解説
柴田錬三郎の原作から「裁かれる越前守」の新藤兼人が脚色、「座頭市物語」の三隅研次が監督した剣客もの。撮影は「三代の盃」の本多省三。出演は「「破戒(1962)」」「中山七里」の市川雷蔵、「破戒(1962)」の藤村志保、他。
この作品のレビュー
ユーザーレビュー
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ミャーノフ大佐
三隅研次の映画は初めてかもしれない。これほど様式美にあふれているとは。映画の出だしから画面の右3分の2位を襖でかくし、その左側に藤村志保の左側顔半分が写される。映画の最初の頃は実験的な撮り方をしているな、と思っていたけど、なんの、画面の美しさを表現するためであった。映画も稠密で、良くこれだけのストーリーをこんな短い時間に詰め込めたと感心する。原作が柴田錬三郎であるから、時代設定もしっかりしているし、武家、武士の作法もきっちりと描いている。そして主演が雷蔵でしょ。ほぼ完璧な映画。単なるプログラムピクチャーではなく、きっちりとした芸術作品となっている。この時代の映画産業がいかに多くの才能があったかを彷彿とさせる。
藤村志保は大映だけど、万里昌代、天知茂は新東宝が潰れて大映に移ってきたんだ。万里昌代は武家の娘なのに妙に色っぽかった。天知茂は渋く良い役をもらった。雷蔵の妹役が可愛いんだけど、なんか時代劇に合わないなあ、と思っていたら渚まゆみだったんだ。「仁義なき戦い」の元山方の女で坂井の鉄ちゃんの女だった人だよ。
「斬る(1962)」のストーリー
高倉信吾は小諸藩士である養父の高倉信右衛門の許しを得て、三年間の武道修行に出た。やがて三年の歳月が流れた。信吾の帰りを最も喜んだのは義妹の芳尾だった。信吾は藩主牧野遠江守の求めにより、水戸の剣客庄司嘉兵衛と立会った。信吾は“三絃の構え”という異様な構えで嘉兵衛を破った。数日して、下城中の信吾は、信右衛門と芳尾が隣家の池辺親子に斬殺されたという知らせをうけた。池辺義一郎は、伜義十郎の嫁に芳尾を望んだが、断わられこれを根にもってのことであった。信吾は池辺親子を国境に追いつめて討った。その時、信吾は自分の出生の秘密を知った。信吾の実母は山口藤子という飯田藩江戸屋敷の侍女で、城代家老安富主計の命をうけて殿の愛妾を刺したが、処刑送りの駕籠から彼女を救った長岡藩の多田草司と、一年を送ったのち生れたのが信吾だった。それから藤子は捕えられたが、彼女を斬る役が多田草司だった。信吾は遠江守から暇をもらって旅に出た。その旅籠で、信吾は、二十人もの武士に追われている田所主水という侍から、姉の佐代を預ってくれと頼まれた。しかし、佐代は主水が危くなった時、自分を犠牲にして主水を逃がした。彼女の崇高な姿にうたれた信吾は、彼女を手厚く葬った。江戸に出た信吾は、千葉道場主栄次郎と剣を交えたが、その技の非凡さを知った栄次郎は、幕府大目付松平大炊頭に彼を推挙した。大炊頭に仕えて三年、信吾はその大炊頭の中に、養父信右衛門の慈愛に満ちた面影をみるようになっていた。文久元年、世は尊王攘夷の嵐に狂っていた。中でも水戸はその急先鋒であった。大炊頭は水戸藩取締りのため信吾を伴って水戸へ赴いた。水戸へ着いた時、大炊頭を襲う刺客の中に庄司嘉兵衛があったが、その嘉兵衛も信吾に倒された。あすは江戸へという水戸最後の日、城内に入った大炊頭と信吾は、先祖の命日焼香のためというので両刀を取上げられ、仏間と控えの間に通された。仏間には刺客が待っていて大炊頭はあっという間に騙し討ちにあった。危機を直感した信吾は、床の間の梅一枝を持って刺客を倒し、仏間にかけつけたが、大炊頭はすでに絶命していた。今はこれまでと信吾は、静かに切腹の用意をするのだった。
「斬る(1962)」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「斬る(1962)」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 時代劇 |
製作国 | 日本 |
製作年 | 1962 |
公開年月日 | 1962年7月1日 |
上映時間 | 71分 |
製作会社 | 大映京都 |
配給 | 大映 |
レイティング | 一般映画 |
アスペクト比 | シネマ・スコープ(1:2.35) |
カラー/サイズ | カラー/シネスコ |
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