天道、笑う。

天道「可愛いお前も堕ちると思えば、地獄もそう悪いところじゃない」

雛芥子「確かに。生きて味わう地獄に比べれば、あの世の炎はぬるいかもしれない」

小坊主の声「天道様、お客様でございます」

天道「客? 誰だ?」

小坊主の声「琴吹藍九郎という、お侍様です」

天道「知らん。誰も通すなと言っただろうが」

雛芥子「藍九郎?」

雛芥子、立ちあがる。

天道「おぉ、おぉ。雛芥子、どうした?」

雛芥子「そいつに会う」

天道「は?」

雛芥子「オレの客だ」

 

○同・別の一室

座って待っている藍九郎。

天道と雛芥子が来る。

雛芥子を見てハッとする藍九郎。

雛芥子、にこりとほほ笑む。

天道「用件を聞こう。手短にな」

藍九郎「ご住職に聞きたかったのは、その……」

雛芥子「オレの居場所だろう? オレは目の前にいる。他には、何が聞きたい?」

藍九郎「し、志乃が死んだのは」

雛芥子「あれは自殺だった。原因を作ったのはオレかもしれないけど」

藍九郎「志乃の妹は!」

雛芥子「生きてる」

藍九郎「どこで!」

雛芥子「それを教えたら、お前を殺すことになるけど、それでも聞きたい?」

藍九郎、立ちあがり、抜刀する。

藍九郎「脅しには屈しない!」

雛芥子、笑う。

雛芥子「勇ましいのは好きだよ」

天道「ここは、み仏に祈りを捧げる寺の内、物騒、殺生は控えなさい!」

藍九郎「ご住職、こいつは人殺しです!」

雛芥子「犯人は左利きと言ったらしいね」

雛芥子、立ちあがる。

雛芥子「惜しい」

雛芥子、両手に短剣を持ち、器用にくるりと回す。

雛芥子「オレは両刀だ。娘はここにいる」

藍九郎「どこに!」

雛芥子「約束通り、さようなら。藍九郎」

藍九郎に襲いかかる雛芥子。

藍九郎、悲鳴をあげて、よける。

雛芥子、からぶり。

藍九郎「ひ、人殺し!」

部屋から逃げていく藍九郎。

雛芥子「つれないじゃないか!」

追いかけようとする雛芥子。

天道「待て、雛芥子!」

雛芥子「何?」

天道「畳を汚すな」

雛芥子、笑い、藍九郎を追う。

 

○同・廊下~庭

横から滑り込んで、廊下の直線を疾走する藍九郎。途中から庭におりて裸足で走り抜ける。

それを雛芥子が追う。

天道が部屋から出て叫ぶ。

天道「門を閉めろ!」

小坊主たちが門を閉める。

藍九郎「待って待って! 帰ります!」

藍九郎の目の前で門が閉まる。

藍九郎「あぁ!」

ふりむく藍九郎。

雛芥子が刃を手に飛び込んでくる。

悲鳴をあげる藍九郎。

その瞬間、門の上から飛び降りる影。

雛芥子の攻撃を刀で受ける直右衛。

藍九郎「!」

直右衛「ボケっと見てないで逃げろ、バカ!」

ハッとして、逃げだす藍九郎。

雛芥子、飛びのいて、直右衛と対峙する。

雛芥子「桜」

直右衛「雛芥子」

雛芥子「いつから仲間を作った?」

直右衛「仲間じゃない。あいつはオレが行く先々、邪魔をしてくるだけだ。せっかく、お前を殺す機をみていたのに、このザマだ」

雛芥子「お前と抜き身でやれるなんて、夢みたいだよ、桜。オレ、本気になりそう」

直右衛と雛芥子、壮絶な戦いになる。

藍九郎、ハッとして立ち止まり、来た道を戻る。

藍九郎、しゃがみ、地面をじっと見る。

藍九郎「?」

直右衛、戦いながら、それに気づく。

直右衛「お前、何してんだ! 早く逃げろって言ってんだろ!」

藍九郎「アリが」

アリが行列を作っている。

藍九郎「米粒を運んでる」

直右衛「あぁ?」

藍九郎「炊いた米を」

直右衛と雛芥子が戦う中、アリの行列を追う藍九郎。

その先には蔵があり、行列は蔵の中へ続いている。

藍九郎「蔵の中に、炊いた米が? なぜ?」

蔵は鍵がかかって閉まっている。

藍九郎、ガチャガチャと鍵を揺すると、戸のむこうに人の気配がする。

藍九郎「誰か、中に誰か、いるのか!」

直右衛「いいから逃げろ!」

藍九郎「ダメだ、鍵が外れない!」

直右衛「このバカ!」

藍九郎「うおおおぉ!」

大きめの石を持ちあげようとする藍九郎。石が少し浮く。

が、落ちる。

藍九郎「ダメだ、持てない!」

小石を拾う藍九郎。

蔵の鍵をガンガンと叩く。

藍九郎「びくともしない!」

直右衛「何してんだ、死にたいのか!」

天道が弓に矢をつがえ、引き絞る。

狙いは藍九郎。

それに気づく直右衛。

直右衛「ちっ!」

直右衛、自分の刀を天道にむかって投げる。

雛芥子「得物を捨てるか、桜!」

天道の肩に刀が突き刺さる。

その拍子に矢が放たれる。

雛芥子、直右衛に斬りかかる。

放たれた矢が蔵の鍵を射抜く。

藍九郎「桜!」

藍九郎、自分の刀を直右衛に放る。

直右衛「!」

直右衛、それを受け取り、雛芥子を突き刺す。相討ちに見える。が、崩れ落ちたのは、雛芥子。

天道「雛芥子!」

地面に倒れた雛芥子、血を吐く。

雛芥子「……あぁ。感じるよ、桜。オレは、今、生きてる。気持ち、いい……」

雛芥子、息絶える。

鍵に刺さった矢を引き抜く藍九郎。

鍵が落ちる。

藍九郎、扉を開ける。

天道「見るな、見るなぁ!」

藍九郎、その光景に目を疑う。

蔵の中には、娘たちや幼い子供が何人も家畜のように鎖でつながれ、閉じ込められている。

まぶしそうに目を細める彼女たちは、ひどく汚れている。

地面に散らばった食事は腐り、虫がたかってウジがわいている。

藍九郎「なんて、ことを……。なんて、むごいことを!」

天道「ひいぃ、私は知らない! 頼まれただけだ、蔵を貸してくれと言われただけだ! 私は知らない! 何も、何も知らない!」

藍九郎、涙目で天道をにらむ。

天道「何でも言う、話すから、命だけは!」

直右衛、ガクリと片膝をつく。

直右衛の片腕に血が流れている。

直右衛「……お前」

藍九郎「!」

直右衛「さっき、オレを、桜と呼んだな」

藍九郎、直右衛にかけよる。

藍九郎「その腕、斬られたのか!」

直右衛の意識がもうろうとする。

直右衛「二度と、その名で呼ぶな……」

藍九郎「じゃあ、何て呼べば」

直右衛「……知るか」

藍九郎「傷を見せて!」

直右衛「やめろ。放っておけ。去れ!」

藍九郎「命の恩人を置いて行けるか!」

藍九郎、直右衛の着物を剥ぐ。

藍九郎「!」

血にまみれた桜の刺青。

藍九郎「桜……」

(フラッシュする過去)

匡親「兄の仇を取りたくないのか、藍九郎! 桜の刺青を持つ男。その名は……!」

(フラッシュ終わり)

直右衛の背中から両肩にかけて、見事な桜の刺青が入っている。

気を失う直右衛、藍九郎にむかって倒れ込む。

直右衛を抱きとめる藍九郎。

藍九郎「……直右衛!」

 

○長屋・どぶ板通り

井戸端の桜がはらはらと散る。

 

 

