脚本を超えてくる主演俳優の読解力
足立紳(脚本家・映画監督)×三谷一夫(映画24区代表・映画プロデューサー)対談
「喜劇 愛妻物語」
原作・脚本・監督作品の「喜劇 愛妻物語」と、原作・脚本を務めた「アンダードッグ」が全国公開中の足立紳。この二本のオリジナル作品は、第94回キネマ旬報ベスト・テンにおいて、水川あさみに主演女優賞、森山未來に主演男優賞をもたらした。
主演俳優の素晴らしい演技が高く評価されたことは言うまでもない。だが、水川あさみはキネマ旬報ベスト・テンの授賞式で、「喜劇 愛妻物語」は脚本が素晴らしく完成していて、そこにあるものを現場で演じるだけだったと語った。脚本にある通りに演じるということは、どのような意味で、どのようにつくられるものなのだろうか。
足立紳監督は、「演技は言うまでもなく、脚本を読むのが俳優の仕事です。そして量にあたることが大切です」と言い切る。映画24区で映画俳優の育成をしてきた三谷一夫さんは、今の若い俳優に欠けているスキルは「脚本読解力」だと言う。著書『俳優の教科書』の中でも、俳優は「センス」ではなく「技術」であると説いた。
栄誉に輝く俳優たちは「演技力の確かさ」の前に「脚本読解力が優れている」というのが二人の共通した意見だ。
長年、映画俳優を見てきた二人が、俳優と脚本読解力の関係について語った。
1 読解力がないと俳優になれない
「喜劇 愛妻物語」
三谷 足立さんとは、安藤サクラさん主演、武正晴監督の映画「百円の恋」公開後の2015年に、映画24区のワークショップに来てもらって以来のお付き合いですね。。映画24区は2009年に設立して今年で13年目なんですが、それ以前から井筒和幸さん、阪本順治さん、是枝裕和さんが講師を務めていた「スクーリング・パッド」という場で、映画俳優の育成に関わってきました。その頃と比べて現在はワークショップの価値が変わってきたように思います。一言でいうと、集まってくる俳優の質がすごく落ちてしまった。その最たるものは脚本読解力の低下だと思うんです。そのあたりを足立さんはどのように感じておられますか。
足立 脚本読解の力は落ちていると感じますね。ワークショップでも「どうやったら脚本を読めるようになりますか」という質問は多いです。でもそう言う彼らは、脚本を読むことや脚本そのものに興味がない。俳優はもちろん役を演じることが仕事ですが、その前に脚本を読むことが仕事なのに、普段からほぼ接していないということに驚きます。
三谷 15年前のワークショップは、監督にとっても即戦力となる俳優と出会えるメリットがあったんですが、残念ながら今はほとんどない。ただただ俳優が映画監督というものに出会いたいとか、お芝居をみてダメ出ししてほしいとか、そういうレベルの場に成り下がってしまった気がしています。
足立 夏に『大山夫妻のこと』という朗読劇をやったんですね。旦那が売れないシナリオライターで奥さんが元売れない女優という夫婦なんですが、喧嘩のシーンで夫が妻に、「お前なんか、どんな脚本に出たいかより、どんな監督と仕事するかしか興味ないだろう」というセリフを書きました(笑)。あの監督の作品に出たい、そういう気持ちはわかります。でも、それが頭の中の9割を占めている。どういう役か、どういう脚本かなど、もうちょっと自分のことを考えたほうがいいと思うんですよね、お芝居を上手にやりたいとか。
三谷 足立監督がワークショップをするときは、今はどういうスタイルでやってますか。
足立 やはり、脚本を1冊きちんと渡して、それを読んで全体を通して考えてもらっていないと、やりにくいですね。1日しかないときは、1冊の台本から抜粋したシーンをやりますが、2日以上ある場合は、1日は台本についてみんなで話します。
三谷 読解力のなさというのは、もはや俳優に限ったことではないですよ。本屋に行くとビジネスや教養のコーナーでも「読解力」の本がたくさん並んでいますね。業種に限らず20代、30代が圧倒的に落ちているようです。
足立 スタッフにも時々感じますよ。下手したらプロデューサーでも(笑)。本当に読みました? 自分の部署のことしか読んでなくないですかと。
三谷 映画24区では映画俳優を目指す人に、まず1カ月に1本の脚本を渡して、じっくり向き合ってもらうことを指導しているんです。しかも長いスパンで読む力を蓄積していくこと、つまり脚本を読むことをライフスタイルにしていく考え方です。全国のどこにいても、いつからでも始められるようにオンラインで実施しています。読解力がつくと芝居の質自体が明らかに変わるんですよね。足立さんは相米慎二監督に現場で付いているときから、脚本のことはずいぶん言われたでしょう?
