解説
親と子の心のふれあいを描いた古典的名作の映画化。原作は下村湖人の同名小説、脚本は「白い野望」の井手雅人、監督は「きみが輝くとき」の森川時久、撮影は「親鸞 白い道」の山崎善弘がそれぞれ担当。
この作品のレビュー
ユーザーレビュー
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ミャーノフ大佐
むかーし、むかし、NHKで「次郎物語」を連続ドラマでやっていた。そのときのペギー葉山さんが歌う主題歌が哀しいのを覚えている。なんか哀しい、次郎がかわいそうな物語、という記憶がある。
次郎物語を映画で改めてみて、ウェキおじさんにも協力をえて、ああ、なるほどとわかった。
映画は、乳母に預けられていた次郎が本家に引き取られるところから始まる。今の人は話の筋が可愛そう、と思うかもしれないが、昔は子供を他に預けるというのは良く或る話だ。井上靖の「しろばんば」もそういう話だし、梅原猛先生もそうだし、私の友人も子供の頃、茨城の親戚に預けられていた、といっていた。割と名家に多い気がする。武士の時代は殿様の子供は乳母が育てるのが当たり前だったし。映画は1987年製作なので理由を母親の病弱としているが、実際は母親が元気でもよその家庭で育ててもらった。
まず映画を見て思ったこと。泉ピン子は乳母のこういう役が似合うねえ。それと関根恵子さん、もとい高橋恵子さんがきれい。もっともきれいな頃かもしれない。
監督は森川時久であり、無難な撮り方で(細部の描写が雑なんだけど)可も無く不可も無く。ストーリーも原作があり、まあ普通の小説なので言及するほどでもない。それでも1987年に「次郎物語」は客を呼べると思ったのかなあ。
やっぱり収穫は、高橋恵子さんの美しさかな。
「次郎物語(1987)」のストーリー
昭和の初め、次郎は母・お民の体が弱かったため、生まれてすぐお浜の家に預けられた。お民も元気になり実家に引きとられたが、お浜になついている次郎は連れ戻されるたびに逃げ帰るのだった。次郎の実家、本田家は、古くから続いた由緒正しい家柄で、士族の格式を守り子供たちの躾も厳しかった。6歳の夏、とうとう実家に連れ戻された次郎は、それまで自然の中で伸び伸びと育てられていたから、本田家の家風に息もつまりそうな思いの日々が始まる。祖母のおことは、乳母のお浜を恋しがる次郎に何かにつけて辛くあたった。体の丈夫でないお民は、おことと次郎の間でおろおろするばかり。父親の俊亮は、遠く離れた役所に勤めていたため、週に一度しか帰宅しなかったが、次郎を兄弟と分けへだてなく可愛がってくれた。十歳になった次郎は、相変わらず家庭に馴染まず、お民の実家、正木家や同級生の竜一の家へ行くことで寂しさを紛らわせていた。正木家の雇人、喜さぶは次郎を弟のようにかばってくれる。喜さぶと竜一の姉、春子とは相愛の仲だったが、喜さぶの家の没落で身分が変り、春子は遠い東京へ嫁入りすることになった。ある日、次郎は餓鬼大将にいじめられている兄と弟を助け、逆に餓鬼大将に怪我させてしまう。そのことでおことやお民に責められる彼の味方となったのは俊亮だった。次郎がようやく本田家の毎日に馴染む頃から、悪いことが続くようになった。次郎を可愛がってくれた祖父、恭亮が死に、その看病疲れからお民も発病、そして本田家の破産。一家は町に移り慣れない商売を始めたが、次郎は正木一家でお民の看病をすることになった。同じ頃、お浜の一家も夜逃げ同然に故郷を離れ、消息が知れなくなっていた。お民の病は重かったが、一所懸命看病する次郎にお民もうちとけ、二人の間にはようやく母と子の愛情が通じ合うのだった。夏になり、浮立の踊りに参加する次郎の衣裳を縫いあげ送り出したお民は、知らせを聞いて炭鉱から駈けつけたお浜にこれまでの非礼を詫びた。浮立連の中で踊っていた次郎は、お民の容態急変の知らせに枕許に急ぐが、お民の顔は既に白布で覆われていた。
「次郎物語(1987)」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「次郎物語(1987)」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | ドラマ |
製作国 | 日本 |
製作年 | 1987 |
公開年月日 | 1987年7月4日 |
上映時間 | 110分 |
製作会社 | 西友(西武セゾングループ)=学習研究社=キネマ東京 |
配給 | 東宝 |
レイティング | 一般映画 |
アスペクト比 | アメリカンビスタ(1:1.85) |
カラー/サイズ | カラー/ビスタ |
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