○同・藍九郎の部屋

目が覚める直右衛。

布団で寝かされている。

起きあがるが、痛みに顔をゆがめる。

肩に包帯が巻かれている。

藍九郎の声「気がついたか」

かゆを椀に盛って、藍九郎が来る。

直右衛「どれくらい、寝てた?」

藍九郎「二日。食べて」

直右衛「かゆか。オレは病人じゃない。食うなら固く炊いた米がいい」

藍九郎「贅沢を言うな。仇討ちのオレの身分で、そんないい飯が食えるわけないだろ。元気でも薄めのかゆ、うちではそう決まってる」

直右衛、小さく舌打ち。

藍九郎「人に食い物、恵まれといて、文句つけるなよ」

直右衛「蔵にいた女子供はどうした?」

藍九郎「逃がしたよ。でも、みんな、家族は殺されたって。行き場をなくして、とまどってた。これから先、どうなるんだろう?」

直右衛「お前がそこまで抱え込む必要はない」

藍九郎「でも」

直右衛「お前は、見ず知らずの女子供のために、なぜ、あんなムチャを。命をかけて、赤の他人を助けて、何の役に立つ?」

藍九郎「役に立つから、やったんじゃない」

直右衛「なら、なぜ?」

藍九郎「なぜだろう。気になったから。かな?」

直右衛「あ?」

藍九郎「あの匂い。雛芥子って奴から匂った、あの香りをオレは知ってる。どこかで嗅いだことがあるんだ。それが、どうしても、思い出せなくて」

直右衛「……ラベンデュラ」

藍九郎「ら?」

直右衛「ラベンデュラだ。あの匂いは、紫色の小さな花から絞った油の匂い。舶来の薬だ」

藍九郎「ラベンデュラ……」

直右衛「ラベンデュラは、頭痛、不眠、消化不良、気を静め、火傷にも効く。庶民には手が届かないほど高価な薬だ。天道から、どこまで聞いた?」

藍九郎「雛芥子のいた薬種問屋は人身売買を裏家業にしてたって。家族をみな殺しにして、女子供を集めて、密貿易で売りさばく。長崎から外国船に乗せて」

直右衛「売り飛ばす人間の隠し場所が天道の寺だった。黒幕は他にいる。手下も、隠し場所も、まだ。オレとお前はムカデの足を一本むしったにすぎない。頭を潰さなければ」

直右衛、立ちあがる。

直右衛「世話になった。この礼はいつか。今はオレにかまうな」

藍九郎「かまうなと言われても、オレはお前を探して江戸まで来たんだ。直右衛」

ハッとする直右衛。

直右衛「どうして、オレの名を?」

藍九郎「琴吹誠一郎。オレの兄。お前は、オレの兄を殺した仇だ」

直右衛「!」

藍九郎「桜の刺青を持つ男、直右衛」

直右衛「オレが……」

藍九郎「覚えてる? 兄を殺したこと。お前を斬らないと、オレの仇討ちは終わらない。兄の墓がある実家にも帰れない」

直右衛「……悪いが、覚えていない」

藍九郎「人を殺して、覚えていない?」

直右衛「オレは、そういう男だ」

藍九郎「……参ったな。ただですら剣術は苦手なのに、お前ほどの使い手に刀で挑んで勝てる気がしない」

直右衛「なぜ、オレがここで眠っているあいだに殺さなかった?」

藍九郎「直右衛の刺青をよく見た。何かが違う気がして。オレが覚えてるのと、どこかが違う」

直右衛「あぁ? お前、バカか。オレを殺せばすむ話だろ。躊躇しないで殺せばいいものを、こんな、手当てまでして……」

藍九郎「もう遅いよ。直右衛は起きちゃったし、今となっては倒しようがない。ケガしてても、直右衛はオレより強そうだし」

直右衛、座る。

直右衛「オレが仇なら、斬られてやる」

藍九郎「え?」

直右衛「逃げも隠れもしない。これが終わったら、オレはお前に斬られてやる。だから、頼む。今は少しだけ時間をくれ。オレにも仇がいる。そいつをこの手で殺すまで!」

藍九郎「お前にも、仇が?」

直右衛「今はまだ、死ねない」

藍九郎「そいつの名は?」

直右衛「お前を巻き込むつもりはない」

藍九郎「うそじゃないなら話せるだろ?」

直右衛「お前」

藍九郎「それとも、ごまかして逃げる?」

直右衛「……ちっ」

 

○銭湯・男湯

直右衛の声「オレの仇は」

首まで湯につかっている春梅紅(50)。上機嫌で鼻歌をうたう。

半裸の湯女が声をかける。

湯女「お背中、お流ししましょうか?」

少しふりむく春梅紅。

春梅紅「頼もうか」

 

○元の長屋・藍九郎の部屋

直右衛「背中に、梅の刺青がある男」

藍九郎「梅?」

直右衛「あぁ。大輪の梅だ」

 

 

○元の銭湯・男湯

立ちあがる春梅紅。

背中から両腕にかけて、立派な梅の刺青がある。

直右衛の声「あいつの名は、春、梅、紅と書いて、春梅紅」

 

○元の長屋・藍九郎の部屋

直右衛「春梅紅は裏の名だ。表の名は、薬種問屋、空木屋亀兵衛。長崎で商いをはじめて、江戸に本店をかまえたが、江戸に来てまだ日が浅い」

藍九郎「長崎はオレの故郷だ」

直右衛「オレの故郷でもある。……故郷と呼べる場所があるならな」

 

 

○元の銭湯・男湯

湯女に背中を流してもらう春梅紅。

その背後に、竜胆が控えている。

竜胆のすねに、竜胆の花の刺青がある。

竜胆「雛芥子が桜にやられました。柳風寺に隠していた品々は、散り散りに」

春梅紅「雛芥子、生きるのに飽きたか」

竜胆「天道はいかがいたしましょう? 今回の一件、寺社奉行はお咎めなしとの動き。女子供はすでに消えたあと。残った雛芥子の死体は自害したものとして、あの坊主、沙汰を金で買ったのでございましょう」

春梅紅、ふっと笑う。

春梅紅「黄金は人を腐らせる」

春梅紅、何度か舌を打ち鳴らす。

春梅紅「消せ」

湯女が春梅紅の背に湯を流す。

春梅紅「あぁ。極楽。気に入った」

春梅紅、湯女を抱き寄せる。

春梅紅「お前も洗ってやろう」

湯女「きゃあ、うふふ」

春梅紅「膝に乗れ」

じゃれ合う春梅紅と湯女。

竜胆の姿はもうない。

 

 

○柳風寺・一室(夜)

ろうそくが灯っている。

ふっと揺れる炎。

ぶつぶつ言いながら揺れている天道。

天道「終わりだ。終わりだ。私も殺される」

その背後に竜胆が立っている。

竜胆「念仏は唱え終わったか? 天道」

天道がふりむいて竜胆を見る。

覇気のないボーっとした表情。

竜胆「頭に刺さった針を奥まで差し込め」

天道の頭に数本の針が刺さっている。

天道は言われた通りにする。

竜胆「着物を脱ぎ、破いて丈夫な縄をなえ」

着物を脱ぎだす天道。

 

×   ×   ×

 


翌朝。

小坊主の声「天道様。天道様? 失礼いたします」

ふすまを開ける小坊主。

小坊主、その光景に尻もちをつき、悲鳴をあげる。

裸で首を吊って死んでいる天道。

口から紫色の舌が長く伸びている。

 

 

○小春の茶屋・店先

藍九郎と直右衛が立っている。

藍九郎「小春、紹介するよ。この人は氷十見直右衛。オレがずっと探してた仇」

お盆を抱きしめている小春。

小春「え」

藍九郎「見つけたんだ。桜の刺青の男」

小春「えええぇーっ!」

藍九郎「直右衛もたまに、ここで食べてたらしいよ。そういえば、一度、ここから飛び出して行ったよね」

小春「ちょ、ちょ、ちょ、ちょちょちょちょ!」

小春、藍九郎を店のかげに引っぱる。

声を殺す小春。

小春「藍九郎様! こ、これって、どういう流れなんですか! 仇に出会ったら問答無用で斬り合いになるのが仇討ちでしょう? 二人して一緒にお団子食べに来るなんて、和気あいあいして、どうするんですか! お友だちじゃないんですよ、お友だちじゃあ!」

藍九郎「別に、和気あいあいしてるわけじゃ」

小春「してますよ、和気あいあい! 二人してぶらぶら歩いてきて、何かと思えば! 団子とお茶、じゃないですよ! 藍九郎様、しっかりしてください! やるなら今ですよ、相手が油断してるうちに、ズバッと一突きに! ズバッと!」

直右衛「聞こえてるんだが」

小春「きゃあ!」

藍九郎「それが、何ていうか、できなくて」

小春「はぁ?」

藍九郎「実力的にも、気分的にも」

小春「何、言っているんですか、藍九郎様! 仇にめぐりあえるなんて、本当にないことなんですからね! この機を逃したら、もう二度とないかも、いえ、絶対ないと思います! 逃げられますよ! 今、ズバッと行くべきですよ、ズバッと!」

咳払いする直右衛。

小春「きゃっ」

小春、藍九郎のかげに隠れる。

藍九郎「小春、頼みがあるんだ。オレが戻るまで、直右衛と一緒にいてほしい」

小春「人殺しと一緒に、ですか!」

藍九郎「まだ、ズバッとは行けないんだけど、オレの留守に逃がしたくもないから、一応、見張りを」

小春「あの人は、藍九郎様のお兄様を殺した人なんですよ! 憎くないんですか!」

藍九郎「それが……。うん」

小春「うん。って」

藍九郎「うまく、憎めないんだ」

小春「藍九郎様……」

藍九郎「自分でもわからない。何かが引っかかるんだ。おかげで昨日も眠れなかった」

席に座る直右衛。

直右衛「どこかに用があるなら、さっさと行ってこい。何でもいいから、団子と茶を」

前かけをした、ねねが来る。

ねね「はい。お団子とお茶ですね」

藍九郎「この子は」

小春「ねねちゃん。ほら、志乃さんの妹の」

ねね「藍九郎様、直右衛様も、その節は助けていただいて、ありがとうございました!」

藍九郎「あ、いや。オレが助けたわけじゃ。直右衛がね」

直右衛「オレは関係ない」

小春「三浦さんから聞いたんです。ねねちゃん、行くところがなくて、道で困ってたって。それで、うちで預かって、住み込みで働いてもらうことにしたんです」

ねね「小春お姉さんには本当によくしていただいて、感謝してもしきれないくらい」

ねね、涙目になる。

藍九郎「小春。ありがとう」

小春「そんな。ほら、お店も忙しいから、人手がほしくて、ちょうどよかったんです」

藍九郎「本当に、ありがとう」

藍九郎に手を取られて、照れる小春。

咳払いする直右衛。

直右衛「のどが渇いたんだが」

ねね「ただいま、お茶とお団子を、お持ちします」

藍九郎「じゃあ、行ってくる」

小春「早く戻ってくださいね、藍九郎様」

藍九郎「そんなに警戒しなくても、悪い人じゃなさそうだよ」

小春「何、言ってるんですか、んもう!」

小春、声を殺す。

小春「きっと、極悪人ですよ。極、悪、人!」

直右衛「聞こえてる」

小春「きゃあ!」

藍九郎、笑い、手をふって立ち去る。

 