足立 相米慎二監督は当然のことですが、それ以前から脚本が大事ということは叩き込まれました。日本映画学校(現・日本映画大学)にいるときに、脚本を書けないと監督にはなれないし、脚本を読む力がないと俳優にはなれない、そう言われていましたから、たくさん読みました。脚本って最初は読みづらいんです、想像力をフル回転させて読まないといけないから。だから数多く読むことは第一歩ですよね。
2 「喜劇 愛妻物語」の俳優たち
「喜劇 愛妻物語」
三谷 「喜劇 愛妻物語」は足立さんが書かれた『乳房に蚊』という原作小説がベースで、売れないシナリオライターの豪太と妻のチカは、足立さんと奥様がモデルですよね。
足立 はい。まず、自分のああいう恥ずかしいところをよく書いたと言われますが、僕は自分自身がモデルになっていない作品でも、自分というものはどうやっても出てしまうものだと思うし、また出ていないといけないくらいにも思います。「さらけだす」ということでは、俳優も脚本家もどちらもあまり変わらないですね。
三谷 きっかけはあったんですか。
足立 本当のきっかけは10年前の「さぬき映画祭」でした。プロットコンペがあって1等賞を取ったら映画が作れた。香川を舞台にした香川をアピールできる作品というのが条件だったんですが、僕は香川に行ったことがなかったんです。それで、奥さんがお金をひっかき集めるから行こうと言うので、家族3人でネタ探しに行きました。でも僕が久しぶりの旅行だと浮かれていたから3泊4日ずっと夫婦喧嘩。そして帰ってきても何もネタがないから、その道中を書いたんです。しかし、プロットコンペは50本くらいしか応募数がなかったのに1次審査も通らなかった。しばらくして、出版社の方が小説を書く気はないかというので、2本出したうちの1つがこれだった。小説が出たのは2016年で、映画撮影は2019年ですね。
三谷 水川あさみさんと濱田岳さんには、脚本が出来てからオファーしたんですか?
