ムック|善徳女王の真実
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表紙・巻頭特集
定価 | 2000円+税 | ページ数 | 248 |
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刊行 | キネマ旬報社 | 発行日 | 2011年12月下旬 |
判型 | 四六判 | ISBN | 978-4-87376-388-0 |
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新羅の初の女帝、善徳女王の一生を描く!
同性愛、近親婚、一妻多夫制!?
新羅の社会は、おおらかで自由奔放!
朝鮮半島の歴史上、初の女帝・善徳女王の生涯を軸に、
新羅1000年の王朝文化を、気鋭の女性学者が読み解く!内容 / Detail
『花郎世紀(ファランセギ)』とは ――――― 訳者あとがきより
ドラマ『善徳女王』はもとより、本書も『花郎世紀』の存在なくしては語れない。
『花郎世紀』は、高麗時代に著された『三国史記』(金富軾<キム・ブシク>著)にごく一部分が引用されていることでその存在は知られていたが、長年逸本とされていた。ところが1989年に抜粋筆写本が、続いて1995年にはその母本の筆写本が発見されたことで、「もう一つの新羅」を現代に呼び覚ました。
『花郎世紀』は、新羅時代の貴族青年集団である花郎の首領・風月主(プンウォルジュ)32人を中心に繰り広げられる人間模様を描いた伝記である。新羅の貴族の師弟を集めた花郎は、一種の人材育成の場であり、そこから政治家をはじめ、芸能や呪術に長けている人材が育ったとされる。その花郎の伝記から、知られざる歴史上の人物たちが生き生きと甦り、破天荒な風俗も相まって世の耳目を集めた。
しかし、この『花郎世紀』の筆写本は、その史料的価値をめぐり未だ決着がついておらず、ソウル大学を中心とする主流の歴史学者グループは、所蔵者であった朴昌和(パク・チャンファ)(1899~1962年)氏の創作にすぎないという見方を示し、偽書であることを強く主張している。その根拠として、朴昌和という人物が郷歌や性愛小説などの創作活動に長けていたこと、『花郎世紀』に登場する花郎の名前や新羅王を指す「帝」や「大帝」という表記が金石文に見られないこと、さらに『花郎世紀』に見られる花郎像や新羅時代の身分制度である骨品制、婚姻制度のあり方などがこれまでの学界の通説に反することなどを挙げている。
一方、主流学界の視座に対して反論を呈したのは、気鋭の文化部記者であった。金太植<キム テシク>の『花郎世紀 もう一つの新羅』(2002年、金寧社)は、筆写本『花郎世紀』が本物であることを考古学や民俗学などの研究成果を基に綿密に検証している。「高麗人が書いた三国史記を超え、新羅人の目線で見た新羅」という副題が付いた同書は、なぜ『花郎世紀』が新羅人金大問(キム・デムン)の作なのかを徹底的に追究した。同書の著者は、『三国史記』や『三国遺事』に見える新羅はあくまでも高麗時代の視点で再構成されたものであることを力説し、新羅は新羅のテキストで読むべきであると主張する。
さて、もし現存する筆写本が贋作でないとすると、『花郎世紀』は、既存の学説をドミノ返しのように覆してしまう破壊力を持ち合わせているのも事実である。まず、第17代奈忽王(ネムルワン)以降、新羅王は慶州金氏が独占したという学界の常識が崩れる。金春秋の父親としてこれまで同一人物とされていた龍樹(ヨンス)と龍春(ヨンチュン)は兄弟ということになる。さらに、『花郎世紀』に見られる自由奔放な花郎の姿も、近代政治によって作られた「殉国の士、愛国心に燃ゆる花郎徒」のイメージを覆すものである。それだけではない。同性愛、近親婚、一妻多夫制など韓国社会においてタブー視されている「性」の問題や婚姻制度に至るまで、これまでの通説の全面修正を迫られるからだ。筆写本が発見されて以来、『花郎世紀』を支持する側による研究や創作活動も活発に行われているが、主流派の歴史学者によって本格的に研究されるまではまだ長い時間を要するであろうと言われている。そこで注目されるのが金石学の研究である。現在まで明らかになっている限りでは、これまで発掘された碑文に『三国史記』や『三国遺事』などに見られない花郎の名前が確認され、正史に残されていない花郎の存在が明らかになっている。しかしその碑文に『花郎世紀』に登場する花郎の名前は見られない。従って、もし今後発掘される金石文に『花郎世紀』に登場する花郎の名前が発見されれば、『花郎世紀』は韓国古代史の貴重な史料として認められるであろう。
※『花郎世紀』の表記については、韓国においても「花郎世記」と「花郎世紀」が混在しているが、本書が参照している李鍾旭(イ・ジョンウク)氏による翻刻対訳本(2005年、ソナム刊)の表記に従い『花郎世紀』とした。