 

○日本橋の大通り

人でにぎわう町。

「薬種 空木屋」の看板がかかった大店。

それを見上げる藍九郎。

藍九郎「薬種問屋、空木屋」

藍九郎、白い日よけのれんをよけて、店に入る。

 

 

○薬種問屋「空木屋」・店内

壁一面に薬の引き出しがある。

店には客が多く、繁盛している。

店内を見回す藍九郎。

ガラスがはめられた棚に、西洋のガラスの小ビンが並んでいる。

それを見る藍九郎。

店の手代が来る。

手代「いらっしゃいまし。何をお探しで?」

藍九郎「ラベンデュラを」

手代「ラベンデュラ……。少々、お待ちを」

お辞儀して店の奥に行く手代。

春梅紅が出てくる。

手代が藍九郎のところまで春梅紅を案内して、一礼して去る。

春梅紅「あなた様でございましょうか。ラベンデュラをお探しのお客様は」

藍九郎、春梅紅の迫力に気圧される。

藍九郎「は、はい」

春梅紅「症状は?」

藍九郎「え?」

春梅紅「お困りの症状は、どのような?」

藍九郎「眠れなくて」

春梅紅「それで、ラベンデュラを?」

藍九郎「不眠に効くと聞いたもので」

春梅紅「なるほど。失礼」

春梅紅がぐっと顔を近づけ、藍九郎の目をのぞき込む。

藍九郎、息が止まる。

春梅紅「失礼ながら、お客様は過去に、目に傷を受けたことが?」

藍九郎「あります」

春梅紅「なるほど。それで。おもしろい瞳をしていらっしゃる。ひどく興奮すると、こちらの瞳が赤くなることがあるのでは?」

藍九郎「え?」

春梅紅「おそらく、その傷が原因で、血潮の赤が透けて見えるのでしょう」

藍九郎「そんなこと、今まで言われたことも、なったこともありません」

春梅紅「それは、失礼を」

藍九郎「あなたは」

春梅紅「空木屋亀兵衛、この店の主でございます」

藍九郎、ごくりと唾を飲む。

藍九郎「店主、直々とは」

春梅紅「ラベンデュラは、それだけ貴重な薬なのでございます」

春梅紅、懐からガラスの小ビンを取り出す。

春梅紅「そちらの棚は見せ物でして、中身は水。こちらが本物のラベンデュラでございます」

それに手を伸ばす藍九郎。

春梅紅が小ビンを引っ込める。

春梅紅「少々、値がはることは、ご承知で?」

藍九郎「買う前に、香りを確かめたい」

春梅紅「お目が高い」

春梅紅、小ビンのふたを開け、藍九郎に渡す。

春梅紅「とくと、お確かめください」

藍九郎、小ビンを受け取る。

春梅紅「うちで扱うラベンデュラは、本場エゲレスにて精製した油をそのままに輸入してございます。ラベンデュラの花の盛りに美しいものだけを摘み取り、絞って油を取り出す。それゆえ、香りも高く、効能もお墨付きでございます」

小ビンに鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ藍九郎。

藍九郎「!」

目を見開く藍九郎。

その片目の色が変わっていく。

黒から濃い赤へ、じわじわと。

春梅紅がほほ笑む。

春梅紅、さっきの手代に、

春梅紅「鏡を」

手代「ただいま」

手代、手鏡を持ってくる。

春梅紅、それに藍九郎をうつす。

春梅紅「瞳を、ごらんください」

藍九郎、鏡を見る。

片目が赤くなっている。

藍九郎「!」

小ビンを落とす藍九郎。

その小ビンをつかむ春梅紅。

春梅紅「扱いは、丁寧に」

藍九郎「め……、目が!」

春梅紅「ラベンデュラの香りが、よほどのこと効いたようでございますね」

藍九郎、気が動転する。

片目を押さえ、走って店を出る。

それを見送る春梅紅。

春梅紅「……ラベンデュラで赤くなる瞳、か」

春梅紅、ふふと笑う。

春梅紅「八十吉」

春梅紅のそばに控える竜胆。

竜胆「はい、旦那様」

春梅紅「使いに出てくれるか」

竜胆「お申しつけください」

春梅紅「どうしても、手に入れたい品がある」

 

 

○通り

目を押さえて走る藍九郎。

息があがる。

それでも、夢中で走り続ける。

藍九郎「兄上様! オレは、オレは!」

 

 

○(回想)琴吹家屋敷・一室

庭に面した一室。

折り紙を折っている藍九郎(16)、目にケガはない。

折り紙を組み立てて手毬を作る。

藍九郎「完成!」

 

○(回想)同・煮炊き場

折り紙の手毬を持ってくる藍九郎。

女中が数人、働いている。

女中「あれま、藍九郎様。こんなところへ、何のご用で?」

藍九郎「十夜子は?」

女中「十夜子でございますか? ついさっき、藪入りのおヒマをいただいて実家に帰ったところでございますよ」

藍九郎「帰った? 手毬をやると約束したのに」

女中「十夜子はもう、十五でございますよ。折り紙などで気を引くことはできません」

藍九郎「でも、これはすごいだろ?」

女中たちに手毬を見せる藍九郎。

女中「なんとまぁ、複雑な」

藍九郎「苦労したんだ」

女中「すごいすごい。ご立派でございます」

女中たちが笑う。

藍九郎「む」

 

 

○(回想)同・厩付近

歩く藍九郎。

藍九郎「十夜子がいなければ、遊び相手にも事欠くか、オレは」

手毬を宙に投げて遊ぶ。

馬を引いて来る誠一郎。

誠一郎「藍九郎」

藍九郎「兄上様」

誠一郎「何を持っている。美しい鞠だな」

藍九郎「十夜子に渡そうと折ったのですが、すでに実家に帰ったと。渡しそびれました」

誠一郎「藪入りか。焦らずとも、明日には戻るだろう?」

藍九郎「そうですが」

誠一郎「今から馬で追えば、道中、追いつくのではないか?」

藍九郎「え?」

誠一郎「ちょうどいい。これから遠乗りにでも出かけようかと思っていたところだ。付き合え、藍九郎!」

藍九郎「はい! 兄上様!」

 

 

○(回想)長崎湾が見える丘

馬で駆ける誠一郎。

誠一郎「藍九郎、来い!」

もたもたと走る藍九郎の馬。

藍九郎「行きたいのは、やまやまなのですが」

乗馬が下手な藍九郎。

藍九郎「とや、せい! 走れ!」

馬がブルルと首をふる。

苦笑する誠一郎。

誠一郎「馬になめられているな」

藍九郎「まるで言うことを聞きません」

誠一郎「縄をかけて引いてやろう」

藍九郎のそばに馬をやる誠一郎。

藍九郎「情けない」

誠一郎「気にするな。馬にも相性がある」

藍九郎「兄上様、あの煙は?」

誠一郎「?」

誠一郎、見ると、むこうの空にもうもうと煙があがっている。

藍九郎「あの方角は、十夜子の家では」

誠一郎「藍九郎! 悪いが先に行くぞ!」

馬を駆ける誠一郎。

藍九郎「兄上様、オレも! 行け! 走れ、走れってば!」

藍九郎、馬の腹を蹴るが、馬は道草を食べている。

藍九郎「あぁ、もう!」

藍九郎、馬から飛び降りて、自分の足で走りだす。

 

 

○(回想)十夜子の家・外

火がついて燃えている民家。

空に黒煙があがる。

馬で駆けつける誠一郎。

誠一郎「十夜子! 十夜子はいるか!」

誠一郎、馬から飛び降り、燃える家に入る。

 