足立 お二人には脚本をもっていきましたね。濱田さんは中村義洋監督の「ポテチ」(12年)で泣き笑いをしている場面が強烈に印象に残っていたんです。オファーする前に見直したら、そのシーン、すごく短かいんですよ。それでも強烈に残っていたので、さらに演じてほしいと思いました。
三谷 濱田さんは初めに脚本を読んで、どう思われたんでしょうか。
足立 主演で声がかかるというのは嬉しいことらしいんですね。でも脚本を読んで、豪太のあまりのダメダメさに「こいつ~~?」って思ったそうです。依頼したとき「これ本当のことですか?」と言っておられました。でも、濱田さんはクランクインの前にはあまり聞いてこなかったですね。おそらく、コップみたいなタイプの俳優さんです。いい意味で空っぽにできて、役を水のようにすーっと入れられる。
三谷 水川さんの反応はいかがでしたか。
足立 水川さんは脚本を読んでゲラゲラ笑って、「チカは罵詈雑言がすごいけど、愛あるよね」と言ってました。水川さんは作り込んでいくタイプです。「奥様にお会いできますか」と聞かれましたが、僕の奥さんを演じてほしいわけではないからと、クランクインの前は会わせなかった。それから、体重を増やしたほうがいいですよねとも言われました。
三谷 リハーサルは、何度かされたんでしょうか。
足立 僕の家で撮ることが決まっていましたから、うちに3回くらい来てもらいました。住んでいるところから役を摑むということもあるかもしれませんし。あとは制作会社でリハーサルをやりましたね。
三谷 でも、日本の現場は、撮影前に監督と俳優が話せる時間ってほとんどないですよね。
足立 そうなんです。香川ロケから撮ったので、夜にちょっとお酒なんか飲みながら、脚本には描かれていない夫婦の話をしました。役作りにどれくらい反映させたかというのはわからないけれども、ちょっとでもプラスになればいいあと思って、なんでもかんでも話しました。
三谷 韓国なんかでは、クランクイン直前まで机に座って脚本の話をえんえんやるそうです。芝居は心配していないから、その段階でしっくりくれば大丈夫だというんです。
足立 そうだと思いますよ。ある程度の俳優さんは本来、技術はある。だから、しっくりくれば、もう演じることはできるんだと思いますね。
3 脚本の「根っこ」をつかむ
「喜劇 愛妻物語」
足立 映画を撮る前に実はこの脚本をワークショップで使っていたんです。でも、コメディとして読んでこない俳優さんが本当に多いんですね。なんだか悲壮感たっぷりにシリアスに演じる。「どうして?」と聞くと、「すごいつらい状況だと思う」と。お金がないのはつらいかもしれないけど、そういうふうに演じたら、とたんに面白くないでしょうと言うと、わからないとなってしまう。水川さんと濱田さんの場合は、もう最初のホン読みから脚本の「根っこ」が分かっている。もちろん笑いを取りにいくみたいな変なことはしないんです。ただ、普通の人間が普通に生活している様を描けば、笑えてくるものなんだということが、分かっておられるんだと思います。
三谷 確かに脚本を読んでいくと、水川さんのセリフは終始乱暴だし、わりと汚い言葉もいっぱい言っていますね。それを字面どおりに受け取って演技をすると、ただただ怖い人になってしまいますよ。
足立 旦那のことをボロカスに言ってるけど、この旦那を引きずってロケハンに行って、車も運転するという、その前提をどう考えるのかということなんですけどね。それって、どこかに、信じてるとか愛しているとか、「根っこ」があるからであって、そういうのがないとできない。そんなのは、読み取るというほどの深いものでもないと思うんですけどね。
三谷 脚本読解力が乏しい俳優さんが脚本を大きく読み間違えるとすると、そこですよね。監督の意に反して「怖い奥さんとかわいそうな旦那さん」の話になってしまう。この夫婦は言葉では喧嘩しているけれども、行動はずっと一緒です。もし関係が壊れていたら、その行動自体が無いですもの。「根っこ」といえば、ラストのシーンは脚本を読んでいても、肝になるところで難しいですね。
