「シシリーの黒い霧」のストーリー

1950年7月5日。シシリー島(シチリア島)のある民家の中庭でサルバトーレ・ジュリアーノという三十歳の男の、射殺死体が発見された。話は五年前にさかのぼる。当時シシリー島には独立運動が渦まき、独立義勇軍がマフィアや地主勢力と結んで、ファシスト政府と戦っていた。義勇軍は匪賊サルバトーレ・ジュリアーノ一味を味方にし、独立達成の時は彼らを特赦することを約束していた。が、連合軍上陸と同時にイタリア解放委員会第一次政府は、義勇軍を弾圧した。そして五年後の今、中庭ではジュリアーノの検死がつづく。彼は誰に殺されたのか。再び話は1946年。政府軍はシシリー独立義勇軍を攻撃した。だがジュリアーノは最後まで戦った。そしてシシリーには自治が認められた。しかしジュリアーノ一味は匪賊とみなされ、特赦されなかった。そして現在、ジュリアーノの母は息子の死体にとりすがって泣く。「彼を誰が殺したか!」と。再び1949年。第一回シシリー自治政府の選挙は人民連合派の勝利に帰した。共産党はメーデーを祝う。その時、ジュリアーノ一味が集会を銃撃した。そして今。ジュリアーノの死をめぐる裁判では彼の片腕ピショッタ(フランク・ウォルフ)が出廷し、奇々怪々な当時の情勢が明るみに出る。誰が彼にメーデーを襲撃させたか。そして誰が、彼を殺したのか。話はもう一度1950年に。マフィアは憲兵隊と組んでジュリアーノ一味を追いつめた。そして憲兵隊はかくれ家を襲いジュリアーノを殺した。死体は中庭に引出された。そして現在。法廷で終身刑をいい渡されたピショッタは無実を叫ぶ。だが、ジュリアーノ殺しは一体、何のために、誰の手引きでなされたのか。十年後の1960年に、当時を知るマフィア一味の一人が群衆の中で殺された。そして未だに、ジュリアーノ殺しの真相は解っていない。