○(回想)同・中

炎が包む部屋。

一家が殺されて死んでいる。

誠一郎、息を飲む。

誠一郎「これは!」

炎のむこうに十夜子(15)を担いだ春梅紅(43)がいる。

縛られ、猿ぐつわを咬まされた十夜子が何か叫んでいる。

誠一郎「十夜子!」

春梅紅「邪魔が入ったな」

誠一郎「貴様、何者だ! 十夜子を返せ!」

抜刀する誠一郎。

春梅紅、十夜子を床に降ろす。

懐からピストルを取り出し、誠一郎にむける。

十夜子が叫ぶ。

十夜子「(誠一郎様!)」

春梅紅が発砲する。

誠一郎の前に走り込んだ十夜子が、代わりに撃たれる。

誠一郎「十夜子!」

崩れ落ちる十夜子。

抱きとめる誠一郎。

十夜子は涙を流す。

誠一郎、十夜子の猿ぐつわを取る。

十夜子「誠一郎、様……、お逃げ、くだ、さ……」

十夜子、息絶える。

春梅紅「あぁ。せっかくの上物が」

誠一郎「貴様、よくも!」

春梅紅、ピストルを誠一郎にむける。

春梅紅「悪いが、お前の相手をしているヒマはない。この家は今にも焼け落ちる」

春梅紅に斬りかかる誠一郎。

春梅紅「おっと」

よける春梅紅。

着物の胸もとが切れる。

切れた懐から落ちるガラスの小ビン。

床で割れ、中の液体がこぼれる。

春梅紅「あぁ。もったいない」

藍九郎の声「兄上様! 十夜子!」

駆けつけた藍九郎、見る。

春梅紅が誠一郎にピストルをむけ、撃ち殺す。

眉間を撃たれて倒れる誠一郎。

藍九郎の時が止まる。

藍九郎の手から落ちる折り紙の手毬。

床に倒れて死んでいる一家。

そして、十夜子。

誠一郎。

手毬に火が燃え移り、焼けていく。

袖に火がついた着物をはだける春梅紅。

その背中に梅の刺青がある。

藍九郎「貴様ぁあ!」

藍九郎、抜刀して春梅紅にむかう。

その横から瞬時に刀を突きだす直右衛(18)。

藍九郎、床の油に足を滑らせる。

直右衛の刀で藍九郎は両目を斬られるが、足が滑ったおかげで傷は浅い。

床に倒れて両目をおおう藍九郎。

藍九郎「目が! 何をした、貴様、何者だ!」

春梅紅、直右衛に、

春梅紅「直右衛」

直右衛、黙ってうなずく。

立ち去る春梅紅。

直右衛、藍九郎を見下ろす。

藍九郎の両手が血でぬめる。

直右衛、藍九郎をしたたかに蹴る。

藍九郎「ぐ!」

床を転げる藍九郎。

直右衛、藍九郎を蹴り続け、逃げる藍九郎を裏口へと導く。

 

 

○(回想)同・外

炎に崩れ落ちる家。

それを眺める春梅紅と直右衛。

春梅紅「ガキは始末したか?」

直右衛「長居は無用だ」

春梅紅、くっくと笑う。

春梅紅「相変わらず、血も涙もない。それでこそ、春梅紅の後を継ぐ男だ。桜」

直右衛「オレを桜と呼ぶな」

春梅紅「おっと、そうだったな。直右衛」

 

×   ×   ×

 



裏口に倒れている藍九郎。

見えない目で空をあおぐ。

藍九郎「……なおえ? 刺青、あの刺青は、桜? ……桜の刺青! 直右衛!」

 

○長屋・藍九郎の部屋(夜)

暗い部屋。壁にもたれ、うつむき、片膝を抱いている藍九郎。

直右衛が来る。

直右衛「帰ってたのか、藍九郎。いつまで経っても、茶屋に戻らないから探したぞ」

藍九郎は返事をしない。

直右衛「どうした?」

顔をあげる藍九郎。

泣いている。

その瞳は、片方、赤い。

直右衛「その目……!」

藍九郎「わかったんだ。ラベンデュラの匂い。いつ、どこで知ったのか。兄上様が殺されたとき、オレが、この目を斬られたとき、床で足を滑らせた。あの床に、ラベンデュラの油がついてたんだ」

直右衛「!」

藍九郎「花びらは、どちらも五枚。でも、梅は丸くて、桜には先端に切れ込みがある。梅の花は枝に咲く。桜は枝から離れて咲く」

直右衛「何の話だ?」

藍九郎「桜と梅の違いだよ」

藍九郎、懐から浮世絵を出して床に置く。

くしゃくしゃになった二枚の絵。

片方は人物と一緒に梅の花が、もう片方には桜の花が描かれている。

藍九郎「あの頃は知らなかった。梅を見ても桜に見えた。でも、今ならわかる。見間違えたんだ。オレは誤解してた。兄上様の仇は、桜の刺青の男じゃない!」

直右衛「藍九郎……」

藍九郎「お前はオレの仇じゃない、直右衛。兄上様を殺したのは、背中に梅の刺青を持つ男。直右衛が追う男と同じ。春梅紅だ!」

直右衛「!」

藍九郎「オレは、あのときも、お前に命を救われたんだ。そうだろ? 直右衛。あのとき、お前も、あの炎の中にいた。春梅紅はお前を呼んだ。直右衛って」

直右衛「藍九郎、その目、どうした?」

藍九郎「わからない。急にこうなった」

直右衛「治るのか?」

藍九郎「わからない。わからない。どうしたらいいのか、わからないよ!」

直右衛、藍九郎の隣に座る。

藍九郎「直右衛?」

直右衛「物心ついたときから、オレは春梅紅の手下だった。背中に桜の刺青。オレの裏の名は、桜だった。人を殺して、女子供をさらって、長崎から外国船に乗せて売り飛ばす。数えきれないほどの罪を重ねてきた。それ以外に、生きるすべを知らなかった。あるとき、知った。仲間の誰かが言っているのを聞いた。オレも、春梅紅に連れ去られた子供の一人だと」

藍九郎「!」

直右衛「オレは自分の家族を覚えていない。でも、どんな風にみなが死んだのかはわかる。何度も見てきた。オレがこの手で葬ってきた家族と同じだ。涙を流して、命乞いをして、我が子を守ろうとする。きっと、そんな家族がオレにもいた。それを思ったら、オレは仕事に嫌気がさした。オレは人殺しだ。春梅紅がさせたことだとしても、この手に染みついた血はぬぐえない。裁きは受けるつもりだ。でも、あいつを、春梅紅を野放しにしたまま朽ち果てるつもりはない。あいつは仇だ。オレの、記憶にない家族の。他にも、何十人、何百人もの、罪のない人々、みなの仇だ!」

藍九郎「……」

直右衛「死ぬのは怖くない。でも、オレが死んだら、お前の仇討ちができなくなる。だから、藍九郎、一緒に生き残るんだ。そして、最後の最後に、お前は……」

藍九郎「?」

直右衛「オレを斬れ」

藍九郎「!」

直右衛「それでお前は、仇討ちから解放される」

藍九郎の瞳の赤が、だんだんと黒に戻っていく。

藍九郎「直右衛」

直右衛「あ?」

藍九郎「……この、バカ」

藍九郎、泣き、笑う。

直右衛「そうだな」

直右衛も、ふっと笑う。

直右衛「オレはバカだ。つける薬もない。目の色が戻ったな」

藍九郎「え、本当に?」

直右衛「両目とも黒い。いつものお前だ」

藍九郎「よかった! これから、どうしようかと思ったよ!」

急に直右衛が殺気立つ。

藍九郎「直右衛?」

直右衛「ふせろ、藍九郎!」

藍九郎を押し倒す直右衛。

壁に数本の針が刺さる。

藍九郎「針?」

戸口にむかって走りだす直右衛、抜刀。戸を蹴倒して外に出る。

藍九郎「うわ、うちの戸が!」

直右衛「竜胆!」

外に竜胆がいる。

竜胆「気配は消したつもりだったが」

直右衛、竜胆に斬りかかる。

それを素早くよける竜胆。

プッと口から針を飛ばす。

それを叩き斬る直右衛。

直右衛「効くか!」

竜胆「重々、承知」

竜胆、藍九郎の部屋に飛び込む。

藍九郎「え?」

直右衛「藍九郎!」

竜胆、藍九郎にむかって針を飛ばす。

藍九郎の首に針が刺さる。

藍九郎「いだ!」

藍九郎、それを引き抜く。

立て続けに針を飛ばしてくる竜胆。

藍九郎、とっさに傘をつかんで開く。

傘を突き抜けて針が藍九郎に刺さる。

藍九郎「いた、いたた、痛い痛い!」

直右衛、竜胆に斬りかかる。

直右衛「よそ見をするな、竜胆!」

竜胆、それをよける。

竜胆「桜、狙いはお前じゃない。そこにいる、赤目の男だ」

直右衛「何? なぜ!」

竜胆「親分の食指が動いたのさ」

直右衛「春梅紅が藍九郎を知るはずない!」

藍九郎「……昼に、空木屋に行きました」

直右衛「あ?」

藍九郎「春梅紅に会って、ラベンデュラの匂いを嗅いだ。それで、むかしの記憶がよみがえって」

絶句する直右衛。

直右衛「この……、大バカ!」

竜胆「無論、桜も親分のお気に入りのままだ。親分は今でも、お前を店に戻したいと言っている。おとなしく戻れ」

直右衛「笑止!」

直右衛、竜胆を牽制し、藍九郎の手を引いて外に出る。

 

○同・どぶ板通り(夜)