足立 濱田さんが唯一質問してきたのがこのシーンですね。「どうでしょうね、ここの旦那の気持ちって」と。もちろん自分でも考えておられますが、このシーンは一発撮りしますと言っていたので、かなりエネルギーを使うシーンでもあるし、やり直しがきかないと思って確認してこられたんだと思うんですけど。奥さんが完全に別れると言い出す。台本にはそれでも豪太はへらへらして半分泣いて半分抱き締めてと、僕もよくわかんない感じで書いてたんですね。それで「とにかく、この状況を旦那はうやむやにしようとしているんじゃないでしょうか」と。それはト書きでも書いたんですが、つまり、この夫婦って、いろんなことをうやむやにしながら成り立ってきた。その「うやむやにする力」というのも、ひとつの大きな力なんじゃないかと。いろんなことに蓋をしながら積み重ねていく、そういうエネルギーが感じられるシーンになればいいなと話したんです。それから、いろんな感情が入り混じっているシーンって、見ていて面白いと思うんですよね。悲しいだけではなくて、そこに二つ三つの感情が混ざっていると、なんなんだこれ、ってなるから。
三谷 あの最後のシーン、一発撮りはさすがです。それにこのシーンだけでなく、水川あさみさんのセリフ量が本当に多い。でも台本を見ると、ほぼシナリオ通りなんですよね。
足立 ある意味、バイオレンス映画だとも思っていたんです、言葉の暴力みたいな(笑)。アクションシーンとかチャンバラの殺陣みたいな感じで、水川さんの罵詈雑言を撮っていきたいというのがあったんです。殺陣というのは型があるので一度完全に入れてもらってその上で自由になればいい、初めてその言葉を発しているようになればいいと思っていました。だから水川さんに完全に覚えていただけますかとお願いしましたね。
三谷 ワークショップでは、台詞をまったく変えてくる人がいますよね。
足立 すごく意図して変えてきているか、ただただ覚えられなくて変えているのか、すぐ分かっちゃいますよね。脚本家は言葉の順番や語尾も気にして書いているから。それを変えるなということではないですが、なんか言いづらいから……みたいなことで変えないほうがいい。変えないほうがたぶん面白いですよと。面白くなれば、なんだっていいんですけどね、究極的には。
三谷 監督はこのセリフを書くときに、うちで練習されたんですか?
足立 動きとして成立するかが気になったので、妻と一緒に実際に動いて、二人で演じ合いながら、言葉に起こしていったところがありますね。
三谷 肉体を大事にした今村昌平監督ゆずりですね。
足立 今村昌平だったか、久世光彦だったか、忘れたんですが、「テレビドラマは物語を見せるもの、映画は人の姿を映すもの」とどちらかの方がおっしゃっていて。これは東京国際映画祭の初上映のときにも言ったんですが、この映画は三人家族が香川県にシナリオハンティングに行って帰ってくるというだけの話です。大きなハラハラドキドキとか、ピンチを迎えるとか、まあピンチは迎えますけど、次どうなるか、次どうなるか、という「インディ・ジョーズ」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように物語で引っ張っていく映画ではない。三人の家族を見て面白がるタイプの映画なんですよね。この映画はそちらのほうだと思っていて、そこに映っている人間が面白いというのが条件だと思ってます。
三谷 そうなってくると、役以前に濱田さんや水川さん自身が面白くないとダメなわけなんですが、もうこれは俳優の教養みたいな話ですよね。
4 役柄と役者が混ざり合う
「喜劇 愛妻物語」
足立 濱田さんってこれまでダメ男みたいな、ちょっと、なよっとした、情けないだらっとした男性は演じているんですが、この豪太はダメなところに、ずるさや卑屈さがにじみ出ている男です。そういうところをやっていない濱田さんがやると、余計に面白いんじゃないかなと思ったんですね。うちで初めてリハーサルをやったときに、スマホで誰かが逮捕だってさ、というときに、ものすごい卑屈な顔をされて(笑)。よく読み込んでもらっているなぁと、ものすごくうれしくなりましたけどね。
三谷 水川さんの赤いパンツをはいた丸いお尻は、今村昌平監督の「赤い殺意」(64年)の春川ますみを思わせるところがあります。本来、八頭身の水川さんが、あんなにどっしりした、重心の低い女性を演じたというのは驚きでした。
