解説
色あせた紺の合羽に三度笠、長い楊枝に左ほおの優。股旅小説に新風を吹きこみ、テレビ化し話題となった、笹沢左保原作の映画化。脚本は「日本悪人伝 地獄の道づれ」の山田隆之、監督は、脚本も執筆している「現代やくざ 血桜三兄弟」の中島貞夫・撮影は「純子引退記念映画 関東緋桜一家」のわし尾元也がそれぞれ担当。
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2025年5月4日放送
BS松竹東急
ユーザーレビュー
「木枯し紋次郎」のストーリー
上州無宿紋次郎は、日野宿の貸元、井筒屋仙松殺害の罪で三宅島に流された。紋次郎は日野宿にある兄弟分の左文治の家に滞在していたのだが、ある日、紋次郎が心秘かに思いを寄せていたお夕が、井筒屋仙松に手ごめにされそうになり、左文治が斬殺してしまった。紋次郎は、左文治が、病床の母を思い嘆くのを聞き、死水をとるまでと、身替りに自首することにしたのである。島の生活は苦しく、悲惨であった。飢えをしのぐ道は、島民の情にすがり仕事を与えて貰うだけだった。果てしない海に突き出た断崖の上の二本の蘇鉄。流人たちは、この蘇鉄に赤い花が咲くと御赦免船が来ると信じ、赦免花と呼び最後の夢を賭けていた。流人の中に、女郎あがりで、妊娠している、お夕という女かいた。男たちは誰ひとりとして寄りつこうとしなかったが、紋次郎は、日野のお夕への心の負担をやわらげろため、何くれとなく面倒をみてやるのだった。半年振りに、流人船が島に着いた。が、お夕への赦免状はなかった。最後の夢を打ち砕かれたお夕は、断崖の上から身を投げた。新入りの流人亀蔵は、意外な事を紋次郎に告げた。左文治の母は、数力月前にすでに死亡しているというのだ。紋次郎は、以前から島抜けを計画していた拾吉、清五郎、源太、お花らの誘いを受けることにした。その夜、三宅島の火山が大噴火を起した。彼らは、船着場の船を奪う。五人は脱走に成功した。ところが、島抜けを成功させるには、秘密を知る人間が多すぎた。絡み合う源太とお花を、捨吉のドスが串刺しにする。睨み合う三人を乗せた船は、伊豆の浜辺に打ちあげられた。捨吉は清五郎にも斬りつけたが、紋次郎に叩き斬られる。ひん死の清五郎は、左文治に紋次郎殺害を依頼されていたことを告げ息をひきとった。紋次郎の表情には、虚無感か広がってゆく。襟に縫いつけてあった一分銭を元手に、長脇差と旅支度を整え日野へと急いだ。一方、紋次郎の島抜けを知った左文治は、一家の者たちを甲州街道に配し、紋次郎を待ち伏せした。紋次郎は、そのほとんどを斬り捨てると、左文治一家に乗り込む。左文治は、紋次郎の目に殺気を見た。そして、全ての筋書がお夕の書いたものであると白状した。かたわらには、赤ん坊を抱いたお夕が、恐怖におののき立っている。左文治が長脇差を抜こうとしたのと、紋次郎の長脇差が左文治の胸に突き立てられたのは、ほとんど同時であった。お夕が悲鳴をあげて左文治の身に取りすがった。三日後、紋次郎の姿は中仙道熊谷の北にあった。歩きながら紋次郎は楊枝をくわえた口の隙間からヒューと木枯しに似た音を鳴らした。紋次郎の目に浮ぶのは三宅島から見た海と、女流人のお夕の姿であった。
「木枯し紋次郎」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「木枯し紋次郎」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 時代劇 |
製作国 | 日本 |
製作年 | 1972 |
公開年月日 | 1972年6月21日 |
上映時間 | 91分 |
製作会社 | 東映京都 |
配給 | 東映 |
レイティング | 一般映画 |
アスペクト比 | シネマ・スコープ(1:2.35) |
カラー/サイズ | カラー/シネスコ |
音量 | モノラル |
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