藍九郎を背後にかばって立つ直右衛。

藍九郎の部屋から竜胆が出てくる。

竜胆「そいつをかばいだてしてどうする」

直右衛「悪いな、オレはこいつに約束した。この命をくれてやるとな」

竜胆「バカなことを」

直右衛「藍九郎、竜胆は針に毒を仕込んでいるわけじゃない。針の打ちどころを見極めて打ってくる。お前は、そうして傘に隠れてろ!」

藍九郎、傘を落とす。

直右衛「おい!」

藍九郎「手が、しびれて」

直右衛「ちっ!」

直右衛、藍九郎の手をつかみ、走りだす。

藍九郎「直右衛!」

直右衛「おしゃべりはあとだ!」

藍九郎「すぐ先に川がある。川に飛び込むんだ!」

直右衛「あ?」

藍九郎「水の中なら、飛んでくる針が遅くなる。勢いが殺されて、当たらなくなる!」

竜胆「こざかしい!」

二人を追う竜胆、プッと針を飛ばす。

藍九郎「いで! あ、あれ?」

足がもつれる藍九郎。

藍九郎「直右衛、足が」

直右衛「どこまで世話の焼ける!」

直右衛、藍九郎を背負って走る。

直右衛「そもそも、お前は足が遅すぎる! この方がよっぽど速い!」

藍九郎「……すみません」

 

 

○川にかかる橋(夜)

走ってくる直右衛。

背負われたままの藍九郎。

藍九郎「あの川に竜胆を突き落して、水中で戦えば、勝算はこっちにある!」

直右衛「簡単に言ってくれる!」

藍九郎「直右衛なら簡単だろ?」

直右衛「お前がいなければな!」

直右衛、藍九郎を川に投げ落とす。

藍九郎「わ!」

川に落ちる藍九郎。

直右衛も続いて飛び込む。

川面に水柱が立つ。

竜胆、走ってきて、橋の上から川をのぞく。

竜胆「飛び込んだか!」

直右衛の声「あいつはな」

橋にぶら下がっていた直右衛が、下から竜胆のノドを刀で突き刺す。

竜胆「!」

直右衛「地獄で待ってろ、竜胆!」

直右衛、橋を蹴って弾みをつけ、竜胆と一緒に川に落ちる。

水しぶきがあがる。

 

○川(夜)

流れる暗い水の中。

きらきらと無数に光る針。

その中で戦う直右衛。

直右衛、竜胆の首に刺さった刀をねじって、竜胆の首をはねる。

竜胆は体と首、二つに分かれて、流され、沈んでいく。

直右衛、水面に出て、藍九郎を探す。

直右衛「藍九郎!」

藍九郎の姿はない。

一方、水中を沈んでいく、藍九郎。

藍九郎の声「体が、動かない。手も、足も」

口から泡がもれていく。

藍九郎の声「まさか、これで、終わり?」

(フラッシュする過去)

炎の中、誠一郎が春梅紅に撃ち殺された瞬間。

藍九郎の声「兄上様」

桜が舞う夜に、誠一郎がほほ笑んだこと。

誠一郎の声「藍九郎」

優しく響く、兄の声。

焼けていく折り紙の手毬。

藍九郎の声「オレは、このまま、何の役にも立たないまま、終わるの?」

(フラッシュ終わり)

藍九郎の声「イヤだ!」

藍九郎の口から大きな泡が出る。

動かない手足で、もがく藍九郎。

藍九郎の声「そんなのはイヤだ! 生きて、生きて、オレは仇を討つ!」

泳いでくる直右衛。

藍九郎、直右衛にむかって手を伸ばす。

藍九郎の声「直右衛!」

水面に顔を出す藍九郎と直右衛。

藍九郎「ぷはぁ!」

直右衛「藍九郎!」

藍九郎「はぁ、はぁ、はぁ! 直右衛!」

直右衛「つかまれ、岸まで泳ぐ!」

藍九郎「つかまれって言ったって、手が、しびれて!」

直右衛「川の流れが速い! 急がないと底に引きずり込まれるぞ!」

藍九郎「えぇえ!」

三浦の声「藍九郎? そこにいるのは、琴吹藍九郎か?」

ハッとして、声の方を見る藍九郎と直右衛。

近くに明るい屋形船が来ている。

窓辺にキツネの面をつけた男がいる。

煙草を手に持った男が面を外す。

それは三浦。

藍九郎「み、三浦さん?」

三浦「よぉ、藍九郎。そんなところで何してる? こんな時分に水浴びか?」

 

 

○小春の茶屋・店先

ねね、客にお茶と団子を出す。

ねね「お茶とお団子、お待たせしました」

他の客が呼ぶ。

客「こっちにも頼むよ」

ねね「はぁい、ただいま!」

小春の声「狂歌の歌詠みの会合ですか?」

座っている藍九郎と直右衛、小春。

小春「もちろん、知ってますよ。五、七、五、七、七、で、ちょっぴり皮肉が効いた歌を詠む会です。しゃれた大人のお遊びですよ」

藍九郎「それに、三浦さんが夢中らしい」

小春、くすっと笑う。

小春「気に入った人でも、お仲間にいるんじゃないですか? 狂歌の会合といえば、お侍様も、町人も、わけへだてなく集まります。吉原の遊女だとかも」

藍九郎「商人も?」

小春「もちろんです。誰でも、立場や歳に関わらず参加できるのが人気の秘訣ですよ。お仲間から声がかかれば、ですけどね。狂歌蓮といって、お決まりの仲間内でやってますから、参加するには誰かしらの紹介がいると思います」

藍九郎「ふぅん。そっか」

藍九郎、立ちあがる。

直右衛「藍九郎。何を考えてる?」

藍九郎「直右衛、言ってたよね。奴のまわりには、いつも何人もの手下がついていて、奴を守ってるって」

直右衛「あぁ。そう簡単に手出しはできない。だから、手下から消していくしかない」

藍九郎「ちょっと、番所に行ってくる」

小春「三浦様の狂歌蓮に入れてもらうんですか?」

藍九郎「まさか、違うよ。オレには歌を詠む才能なんてない」

立ちあがる直右衛。

藍九郎「直右衛も行くの?」

直右衛「門前までな。番所は苦手だが」

藍九郎「だったら、ムリしなくても」

直右衛「お前、春梅紅に狙われてるのを忘れたのか?」

藍九郎「あ」

直右衛「あ。って」

藍九郎、苦笑いする。

直右衛「このバカ」

 

○町奉行所・門前

壁に寄りかかって待つ直右衛。



○同・一室

藍九郎、三浦、十三がいる。

三浦「うちの狂歌蓮に?」

藍九郎「勧めたい人がいるんです」

三浦「何を言いに来たかと思えば。誰だ? 気の利いた奴なんだろうな?」

藍九郎「長崎から来た薬種問屋の旦那です。名前は、空木屋亀兵衛」

三浦「空木屋亀兵衛? 聞いたことあるか?」

十三「いえ」

藍九郎「長崎といえば、オレの故郷です。江戸に比べれば、小さいけど、負けないくらい、にぎやかな町で、舶来の物も多いし、海のむこうの珍しい話も伝え聞きます。おもしろい町なんです」

十三「空木屋亀兵衛、調べますか?」

三浦「いや、いい。が、一度、店をのぞいてみる価値はありそうだな。藍九郎、お前の知り合いか?」

藍九郎「いえ。知り合いというワケでは。長崎と聞いて懐かしくなって、先日、ふらっと店に入ってみたんです。そこの旦那がしゃれた人だったのを思い出して」

三浦「ほぉ」

藍九郎「このあいだ、川でおぼれてたのを拾ってもらった礼に、なりますか?」

三浦、にっと笑う。

三浦「それは、空木屋次第だな」

 

 

○同・門前

中から出てくる藍九郎。

それを見送る十三。

待っている直右衛。

藍九郎「お待たせ」

直右衛「終わったか」

藍九郎「これで、手下は全員、始末したよ」

直右衛「あ?」

十三「あぁ、あなた様は!」

十三、直右衛に頭を下げる。

十三「その節は」

藍九郎「二人、知り合い?」

十三「このお方が、すすきが池の志乃を見つけて届けてくださったんですよ」

藍九郎「え?」

十三「お二人こそ、お知り合いでございましたか」

直右衛「行くぞ。藍九郎」

藍九郎「ん、まぁ、わりと最近ね。じゃあ」

十三、お辞儀をして二人を見送る。

歩いていく藍九郎と直右衛。

藍九郎「また、謎が一つ解けた」

直右衛「あ?」

藍九郎「これで、少しは眠れるよ」

直右衛「他には、何が気になる?」

藍九郎「次の狂歌の会合。いつ、どこで、やるんだろう?」

 

 