足立 水川さんは昔、深夜ドラマ『33分探偵』(08年)とかで変な役もやってらして、なんて面白いお芝居される方なんだろうって印象に残っていたんです。そのころからずっと仕事したくて、自分が描くような女性は水川さんに演じてもらうと、間違いなくはまるという確信はあったんですよね。今村昌平的な話で言うと、性的なものというのは人として当然あるものなので、避けて通りたくないんですね。僕が脚本を書いて初監督した「14の夜」(16年)もそうですけど、人間が生きていくうえで普通にあるものなので、どんなタイプの作品をつくるにしても、描くというのではなく当たり前にあるものとして書いていますね。
三谷 今村昌平監督は「赤い橋の下のぬるい水」(01年)でこんなことを言っています。「女優は知的であっても良いが、それよりも薄皮を剥ぐように肉体的な内実の人間そのものの芝居を見せてくれる方が良い」と。これを足立さんはどのように解釈されますか。
足立 言葉の意味はよくわからないですが、人間そのものが出ちゃう、演じ手が本来持っているものと役が混ざったときに出てくるもののような気がしますけどね。演じ手の生の部分が出るというのはもちろん面白いけど、それだけでもなんか疲れちゃうなっていうのがあって。それが脚本に書かれた役と混ざったときに、えも言われぬ魅力がにじみ出ちゃう。俳優さんには、そういうシナリオと出会ってほしいなと思います。いいシナリオと出会うと絶対に魅力的になる。いい演出というのはあるけど、自分が培ってきたものと融合したものが出ちゃうような役ね。自分でいうのもなんですが、この水川さんはそんな感じがしますけどね。
5 役に近づくか役を引き寄せるか
「喜劇 愛妻物語」の撮影現場にて、演出中の足立紳監督と水川あさみ
三谷 俳優を目指す人たちからよく質問されるので伺いたいのですが、役作りには二通りあると言う人がいます。役のほうに向かっていく方法と、役のほうを自分に近づけていく方法と。その考え方をどう思われますか。
足立 答えになっているかどうかわかりませんが、さきほど言った「根っこ」が大事で、それを理解していれば、間違ったほうにはいかないので、その「根っこ」は何かを読み取ることだと思うんですね。僕たちがシナリオを書くとき、この主人公が心の奥底でやりたいことは何なのかと考えます。「欲望」ですね。「百円の恋」の映画を、好きなことを見つけられてよかったね、と言うと、ちょっと違ってしまうと思うんです。思いっきり泣けるくらい頑張ってみたいという願望って、人にはあると思うんですね。その辺はセリフには絶対に書かれないことなんです。「わたし頑張ってみたかったの」とは書かれていないですよね。「14の夜」の感想を聞いて、時々がっかりするのは、中学生っておっぱいのために一所懸命になるよねと。それはそれでいいんですが、あいつらにとってのおっぱいは一体なんなのか。自分で無自覚ではあるんですが、そこを目ざすことで一皮むけようとしている、そこをわかって演じるか、ただただ、おっぱいを触りたいと演じるかで違う。
三谷 脚本に書かれていないことをちゃんと拾えるかどうかが大事ですね。それから、自分とリンクするかどうかを考える人がいますが、その捉え方については、どう思われますか。
足立 手段としては否定しませんが、あんまり自分を中心においちゃうと窮屈になると思うんです。演じる役を俺はこんな考え方しないなとなったら、そこでわかんなくなって止まってしまう。映画やドラマを見る楽しみの一つに、この人のこと全く理解できないなぁということってあるでしょう? 俳優はそういう人を演じられる楽しみがあるからね。
三谷 脚本の読解力と現代文の読解力って同じなんですかと聞かることも多いんですが、基本的には、読解力ってすべてに通じますよね。
足立 なんにでも通じると思いますね。いつの頃からか……20年前かな。日本のバラエティ番組で誰かが言っていることを文字として出すようになって、ただただ見ていればいいと、どんどん押し付けるようになっていった。そして、それがウケるようになってきた。見ているほうが、これってどういうことなのか、わからないなあと思うことが良くないことになっていった。ドラマにせよバラエティにせよ、見るものの想像力に任せようというものが少なくなってきているんですね。脚本は余分なことが書かれていないから、書かれていないことに慣れていないし、20代の人が生まれてきたときには、映画もドラマもそういう余白のあるものがなかったかもしれない。だから、考える余地のある台本だと思うよというものが、わかんないという一言で終わってしまっているように思うんです。昔の映画やドラマばかりが良かったとは言いたくないけど、想像力を働かせないと見られないというものが多かったと思いますね。