○絵草子屋・店先

にぎわう通り。

大きな絵草紙屋の店先でたくさんの浮世絵を売っている。色とりどりの美人画や役者絵。

ねねがはしゃぐ。

ねね「見てください、藍九郎様! 浮世絵がこんなに、いっぱい!」

付き添いで来た藍九郎と直右衛。

藍九郎「よかったね、ねね」

ねね「小春お姉さんがお給金をくださったおかげです。二枚、ううん、三枚も買えます!」

藍九郎「ねねは、どんな絵が好き?」

ねね「それはもう、役者絵です! 幸四郎様! あぁ。いつか、幸四郎様の歌舞伎を見に行ってみたい」

藍九郎「そのはしゃぎっぷりだと、生の幸四郎を見たら気を失ってしまいそうだね」

ねね「そしたら、すぐに起こしてくださいね、藍九郎様!」

藍九郎「オレも行くことになってるの?」

ねね、夢中で絵を選ぶ。

ねね「これと、これと、これも素敵! でも、こっちもいいなぁ。迷っちゃいます!」

直右衛「藍九郎。子守りに来たわけじゃないぞ」

藍九郎「わかってる。じっくり選んでいいよ、ねね」

ねね「はい! 藍九郎様!」

店の奥に行く藍九郎と直右衛。

店番がいる。

店番「いらっしゃいませ。本をお探しで?」

藍九郎「うん。狂歌のネタになりそうな本を探しに来たんだけど、何かいいの、ある?」

店番「狂歌でございますか?」

藍九郎「そう」

店番「お待ちくださいませ」

店番が奥に行く。

直右衛「藍九郎、お前、意外と」

藍九郎「ん?」

直右衛「しゃあしゃあとうそをつくな」

藍九郎「ときと場合によってね」

奥から旦那が出てくる。

旦那「お待たせをいたしました。狂歌のネタをお探しだとか」

藍九郎「そうそう」

旦那「お客様方は狂歌を詠まれるのですか?」

藍九郎「趣味でね」

直右衛「それが?」

旦那「奇遇でございますね! 私も狂歌連に属しておりまして。何冊かオススメの本がございますよ。ちなみに、お客様方はどちらの連でございますか? 私の連はですね、これが、曲者ぞろいでございまして」


 

○小春の茶屋・店先

ねね、うれしそうに役者絵を見せる。

ねね「小春お姉さん、見てください! 幸四郎様が、四枚も買えたんですよ! このツンとしたお鼻が、しびれるんですぅ!」

席に座っている藍九郎と直右衛。

お盆を抱えている小春。

小春「よかったね、ねねちゃん」

ねね「一枚、おまけしてもらったんです。藍九郎様と直右衛様が、お店の旦那さんと話が弾んで」

小春「そんなに何を話してきたんですか?」

藍九郎「ちょっとね」

直右衛「それにしても、藍九郎、あの店が三浦の狂歌蓮の仲間だと、よく知ってたな」

小春「それは、私とねねちゃんが調べたんです。ね? ねねちゃん?」

ねね「藍九郎様と直右衛様のお役に立てるなら、ねねは何でもします!」

藍九郎「ありがとう、二人とも」

小春「飛び回る、小春とねねは、江戸すずめ、うわさをついばみ、チュチュんがチュン」

ねね「お上手です!」

小春「それで、次の狂歌の会はいつ、どこになったんですか?」

藍九郎「三日後、吉原。松乃屋」

小春「三日後……」

小春の表情が沈む。

小春「あと三日で、藍九郎様は本懐を遂げるんですね」

藍九郎「小春。心配いらないよ。こっちには直右衛がいるんだから!」

直右衛「他力本願か」

藍九郎「オレの剣の腕でピストルに勝てるわけないよ」

小春「ピストル?」

藍九郎「相手は短筒を使うんだ」

小春「飛び道具ですか?」

藍九郎「うん」

小春「そんな! 卑怯です!」

直右衛「あれは世界にたった一つのピストルだ。プロイセンの最新式を職人に改造させた。装填は六発。連射式」

小春「何の話か、わかりませんけど、とにかく銃ということは、わかりました」

直右衛「それで。春梅紅は松乃屋に来るんだろうな?」

十三の声「春梅紅?」

十三が来る。

藍九郎「あ、十三」

十三「みなさんで、何のお話でございますか?」

藍九郎「いや、大した話じゃないんだ。三浦さんは?」

十三「今日は、私一人で参りました。使いでございますよ。空木屋亀兵衛が、三浦様の誘いを受けまして、次の狂歌の会合に参加することになりました。それを藍九郎様にお伝えに」

藍九郎「そっか。よかった。ありがとう、十三」

小春「十三さん、お団子はいかが?」

十三「いえ、今日はこれだけでございますから、失礼をば」

一礼して立ち去る十三。

藍九郎、直右衛を見る。

藍九郎「三日後」

直右衛「吉原」

見つめ合う二人。

目に闘志が宿っている。

小春「の、前に」

小春が二人の前に立つ。

小春「お二人とも、羽を伸ばしませんか? 少し、肩の力を抜いて!」

 

 

○歌舞伎舞台

幸四郎が演目を上演している。

 

○同・客席

ねね、涙ぐんで感動している。

ねね「幸四郎様ぁ! あぁあ……」

気絶する、ねね。

ねねを起こす藍九郎。

藍九郎「ねね? ねね!」

ねね、気がつく。

ねね「あ。藍九郎様?」

藍九郎「これ、何回目?」

苦笑いする藍九郎。

一緒に座っている直右衛、小春。

小春がくすっと笑う。

小春、目元の涙をぬぐう。

それを見ている直右衛。

 

×   ×   ×

 

幕が閉じ、幕間。

立ちあがる直右衛。

直右衛「ねね、何か買ってやる。来い」

ねね「本当ですか、直右衛様!」

直右衛「はぐれるな。行くぞ」

ねね「はい!」

直右衛とねねが立ち去る。

残される藍九郎と小春。

二人、黙る。

藍九郎「小春」

小春「藍九郎様」

二人、同時に話しかける。

藍九郎「ごめん。小春から」

小春「いえ。藍九郎様から」

二人、黙る。

藍九郎「ありがとう。今日一日、普通の日を、オレたちにくれて。オレ、江戸が好きだよ。小春のおかげで、ここが好きになった」

小春、涙があふれる。

藍九郎「長崎から江戸に来てよかった。仇を見つけられたのも、そうだけど、何より、大切だって思える人に出会えた」

小春「藍九郎様。ご無事で。どうか、ご無事で、小春のもとにお戻りください!」

藍九郎、小春の手を握る。

小春、うつむき、泣く。

その雫が藍九郎の手に落ちる。

藍九郎「小春」

涙をぬぐう、小春。

小春「はい」

藍九郎「生きて戻る。必ず!」

小春、泣きながら笑顔を見せる。

小春「約束ですよ。藍九郎様」

藍九郎「うん」

二人、小指をからませて指切りする。

小春「終わったら、悪党退治の詳細、一番に教えてくださいね!」

藍九郎、苦笑する。

藍九郎「やっぱり、そこですか」

 

 

○吉原・大門(夜)

人でにぎわう夜の町。

満開の桜が、通りの真ん中にずらりと並んでいる。

照らし出された見事な夜桜。

 

 

○同・通り(夜)

目を奪われるような花魁道中。

紅色の傘。

華やかで凛とした花魁。

鈴の音。

独特な歩き方。

桜が舞う。

 

 

○同・「松乃屋」・外観(夜)

男女の笑い声が聞こえる。

 

 

○同・二階の一室(夜)

円座になって、頭に面をかぶっている男女。

お多福の面の花魁が座っている。

花魁「あちき抜きで船遊びとは、みなみなして、いけずでありんす」

キツネの面の三浦もいる。

三浦「だからこうして、今度は吉原に来たんじゃないか」

花魁「お昼になされば、揚げ代もかからないものを、なぜ、夜に?」

三浦「ぼんと金子を出した御仁がいてな」

花魁「どなたでありんす?」

三浦「みなに紹介したい」

三浦が男を指し示す。

翁の面を顔につけた春梅紅が座っている。

三浦「この方は、池野亀シャラ句斎さんだ」

その場の男女が笑う。

春梅紅、面をずらして、みなのように頭につける。

春梅紅「池野亀シャラ句斎と申します。江戸にはうとい田舎者でございますが、よろしうにお願い申しあげます」

春梅紅が手をついてお辞儀する。

ひょっとこの面をかぶった絵草紙屋の旦那もいる。

旦那「これはまた、しゃれた狂名だ。お名前をうかがうに、さぞかし、お詠みになる狂歌もしゃれが利いているに違いない」

春梅紅「そう持ちあげられては、お聞かせしにくくなりますな」

男女が笑う。

 

 

○同・隣室(夜)

腰の刀に手を添えて、ふすまのそばに控えている藍九郎と直右衛。

声をひそめる二人。

藍九郎「直右衛、覚悟はいいか?」

直右衛「藍九郎こそ、震えてるぞ」

藍九郎「怖くないと言えば、うそになる」

直右衛「お前はここで見ているだけでも」

藍九郎「そうはいかない。春梅紅はオレの仇」

直右衛「お前を死なせない」

藍九郎「自分の身は自分で守る。直右衛のお荷物にはならないよ」

直右衛「それが本当だったらな」

藍九郎「がんばる」

ふっと笑う直右衛。

藍九郎も笑う。

藍九郎「お前がいてよかった」

直右衛「おしゃべりは終わりだ」

二人、ふすまに手をかける。

直右衛「一」

藍九郎「二の」

二人、目配せをする。

十三の声「三と!」

別のふすまが勢いよく開く。

ハッとする藍九郎と直右衛。

見ると、十三が立っている。

藍九郎「十三?」

十三「ちょいと、お邪魔を」

藍九郎「どうして、ここに?」

十三「野暮用にて、お供で参りました」

藍九郎「三浦さんの?」

十三「三浦様は狂歌にお供は連れません」

藍九郎「じゃあ?」

笑う十三、その様子がいつもと違う。

直右衛「藍九郎」

直右衛、藍九郎をかばうようにして立つ。

十三がじゃらりと武器を出す。

それは鎖鎌。

藍九郎「十三?」

十三「桜の兄さん、お初にお名乗り申します。オレの名は柘榴。番所に出入りするお役目柄、刺青はここに」

十三、自分の頭を指さす。

十三「髪の中に隠してございます」

藍九郎「十三……!」

直右衛「春梅紅の手下だ」

十三「桜の兄さんが抜けたあとに、親分の盃を受けまして。兄さん、どうして、親分を裏切ったんですかい? 聞くに、本当の親子、いや、それ以上に可愛がられていたものを」

十三が鎖鎌を回しはじめる。

直右衛「下がってろ、藍九郎。悲鳴をあげるなよ、隣に聞かれる」

十三「桜の兄さんも、藍九郎様も、できれば無傷で生け捕りに。できなければ、多少の傷は目をつぶると親分より聞いております。どっこい、それもムリとあれば」

直右衛「殺してもかまわない、か」

十三「さすがは、兄さん」

刀を抜く直右衛。

十三「オレ一人に兄さんのお相手は荷が重い。ハナから殺しにかかりますが、どうかお許しを」

直右衛「四の五の言わずに来い! 柘榴!」

十三「合点、承知で!」

直右衛と十三の戦いがはじまる。

部屋の隅にはりつく藍九郎。

藍九郎「まさか、十三が!」

直右衛が優勢だが、十三の鎖鎌が直右衛の刀に巻きついて形勢逆転。

直右衛「く!」

十三、舌なめずりする。

 

 

○同・二階の一室(夜)

狂歌の会合。

三浦「何ぞ、隣が騒がしいような」

花魁「お隣を気にしちゃ、野暮でありんすよ」

旦那「その通り」

春梅紅「春うらら、今宵は暑しと、衣脱ぎ、どったんばったん、刺しつ刺されつ」

男女が笑う。

三浦「これは参った!」

春梅紅、ふふと笑う。

 

 

○同・隣室(夜)

直右衛と十三の戦い。

十三に圧され、直右衛が廊下の障子を突き破る。

 

 

○同・二階の廊下(夜)

廊下に出る直右衛と十三。

藍九郎「直右衛!」

藍九郎も廊下に出る。

そこは二階。

直右衛の刀に巻きついた十三の鎖鎌。

直右衛と十三は階段の際で力比べになる。

直右衛「く!」

十三「刀さえ封じてしまえば、桜の兄さんもワケないもんだ。そのキレイな顔を、二度と見れないツラにしてやりますよ!」

ハッとする藍九郎。

藍九郎「直右衛! 刀を捨てろ!」

直右衛「あ?」

藍九郎「刀を捨てるんだ!」

ハッとする直右衛。

十三「はぁ?」

直右衛、刀を横にふると、刀から手を離す。

十三「血迷ったか!」

直右衛、十三の襟をつかみ、見事な「一本背負い」を決める。

十三「え」

宙を舞う十三の体。

十三、階段を転げ落ちていく。

階下であおむけに倒れる十三。

そのまま動かない。その片足が、片腕が、折れ曲がっている。

階段際で息を切らせて、それを見下ろす直右衛。

直右衛にかけよる藍九郎。

藍九郎「直右衛! ケガは?」

直右衛「刀を捨てろ、か。お前はいつも、思いがけない」

直右衛、階段を下りていく。

目を見開いたままの十三から刀を取り戻す。

直右衛「どうやら、春梅紅はオレたちのもくろみに気づいてるらしい」

藍九郎「十三があっち側ってことは、全部、筒抜けだったんだ」

直右衛「なら、隣で息を殺していても仕方ない」

藍九郎「直右衛!」

階段を駆けあがる直右衛。

直右衛「藍九郎!」

刀を抜く藍九郎。

藍九郎「いざ!」

直右衛「参らん!」

二人、二階の一室のふすまを開ける。

 

○同・二階の一室(夜)

狂歌の会合に乱入する藍九郎と直右衛。抜刀している二人。

直右衛「春梅紅!」

藍九郎「兄の仇!」

花魁が悲鳴をあげる。

場が騒然となる。

ふつふつと笑いだす春梅紅。

やがて大声で笑い、立ちあがる。

翁の面を投げ捨てる。

春梅紅「ガキどもが。待ちくたびれたぞ!」

三浦「藍九郎?」

藍九郎「仇討ちです! 三浦さん、みなを安全な場所に!」

三浦「わ、わかった!」

三浦にうながされて部屋の外に逃げる春梅紅以外。

藍九郎と直右衛。

二人と対峙する春梅紅。

春梅紅「兄の仇、か」

刀をかまえる藍九郎。

春梅紅「赤目の男。オレには仇が多い。多すぎる! 殺した奴をいちいち覚えてられるか! 貴様の兄など、これっぽっちも覚えていないわ!」

藍九郎「春梅紅!」

藍九郎の目が、みるみる赤くなっていく。

春梅紅「あぁ。それだ。それが欲しい!」

藍九郎「あぁあ!」

藍九郎、春梅紅に斬りかかる。

直右衛「藍九郎!」

春梅紅、懐からピストルを取り出し、藍九郎の一刀をそれで受ける。

春梅紅「甘い! 甘い甘い甘い! そんな生ぬるい剣でオレの首をはねるつもりか!」

春梅紅、藍九郎をなぎ払う。

その勢いで壁に体を打ちつける藍九郎。

春梅紅、藍九郎をピストルで狙う。

直右衛「オレを忘れるな! 春梅紅!」

直右衛が春梅紅に斬りかかる。

春梅紅「直右衛!」

春梅紅、直右衛にむかって発砲する。

一発、

二発、

三発。

火花が散る。

直右衛、銃弾のすべてを刀ではじく。

春梅紅の目が輝く。

春梅紅「それでこそ、オレが育てた男だ!」

直右衛、春梅紅に斬りかかるが、春梅紅はピストルで直右衛の刃を受け、軽くいなす。

藍九郎も、態勢を直して春梅紅に斬りかかる。

二対一の戦い。

それでも、春梅紅は余裕でかわす。

打ち込むすきがない。

春梅紅「二人がかりで、そんなものか! オレを失望させるな! もっと、もっとだ、もっと、オレを楽しませろ!」

春梅紅が発砲する。

それが藍九郎の胸に当たる。

藍九郎「!」

直右衛「!」

一歩、二歩と下がる藍九郎。

藍九郎、胸に手を当てる。

手に真っ赤な液体がついている。

藍九郎「あ……」

藍九郎、倒れる。

直右衛「藍九郎ぉお!」

絶叫する直右衛。

直右衛「貴様、春梅紅!」

直右衛の刀が速くなる。

春梅紅「いい! いいぞ、直右衛!」

春梅紅、発砲する。

一発、

二発、

そして弾切れ。

直右衛が激しく剣を浴びせる。

春梅紅、飛びのき、その場から逃げる。

直右衛「逃がすか!」

春梅紅を追う直右衛。

 

 

○同・二階の廊下(夜)