三谷 映画はそれでも想像力が喚起される作品は必ず残っていくと思います。読解力を高めるということについてですが、ただワークショップに行くというのではなく、日ごろからできることがあれば、脚本家・監督としてアドバイスをお願いします。
足立 脚本に多く触れることは当然だと思います。それから読むときに漠然と読むのではなく、噛みしめながら読むこと。映画やドラマの主人公って、たとえば、変わりたいと思っている。だから、どうしてなぜ変わりたいと思っているのか一言一言噛みしめながら読むといいと思います。あと、俳優は体験することも大事ですが、映画を観たり脚本を読んだりすることは、疑似体験ですよね。何度も何度も面白いと思う映画を観たり、本を読んでいると、さも自分が体験したように感じられてくる。それも俳優としての引き出しを増やすことになります。そして何をしているときでも一瞬一瞬を意識しながら過ごす。そうするとその時の感情を心と身体が覚えている。それを技術としてうまく出せるようになるのはまた別の問題かもしれませんが、出せればリアリティのある生きたお芝居になる。のんべんだらりと生きていると、どっかで見たようなコピーのようなお芝居しかできないと思います。
「喜劇 愛妻物語」
原作・脚本・監督:足立紳
出演:濱田岳、水川あさみ、新津ちせ、夏帆、大久保佳代子、ふせえり、光石研
制作:AOI Pro.
配給:キュー・テック/バンダイナムコアーツ
©2020『喜劇 愛妻物語』製作委員会
※公式HP:http://kigeki-aisai.jp/
※脚本は『月刊シナリオ』2020年10月号に掲載されています。
◎あだち・しん (脚本家・映画監督)
1972年生まれ、鳥取県出身。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経て脚本家に。第1回『松田優作賞』受賞作「百円の恋」が2014年に映画化される。同作にて、シナリオ作家協会『菊島隆三賞』、日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。同作と「お盆の弟」にてヨコハマ映画祭脚本賞受賞、NHKドラマ『佐知とマユ』にて創作テレビドラマ大賞受賞、市川森一脚本賞受賞。脚本作品として「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(17)「こどもしょくどう」(19)「嘘八百」(18-20)シリーズなど多数。「14の夜」(16)で監督デビュー。原作、脚本、監督を手がけた「喜劇 愛妻物語」(第32回東京国際映画祭最優秀脚本賞受賞)、最新脚本映画「アンダードッグ」が全国公開中。著書に『それでも俺は、妻としたい』(新潮社)『喜劇 愛妻物語』(幻冬舎)『弱虫日記』(講談社)などがある。
◎みたに・かずお (映画24区代表)
1975年兵庫県生まれ。映画24区代表・映画プロデューサー。関西学院大学を卒業後、東京三菱銀行にて10年間、エンタテインメント系企業の支援などを担当する。2008年「パッチギ!」「フラガール」を生んだ映画会社に参加。2009年に「映画人の育成」「映画を活用した地域プロデュース」を掲げて映画24区を設立。最近のプロデュース参加作品に「21世紀の女の子」や、全国の自治体とタッグを組んだ『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズの第1弾「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」(安田真奈監督)、第2弾「夏、至るころ」(池田エライザ監督)などがある。著書に『俳優の演技訓練』『俳優の教科書』(いずれもフィルムアート社)がある。映画24区が運営する「映画24区トレーニング」において、2020年10月より「脚本読解力」「映画教養力」の強化を中心とした俳優向けのオンラインサービスを開始している。