走る春梅紅と直右衛。

春梅紅、そこにいた花魁を抱き寄せると盾にする。

悲鳴をあげる花魁。

直右衛「!」

春梅紅、花魁のかげでピストルに弾を込め直すと、花魁を突き飛ばして直右衛と対峙する。

直右衛にピストルをむける春梅紅。

春梅紅「桜」

直右衛「その名で呼ぶな」

春梅紅「いいや、お前は、桜だ。背中に桜の刺青を持つ男。この春梅紅の後継ぎよ! オレはお前の父だったはずだ。なぜ、オレを裏切る?」

直右衛「オレの家族はお前に殺された。お前はオレの父でも何でもない! ただの人殺しだ!」

春梅紅「今、お前がそうして息をしているのは、オレが赤子だったお前を捨て置かず、拾ったからだということを忘れるな!」

直右衛「こんなにも人を殺めるくらいなら、赤子のうちに死んでおけばよかったんだ!」

春梅紅「あの男の前でも同じことが言えるか。あの、赤目の前でも!」

直右衛「!」

春梅紅「お前は変わった。死を恐れるようになった。オレの知る、むかしのお前に戻れ、桜」

直右衛「その名で呼ぶな!」

直右衛、春梅紅にむかって走る。

春梅紅、発砲する。

一発、

二発、

三発、

四発。

それを刀で受ける直右衛。

五発。

そこで刀が折れる。

折れた刃が直右衛の頬をかすめる。

春梅紅「さらばだ、桜!」

直右衛「あぁああ!」

それでも春梅紅にむかって走る直右衛。

直右衛にピストルをむけている春梅紅。

ゆっくりとトリガーを引く手元。

回転しかけるリボルバー。

それをつかむ男の手。

春梅紅「!」

春梅紅のピストルをつかんでいるのは、血にまみれた藍九郎。

赤い目で春梅紅を見すえる。

春梅紅「あ、赤目! 貴様は死んだはず!」

藍九郎「直右衛!」

直右衛、藍九郎の腰の刀を取って春梅紅の胸を突き刺す。

春梅紅「ぐ!」

春梅紅の口元から血が流れる。

春梅紅「……なぜ、生きている? 赤目!」

藍九郎、着物をはだける。

胸に巻いたさらし。真っ赤に染まったそれには穴が開いて、金属の板がのぞいている。

藍九郎「兄上様を殺した男と、まともに戦っても勝ち目はないと思った。回転式のピストルは、そこをつかめば発射できなくなる。この瞬間が、このすきが、欲しかった!」

春梅紅「……朱墨。撃たれたふり、か」

春梅紅、くっくと笑いだす。

春梅紅「至極、愉快!」

藍九郎「残弾は一発。最後はオレが使う」

直右衛、春梅紅の手首を斬り落とす。

春梅紅「!」

藍九郎、春梅紅のピストルを持って、春梅紅を狙う。

春梅紅「……あぁ、思い出した、思い出したぞ。赤目! お前は、あのときの!」

藍九郎「御命、頂戴!」

藍九郎、春梅紅を撃つ。

誠一郎が撃たれたのと同じ、眉間を。

床に倒れる春梅紅。

目を見開いたまま。

床に血のしみが広がっていく。

それを見ている藍九郎。

目の色が黒に戻っていく。

手が震え、ピストルを落とす。

その場に座り込んでしまう藍九郎。

直右衛「藍九郎」

藍九郎「直右衛」

直右衛「なぜ、オレにも言わなかった? 本当に、お前が撃たれて死んだかと!」

藍九郎「ごめん」

直右衛「ごめん、ですむか!」

藍九郎「小春が、鋼を入れて縫ってくれた」

直右衛「撃たれたのが胸じゃなく、頭だったら、どうするつもりだった!」

藍九郎「それは、賭けだった」

直右衛「この……、バカ!」

藍九郎「ごめん」

直右衛「……よかった。お前が無事で」

藍九郎、ハッとする。

藍九郎「ラベンデュラの匂い!」

直右衛「?」

藍九郎「直右衛!」

十三の声「よくも……」

直右衛の後ろに十三が立っている。

十三「よくも、よくもよくもよくも! 親分を! 許さねぇ、許さねぇぞ、藍九郎! てめぇだけは、ぶっ殺してやる!」

十三、ガラスの小ビンを持っている。

藍九郎「十三!」

十三、小ビンをあおって中身を口に含むと、ビンを捨て、懐から煙草用の火縄を出す。

直右衛「藍九郎!」

勢いよく口から油を吹きだす十三、それに火がつき、炎の塊となって藍九郎を襲う。と、同時に、藍九郎におおいかぶさる直右衛。

直右衛の背中が焼ける。

藍九郎「直右衛!」

燃える着物。肌が露出し、直右衛の桜の刺青があらわになる。

直右衛の背中が焼ける。

藍九郎「直右衛! 直右衛!」

直右衛「かまうな!」

藍九郎「直右衛!」

直右衛「……いいんだ、これで。この背中の、オレの桜を、オレの罪を、燃やし尽くして、灰にしてくれ!」

藍九郎「直右衛!」

大笑いする十三。

十三「こいつは傑作だ! 二人して焼け死んでしま……」

十三の口から刀が突きだす。

十三「え?」

焦点が合わなくなり、倒れる十三。

十三の後ろで刀をかまえているのは、三浦。

三浦「死ぬのは貴様だ、この外道! 気づかずに、貴様を横に置いていたとは、不覚の至り!」

息絶える十三。

三浦、羽織を脱ぐと、直右衛と藍九郎にかけて火を消す。

藍九郎「三浦さん!」

三浦「ひどい火傷だ、すぐに医者を!」

直右衛「藍九郎」

藍九郎「直右衛!」

直右衛「今だ。オレを討て。オレが死ぬ前に、お前の仇討ちを、終わらせろ!」

藍九郎「バカ! バカ言うな、この大バカ! 死なせるもんか、絶対に! お前を死なせない! 直右衛がいたから、オレは今、生きてるんだ! いつだって、直右衛がいたから、オレは死なずに生きてこられた! 直右衛はオレの命の恩人だ!」

直右衛「……どこまでも、バカな、奴……」

気を失う直右衛。

 

 

○町奉行所・お白洲

お白洲に正座している藍九郎。

座敷で藍九郎の「仇討ち免状」を読んでいる町奉行。

お白洲で控えている三浦。

町奉行「琴吹藍九郎」

藍九郎「は」

町奉行「表をあげよ」

顔をあげる藍九郎。

町奉行「つまり。その方は、討つべき仇、氷十見直右衛と手を組み、まことの仇、空木屋亀兵衛を成敗し、吉原、松乃屋にて本懐を遂げたと申すのだな?」

藍九郎「は」

三浦「空木屋の裏家業の一件は、我々が調べを引き継いでございます」

町奉行「氷十見直右衛をここに」

三浦「は」

三浦、去り、直右衛を連れて来る。

直右衛、藍九郎の隣に正座する。

座敷からお白洲におりる町奉行。

三浦、中腰で頭を下げる。

三浦「お奉行様」

町奉行「背中の火傷をあらためる」

三浦「は」

三浦、直右衛の着物をはだけ、上半身をあらわにする。

直右衛の背中は、火傷のあとで桜の刺青が消えている。

町奉行「これではもう、桜の刺青の男とは呼べまい」

直右衛「……」

座敷に戻る町奉行。

町奉行「琴吹藍九郎、ならびに、氷十見直右衛に申し渡す!」

緊張する藍九郎と直右衛。

町奉行「その方らの仇討ちは、これにて達成とみなし、氷十見直右衛の罪も放免とする! これが上様よりのお沙汰である!」

藍九郎・直右衛「!」

町奉行「まことに天晴なる仇討ちよ! よくぞ、なしたぞ、藍九郎!」

藍九郎「は!」

町奉行「兄の墓前に、ことの次第を伝えるがよい」

藍九郎「は!」

町奉行「直右衛」

直右衛「は!」

町奉行「しっかりと養生せい」

直右衛「は!」

町奉行「これにて、長崎奉行が嫡男、琴吹誠一郎が仇討ちの一件、落着である!」

深々と頭を下げる藍九郎と直右衛。

藍九郎・直右衛「ははぁ!」

三浦、うなずき、また、うなずく。

 

○小春の茶屋・店先

涙ぐむ小春。

小春「藍九郎様」

旅支度をした藍九郎がほほ笑む。

藍九郎「泣くな、小春」

小春「だって」

藍九郎「直右衛の背中が少しでも良くなるように、長崎を出たら、湯治をしながら戻ってこようと思う」

小春「はい」

同じく、旅支度をした直右衛。

直右衛「ねね、何か欲しいものはあるか?」

ねね「ありません。ただ、お願いが」

直右衛「何だ?」

ねね「お戻りになったら、また、ねねを歌舞伎に連れて行ってくれますか?」

直右衛、くすっと笑い、ねねの頭をくしゃくしゃと撫でる。

直右衛「そんなことを、いちいち聞くな」

藍九郎「じゃあ。行ってくるよ」

小春「行ってらっしゃいませ!」

ねね「道中、お気をつけて!」

手をふって去る藍九郎と直右衛。

手をふり返す小春とねね。

 

○江戸の通り

人が行きかう、いつもの大通り。

二人、通りを歩く。

藍九郎「長崎かぁ。遠いなぁ」

直右衛「藍九郎」

藍九郎「ん?」

直右衛「本当に、実家にとどまらなくてもいいのか? 本懐を遂げたお前には、以前よりも格段にいい待遇が待ってるはずだ。仇討ちは砂浜に隠したガラス玉を見つけるよりも難しい。それを見事に遂げたんだからな」

藍九郎「いいよ。あの家に未練はない。オレが仇討ちに選ばれたのは、兄上様と一番、親しかったからじゃないんだ」

直右衛「?」

藍九郎「オレは琴吹家の九番目の男子で、剣もダメだし、学問も偏ってるし、変なことが気になる面倒な奴で、琴吹家きっての余り者だった。だから、だよ」

直右衛「あ?」

藍九郎「一生かかっても達成できないかもしれない仇討ちに、普通の家がまともな人間を選んで出すわけがない。オレは、いらない男子だったから、家に見捨てられたんだ。オレが本当に仇を討つなんて、誰も期待してなかったんだよ。だから、いいんだ。あの家に戻る必要なんて、今さらない」

直右衛「じゃあ」

藍九郎「旅するさ。直右衛と一緒に。それでいつか、江戸に戻る」

直右衛「そうか」

藍九郎「小春とねねが怒らないうちにね」

直右衛「そうだな」

藍九郎「十年くらいかな?」

直右衛「十年? いくらなんでも、それは怒るだろ」

藍九郎「じゃあ、五年?」

直右衛「怒るだろうな」

藍九郎「何年ならいいの?」

直右衛「せいぜい、二年だな」

藍九郎「それっぽっち? ついでだから、いろいろ見たいところもあるんだけど」

直右衛「小春を他の男にとられてもいいなら、好きにすればいい」

藍九郎「う」

直右衛「オレの火傷は大したことない。以前のように刀はふれないけどな」

藍九郎「ふる必要は、もうないよ」

直右衛「そう願う」

藍九郎「直右衛」

直右衛「あ?」

藍九郎「半年で戻ろう」

直右衛「それが無難だ」

くっと吹きだす直右衛。

ぷっと吹きだす藍九郎。

声をあげて笑ってしまう二人。

行きかう人々でにぎわう江戸の町を歩いていく藍九郎と直右衛。

(了)